同じ夜を何度も繰り返す[4]
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なるほど、とナマエは冷めた視線で秋山を見据える。
今思えば、秋山の、不安と焦燥、瞋恚と非難を全て混ぜ合わせたような雰囲気には憶えがあった。
脳の奥に仕舞われていた記憶を引っ張り起こす。
あれは確か、五、六年ほど前のことだ。
まだ国防軍に所属していた頃、当時付き合っていた男が今の秋山と似たような表情を浮かべてナマエに訊ねたのだ。
俺と仕事、どちらを優先させるつもりだ、と。
馬鹿馬鹿しい問いだった。
仕事に命は賭けるが君に命は賭けない。
そう答えたナマエと男の交際は、その時を最後に終わった。

「何が言いたいの」

僅かに声が低くなったことに、自分でも驚いた。
感情のコントロールが利かないことを、酒のせいにはしたくない。

「何か間違いがあったらどうするつもりですか」

人の神経を逆撫でする言い方だ、とナマエは目を眇めた。
秋山がぶつけてくるのがただの嫉妬ならば、可愛いものだと思えた。
そこから発生する束縛はあまり歓迎出来ないが、独占欲というものは大抵誰しもが抱く欲求だ。
多少は目を瞑るつもりだし、ある程度はナマエにも理解出来る。
例えば秋山がここで「他の男と二人きりになられるのは嫌だ」と言ったならば、ナマエは素直に善処しようと思えただろう。

「……間違い、ねえ」

だが、言葉のチョイスが悪かった。
ついでに言えば、美味しく酒を飲んだ後の楽しい気分をぶち壊され、機嫌も悪かった。
それを抑え込めなかったのは、アルコールのせいなのか、それとも相手が秋山だったからなのか。

「私が酒の勢いで誰彼構わずセックスするような女に見えるなら、ハッキリそう言えば?」
「そ……っ、んな、そういうことではありませんっ」

露骨な表現に、秋山が焦ったように首を振る。
ナマエとて、秋山がそんなことを思っていると考えたわけではなかった。
だが、アルコールで滑りの良くなった舌は止まらない。

「へえ、違うんだ?だったら何?私と加茂が浮気してるように見えたって話?」

頭の片隅で警鐘が鳴った。
ここでやめておけと、理性は忠告する。
しかしナマエはそれらを丸ごと無視し、秋山を見据えた。

「勝手に好きなだけ疑えばいいと思うよ。でもね、胸糞悪いからそれ以上は聞きたくない」
「ーーっ、ナマエさん……!」
「秋山。……仕事、戻りな」

厨房の出口を顎で決る。
呆然と立ち尽くした秋山はその場を動こうとしなかったので、代わりにナマエがシンクに預けた腰を浮かせた。
そのまま歩き出し、秋山の横を素通りする。
すれ違いざま、最後に見た表情は今にも泣き出しそうだった。


泣きたいのはこっちだ、ばか。

部屋に戻ったナマエは、ベッドに直行してその上にダイブする。
こんな風に感情が乱れるのは久しぶりのことだった。
秋山が、言ったのだ。
苛立ちも、八つ当たりも、何もかも曝け出してぶつけてほしいと。
そう乞われて以降、ナマエは少しずつ秋山の前でだけ感情の制御を緩めるよう意識してきた。
良くも悪くも、それが脳に浸透し始めていたのだろう。
アルコールの助けもあり、煮え滾った感情が溢れ出した。

「……多分、言いすぎた、よなあ……」

シーツに顔を埋めたまま独り言ちれば、くぐもった音が漏れる。
懐かしさすら感じてしまう自己嫌悪だった。

別に、悋気なら受け止められるのだ。
それは愛情の一種だと思う。
束縛も度が過ぎれば厄介だが、多少は仕方のないことだろう。
ナマエ自身はあまり嫉妬心や独占欲を抱かない淡白な性格だが、それが世間一般の平均でないことは理解している。
だから秋山がもしナマエに対してそういった感情を見せるならば、きちんと向き合うつもりだった。
実際、宗像とのことは最終的に言葉を尽くして誤解を解き、秋山にも納得してもらったはずだ。

