君がそれなりに幸せでありますように[3]
bookmark


職務中のナマエは、決して秋山を特別に扱わない。
かといって、不自然に避けることもない。
交際をする以前と全く変わらない、そして弁財に対する態度とも全く同じの、単なる同僚として振る舞う。
口調、言葉数、視線、仕草、態度。
何もかもが完璧に、ただのそれなりに親しい同僚そのものなのだ。
不自然にならないようにしよう、と意識していることさえ感じさせない。
否、恐らくナマエは殆ど意識していないのだろう。
無意識のうちに、完全にプライベートを隠し、感情を仕舞い込み、一片の襤褸も出さない。
それは元々持ち合わせている天性の器用さなのか、それとも軍歴の長さに培われた技術なのか。
その徹底振りは、事情を知っている弁財でさえ執務室での二人を見ていると、交際をしているというのは秋山の勝手な妄想なのではないか、と疑心を抱くほどだ。
だからこそ、秋山の憂懼は理解出来ないわけではなかった。

それは、不安になるだろう。
寂しさや心細さも感じるだろう。
本当に、自分を愛してくれているのだろうか。
少しくらい、いつものように話してほしい、笑ってほしい。
仕事中なのは分かっていても、しょせん人間は機械ではなく人間だ。
いけないと知っていても、相手が正しいのだと分かっていても、求めたくなるのは本能というものだ。
そして恐らく秋山は、特別扱いされないことを無意識のうちに物足りなく、悲しく思っている。
ナマエが誰に対しても平等であることに、嫉妬している。
その人が自分のものなのだ、と声を大にして言えないことに、不満を抱いている。
そしてネガティブな秋山は、その不安や不満を全て自分のせいにして溜め込むのだ。
弁財が想像するに、ミョウジさんが関係を誰にも悟らせないようにしているのは俺がミョウジさんに相応しい男じゃないからなんだろう、とか、そのようなものだ。
直接秋山に聞いたことはないが、強ち間違いではないだろう。
秋山は元々極端にプラス思考ということもなかったが、ナマエに出会うまではもう少し客観的な立場で冷静に物事を判断出来たはずだ。
ナマエに拗らせた愛情を抱くようになった頃から、秋山は自分を過小評価するようになった。
弁財としては常々、それがどうにか改善されないかと思っているのだが、秋山の様子を見る限り難題だろう。
弁財は嘆息し、ベッドから立ち上がった。

「秋山。言いたいことは分かったが、とりあえずメシだ。いいから行くぞ」
「……ああ、」

ようやく顔を上げた秋山は、やはり弁財の予想通り少し泣いた形跡があった。
鼻が赤い。
秋山は元々、一般的な成人男性と同じく、そう簡単に泣くような人間ではなかった。
実際弁財は、ナマエに関すること以外で泣いた秋山を見たことがない。
ナマエに出会わなければきっと秋山は、この先死ぬまでに一回二回泣くか、というくらいだっただろう。
それが、ナマエによって桁数から増やされた。
いつの間にか秋山は、ナマエに関してのみ随分と泣き虫な男になった。
秋山は、ナマエの前でもこの調子なのだろうか。

