不確定な未来を想像する[2]「それにしても、そんなに意外でした?」
各々二杯目のグラスを傾けながら、ナマエはちらりと隣に視線を向ける。
あんこをトッピングしたマティーニというえげつないカクテルを美味しそうに飲む淡島が、そうね、と思案するように目を細めた。
その横顔は大変美しいのだが、どす黒く濁った液体のせいで全てが台無しだ。
ついでに、カクテルの王様も形無しだ。
「秋山が貴女のことを好きなのは、見ていれば分かったわ」
誰も彼も同じことを言う、とナマエは苦笑した。
「貴女たちがセプター4に移って来た時から、それは分かっていたの。でもまさか、ナマエさんの気持ちが向いているとは思わなかったわね」
以前は秋山のことを全くそういう目で見ていなかっただとか、実は交際を始めてからもしばらくはさほど気に留めていなかっただとか、そんな余計な情報は言葉にしない。
ナマエは、でしょうね、と相槌を打つに留めた。
「十ヶ月、って言ったかしら?」
「ええ。確かそのくらいだったはずですよ」
「そう。その様子だと、上手くいっているのね?」
「あー……、まあ、多分?」
ここで即座に肯定出来ないのは、仕方のないことだろう。
ナマエは一般的に"上手くいっている"恋愛がどのようなものか、正直よく分かっていないのだ。
以前に交際をしていた相手とはまともに向き合ったことなどなかったし、秋山は秋山で普通とは言い難い。
「随分と曖昧ね?」
「まあ、そりゃ色々ありますからねえ」
曖昧だ、という指摘をさらに曖昧な表現で誤魔化し、ナマエは苦笑した。
「……もしかして、本当に上手くいっていないの?」
途端、心配そうに声を潜められ、ナマエは思わず吹き出す。
本当に、淡島世理という女は可愛かった。
世の男は基本的にこういう女が好きだろうな、と思わされる。
「やだなあ世理ちゃん。もしそうなら、私がわざわざ報告すると思います?」
「それもそうね」
ほっとしたように緩んだ唇は、同じ女の目から見てもなかなかに艶めかしい。
ただ、その唇が触れていた液体に視線をやると、到底美味しそうな唇だとは思えなくなるのが難点だった。
「……秋山はどんな男?」
「あれ、興味あります?」
「彼自身には部下として以上の興味はないのだけど、貴女が好きな男には興味があるわね」
「なるほど」
淡島がそう言うのなら、柄ではないが俗にいうガールズトークでも繰り広げてみようか。
ナマエは小さく笑ってから、琥珀色の液体を舌に滑らせた。
「いい男だと思いますよ」
「あら、ナマエさんが言うなら本物ね」
「それは買い被りすぎだと思いますけどねえ。秋山にしろ世理ちゃんにしろ、どうしてそう高評価なのか」
「いいのよ。私にとって貴女はいい女なんだから」
世理ちゃんには負けますよ、とナマエは苦笑する。
「それで?どういうところが好きなの?」
王の右腕として豪胆に振る舞う女傑も、この手の話になると一般的な二十二歳の女と変わらない。
まるで秘密の話をするように潜めた声音で問われ、ナマエは喉を鳴らした。
「それ、日高にも聞かれたんですけど、難しいんですよねえ」
「なあに。もしかして、全部好き、なんて言うつもり?」
「ははっ、言いませんよ」
たとえば秋山氷杜という男からその特徴や性格をピックアップし、それを一覧に並べて確認していくのなら、"改善を求む"という項目にいくつかのチェックマークが付くだろう。
恐らく一般的な恋人同士の場合、それは当たり前のはずだ。
「全て好き、とは言いません。でもまあ、それが秋山なら全て許せるのは事実ですね」
理解し難いほどネガティブな思考に陥るところ。
その結果、一人で勝手に暴走してとんでもないことを言い出すところ。
自信のなさと、それに起因する嫉妬心の強さ。
どうにかならないのか、と思わないとは言わない。
でも、それらも含めて秋山氷杜だというのならば、ナマエは受け入れることが出来た。
互いの感情と意見を擦り合わせ、落とし所を見つけることを億劫だとは思わない。
「……初めて見たわね」
「何をです?」
「ナマエさんが、そんな顔をするのは初めて見たわ」
そう言って、淡島が嬉しそうに笑ったので、ナマエはつい苦笑を零した。
果たして自分がどのような顔をしていたのか、少なくとも意図して作った表情ではなかった。
「秋山にお礼を言いたい気分ね」
「世理ちゃんがですか?」
「そうよ?……今度、お祝いにあんこのケーキでも作ってあげようかしら」
「……お気持ちだけで、充分かと」
遠慮はいらないわ、と淡島が得意げに微笑む。
そのままぶつぶつとレシピを呟き始めた淡島を横目に、ナマエは引き攣った笑みを浮かべた。
ーー 秋山、頑張れ。
他人事として丸投げさせてもらうのは、仕方のないことだろう。
秋山は甘党だから何とかなるかもしれないが、ナマエにあんこのケーキは拷問だ。
淡島がたとえば二ヶ月後、付き合って一年のお祝いに、などと言葉を添えてあんこのホールケーキを秋山にプレゼントしたとしたら、秋山は半泣きになりながらそれを食べるだろう。
その涙の理由については、言及しないことにする。
そろそろ仕事を終える頃であろう恋人に、ナマエは杜撰なエールを唱えた。
今夜淡島と飲みに行くことは、タンマツに送ったメールで知らせている。
ここ最近、私事で出掛ける際に必ず連絡を入れることは、最早習慣のようなものになっていた。
それは、秋山に乞われたからだ。
そうやって、互いが納得出来るポイントを探していく。
多分それでいいのだろう、とナマエは思った。
「そういう世理ちゃんは?誰かいないんですか?」
「私?生憎とそんな気配はないわね」
「世理ちゃん、理想高そうですからねえ」
「別に、そんなつもりはないのだけれど」
なかなかね、と溜息を吐いた淡島に、ナマエはこっそりと苦笑する。
ハイスペックなのも考えものだ。
「まあ、お互い王様の剣ですしね」
「そうね。私はしばらくこのままでいいわ」
「まだ若いんだから大丈夫ですよ」
「なんて言ってると、婚期を逃してしまいそうな気もするわね。……ああ、そうよ、結婚は?」
結婚。
口の中で復唱し、ナマエは笑った。
「まさか」
「あら、いいじゃない。相手は公務員よ?」
「その実状を知ってる世理ちゃんがそれを言います?」
「それはまあ、そうね。でも、いいと思うわよ?」
何を根拠に、と訊ねかけ、しかしナマエは口を噤んだ。
どんな説明をされても、今のナマエに結婚をする気はない。
それは、相手が誰だからという問題ではないのだ。
「もうしばらくは独身を楽しみますよ」
ナマエはそう言って、グラスに残っていた液体を喉の奥に流し込む。
滑らかにして複雑な余韻に、舌でゆっくりと唇を舐めた。
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