だが今回に関しては、そういうことではない。
嫉妬をした秋山は、束縛する前にナマエを疑った。
他の男と二人きりにならないで下さいだとか、誰かと酒を飲むときは事前に必ず伝えて下さいだとか、そういう約束事を取り付けるのではなく、何かあったらどうするつもりだと責めたのだ。

「……誰がそんなことするか、」

ナマエ自身、自らに全く非がないとは言わない。
宗像とのことを誤解させたという前例がある以上、秋山の根底にはまだナマエを信じきれない部分があるのかもしれない。
それは仕方のないことだ。
だが、勝手に抱いた疑惑の真相を確かめもせずに、ナマエが責められる謂れはないはずだった。

怒っているのだろうか、それとも悲しいのだろうか。
滅多にない感情の揺らぎを、ナマエはゆっくりと客観視する。
多分、どちらも正しかった。
秋山に疑われたことが、信じてもらえていないと分かったことが、腹立たしく、そして悲しいのだ。

不意に、加茂との会話を思い出す。
そういえば、結婚の話をしていたのだった。
上手くはいかなかったが、ナマエは秋山と結婚する自分、なんてものを想像してみようとさえしていた。

「馬鹿みたいだなあ、もう」

勿論、喧嘩の一つや二つ、恋人ならば当たり前だろう。
だがナマエにとっては、男女交際に限らず全ての交友関係において、恐らく人生で初めての喧嘩だった。
ナマエは昔から、他人に感情を揺るがされることなど殆どなかった。
稀にあったとしても、絶対にそれを表には出さなかった。
自分の中に飲み込み、その場で流し、勝手に終止符を打ってきた。
相手が一方的に怒りを露にすることはあったが、それをナマエが投げ返して喧嘩に発展させたことなど一度もなかったのだ。
だから、今回が初めてだ。
自分でも見失うほど感情を揺るがされたのも、思わず言い返したのも、瞋恚をぶつけたのも。
他人と喧嘩をするのは、これが初めてだった。

必要なことだ、とナマエは自身に言い聞かせる。
これはナマエが、これまでの交際相手とは異なり、秋山にはきちんと向き合っている証拠だった。
感情的になったことを正しかったと評するつもりはないが、感情を露に出来たのはきっと良かったのだろう。
だが、代償は随分と苛烈にナマエの胸を抉った。
最後に見た秋山の、取り残された子どものような表情を思い出すと、余計に心臓を締め付けられた。

喧嘩をするのも楽ではないな、と無理矢理苦笑する。
流してしまった方がよほど楽でスムーズだろうに、人間とはよくもまあ頻繁に喧嘩をするものだ。
後味が悪くて仕方ない。
ついでにナマエは、この展開をどう終着させればいいのかよく分かっていなかった。
ナマエの知る単純な図式は、喧嘩をする、謝罪する、それで和解、だ。
しかし、ナマエは何を謝ればいいのか分からない。
加茂と二人で酒を飲んだことを謝るべきなのか、怒ったことを謝るべきなのか。
生憎ナマエの中では、どちらも謝罪が必要な事柄ではなかった。
口先だけで謝罪することが、出来ないわけではない。
ナマエはそこに妙なプライドなど持っていない。
しかし果たして、それは意味のあることだろうか。
ここまで感情に素直になっておいて、最終的に意思に背いた終止符を打つならば、そもそもの喧嘩をしたことに意味がなくなってしまう。
それは、誠実ではない気がした。

とりあえず、しばらくは互いに冷却期間を設けるべきなのだろう。
秋山は冷静な状態ではなかったし、ナマエもそれは同じだ。
一晩寝てアルコールを抜き、落ち着いた状態で考えよう。
それが、ベッドに沈むナマエが至った結論だった。






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