だとしたら、やっぱりあの人は奇特な人だな。

そんなことを考えながら、弁財はようやく辿り着いた食堂で豚の生姜焼きを頬張る。
その後三日間、秋山のタンマツにナマエからの連絡は一度もなかった。



ナマエが日高と共にストレイン捕縛のため旭川に赴いてから、四日目の朝。

「それから、ミョウジと日高が本日夕方に帰投する。先ほど連絡があり、ストレインの捕縛は完了したそうだ」

淡島からの通達に、執務室の空気がふっと緩む。
二人の帰投は人手不足という状況において非常に有り難かったし、やはり仲間が帰って来るというのは精神的にも落ち着くものだ。
弁財は、ちらりと隣に立つ秋山に視線を向ける。
秋山はほっとしたように頬を緩めたあと、僅かに寂しそうな顔をして俯いた。
その姿に、今朝も起きぬけにタンマツを確認し、ナマエからの連絡がなかったと落ち込んでいた秋山を思い出す。
ストレイン捕縛のための他県への出張は、弁財も何度か経験したことがあった。
確かに忙しい。
慣れない土地、パイプの不確かな現地警察との連携、肉体的にも精神的にもかなり疲弊するのは間違いない。
しかし、食事や睡眠の時間は必要に応じて確保するし、タンマツを全く触れないほど忙殺されるわけではないことも知っていた。
今回も特に問題が報告されていない以上状況は似たり寄ったりだったのだろうから、秋山にメールを送ろうと思えば送れたはずだ。
なのに、ナマエはたったの一文を打ち込む時間さえ、秋山のために使わなかった。
同じように出張経験がある秋山は、それらを全て分かっているから落ち込んでいるのだ。

それともあの人にとっては、移動や食事を含め、出張中の全ての時間が"職務中"だったのだろうか。

弁財の基本方針としては、ナマエの姿勢に大賛成なのだ。
職場であそこまで思慕を露わにする秋山の方がどうかしている。
ナマエの徹底した公私の区別は、真面目と評されることの多い弁財にとってとても好感が持てるものだった。
しかしその弁財をして、流石に、と思わされる。

せめて、今から帰るの一言くらい、送ってやればこいつも喜ぶのに。

ナマエにとってそれは、きっと合理的ではないのだろう。
報告義務のある相手は、宗像及び淡島のみ。
帰投連絡は淡島に送れば、勝手に特務隊内にも伝わる。
わざわざ秋山個人に知らせる必要はないと、そういう判断なのかもしれない。
だが、恋人というのはそういうものではないだろうと、弁財は思う。

馬鹿みたいに貴女に惚れたこの男が離れている間に何を想うか、分からない人ではないでしょうに。


その後の秋山は、誰が見ても分かるほどに浮ついていた。
仕事とはいえ丸四日放っておかれたにも関わらず、秋山はナマエに対して不満の一つもぶつける気はないらしい。
実際この四日間、自室で鳴りもしないタンマツを片手に秋山が零した言葉の中に、ナマエを責めるものはなかった。

なぜ連絡をくれないのか。
何かトラブルがあったのか。
日高の馬鹿が何かやらかしたのか。
怪我をしていないだろうか。
食事はちゃんととれているだろうか。
ちゃんと寝ているだろうか。
日高の馬鹿が勢いで迫ったりしていないだろうか。
明日こそ連絡が来るだろうか。
早く帰って来てくれないだろうか。

そんな、どちらかといえばナマエを心配するものばかりだった。
ついでに言えば、これを知ったら日高は間違いなく「秋山さんヒドイっすよ!」と怒るだろう。
秋山は恐らく、ナマエが何食わぬ顔で帰って来たら、嬉しそうに笑うのだ。
おかえりなさいと微笑み、寂しかったことも、連絡がほしかったことも、日高と二人きりだと知って不安に思ったことも、何一つ明かすことなく飲み込んでしまうのだ。

お前はそれでいいのか。

ここ数ヶ月で、弁財は何度も秋山に問いかけた。
恋人という名の片想いだと知った時も、秋山がナマエの相手は自分だけではないと言い出した時も。
その度に秋山は、俺には十分すぎるほどだ、と答えた。
あまりにも欲がなさすぎると思った。
否、そうではない。
秋山の欲は、それはもう弁財がドン引きするほどに壮大なスケールだ。
しかし秋山はそれを、全て自分の中に仕舞い込み、自分が抱くには不相応な望みだと決めつけてしまっている。
薄い笑みの奥に、全て隠して。

それを、あの人が気付いてあげてくれればいいのに、と弁財は思った。



prev|next

[Back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -