胸底に秘めた思い[3]
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「あ、帰って来た」

唐突に、ナマエがそう言ってマグカップを置いた。
一拍遅れて、弁財の耳も廊下から聞こえてくる靴音を拾う。

「え、秋山ですか?」
「ん」

確かにブーツの音だが、それが誰のものかということまで弁財には判別出来なかった。
これといった特徴のない、普通の足音だ。
しかしナマエはそれを秋山だと迷いなく断定する。
ナマエは特務隊全員分の足音を識別出来るのか、それとも秋山だけが特別なのか。
弁財が呆気に取られているうちに、近付いてきた足音が止まって部屋のドアが外側から開いた。
そこに立っているのは、なるほど確かに秋山である。

「お疲れ秋山ぁ」

ナマエが炬燵に足を突っ込んだまま、肩越しに振り返った。
想定外の事態に、秋山がぽかんと口を開ける。
予想通りの反応に、弁財はくつりと喉を鳴らした。

「冷えるからさっさと閉めろ」
「え、あ、…ああ、」

慌てた様子でドアを閉めた秋山が、ぎこちない手つきでブーツを脱ぐ。
弁財とナマエは顔を見合わせて笑った。

「何かあったんですか?」

靴下でぺたぺたと近付いてきた秋山の問いに、ナマエが先刻弁財に対して説明した通りに事情を話す。
秋山の視線が、ちらりと弁財に向けられた。

「早番で上がって食事してからって……」

途中で濁された言葉尻に、弁財が鬱積を込めて溜息を吐き出す。
相手の言いたいことが分かってしまう付き合いの長さは時に厄介だった。

「俺相手に下らない嫉妬をするなよ」

どうせ、何時間一緒にいたのだとか、二人きりでどうのとか、そういうことだろう。
秋山は一瞬苦虫を噛み潰したかのような顔をしたが、やがて諦めたように制服の上着を脱いでハンガーに掛けた。
代わりにワイシャツの上から無地のカーディガンを羽織り、もぞもぞと炬燵に足を潜り込ませる。
といっても、いつものように足を伸ばすことはなく、膝を抱えてその上に布団を掛けるだけだった。
二人ならまだしも、三人で足を伸ばせるようなサイズではない。
かく言う弁財も、中で脚が当たっては失礼だろうと膝を曲げていた。

布団越しの膝頭に顎をつけた秋山が拗ねたような顔をするので、弁財は仕方なしにフォローを入れる。

「安心しろ。ほとんどお前の話だったぞ」
「え……っ?」

反射のように背筋を伸ばす秋山を、流石と言うべきなのか。

「なに、何の話ですか?」

早速ナマエに問い掛けるその必死さに、弁財はこっそりと笑った。

「弁財は秋山が大好きだね、って話だよ」
「へ?」
「な……っ、ミョウジさん!」

しかしその笑みは一瞬で崩壊する。
要点をまとめるどころか、ほんの一部を過度に誇張され、弁財は慌ててナマエを諌めた。
きょとり、と目を丸くした秋山からの視線が痛い。
自らに飛び火するとは思ってもみなかった弁財にとって、不意打ちもいいところだった。

「それは冗談として。君たちのおかげで助かってるよ、って話かな」

笑いながら、でも少し真面目な声音を混ぜたナマエの言葉に、秋山がナマエを見つめて動きを止める。

「私も伏見さんもさ、まあこんな性格とあんな性格だからあんまり言わないけどね。すごく評価してるし、感謝もしてるんだ」

ああ不味いな、と弁財は思った。
きっとナマエが想像している以上に、その言葉は秋山にとって嬉しいものだ。
いや、嬉しいなどと一言で表現出来るほど単純な想いではないだろう。
秋山はずっと、それこそ国防軍時代から、ナマエに評価されることばかりを願っていた。
認められたい、役に立ちたい、優秀な部下だと思われたい。
秋山の趣味だという鍛錬も、結局はそこに直結しているのだろう。
純粋な向上心から下心込みの承認欲求まで、最終的に秋山の求める先にあるものはいつだってナマエだった。

「もうちょい気楽にやってほしいと思ってるのも事実だけど。でも、いつも助かってるよ」

そんな秋山の心情を知ってか知らずか、ナマエが薄っすらと笑みを湛えて秋山を見遣る。
落ちた、と思った。
案の定、次の瞬間秋山の左目から涙が溢れる。
ナマエにとって、それは想定の範囲内だったのだろう。

「ティッシュ……はベッドの上だっけ、弁財?」

さらりと、何でもないことのように弁財の羞恥を煽るという余裕まで見せて、ナマエは楽しげに喉を鳴らした。
優しくて、甘くて、そして意地の悪い人だ。
弁財が諦めて腰を上げる前に、ナマエが手を伸ばして秋山の頬に触れた。

「お疲れ。いつもありがと」

この状況でさらに泣かせるのか、と弁財は苦笑する。
だが、その視線が弁財にも向けられ、眼睛の奥に少し申し訳なさそうな色を見つけた時、弁財は悟った。

この人は、知っていたのだ。
昨日の出動で、惜しくも特務隊の到着が間に合わず一般人に多数の怪我人が出てしまったことを、秋山は口にはせずとも悔やんでいた。
弁財自身も、遺憾の思いだった。
それを、この人は知っていたのだ。

本格的に泣き出した秋山の頭をくしゃりと撫で、ナマエが苦笑を零す。

下手に慰めることも、綺麗事を言うこともなく。
冗談に混ぜて、何でもないことのように、この人は秋山の無念を包み込んだのだ。

いつだったか、秋山に告げた台詞を思い出した。

お前、ちゃんと愛されてるじゃないか。

自分で言ったことなのに、理解していなかった。
この人は、やはりひどく優しい。
普段は分かりづらく、意地悪な言動の奥にひっそりと秘められているが、馬鹿みたいに優しいのだ。


「弁財。湯たんぽ代わりに借りてくね」

その意味を正しく理解し、弁財は笑った。






胸底に秘めた思い
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