正しい距離の縮め方[2]
bookmark


まるでどこぞの高級懐石料理を食べた感想かと紛うほど、懇切丁寧に絶賛しながら箸を進めていく秋山に、音を上げたのはナマエだった。
ローテーブルに並んだのは、何の変哲もない煮物と味噌汁、青菜のお浸しと白米、そして若干焦げた塩鯖である。
この国ならば、大抵の家庭で日常的にテーブルに並ぶ平凡なメニューだ。
それを美味しい美味しいと馬鹿みたいに大絶賛されれば、嬉しいを通り越して居心地が悪くなるというものだ。
いいから黙って食え、とまでは言わなかったが、それに近いことは言った。
だが内心、そこまで喜んでくれるならば非番の日くらい食事を用意して待っているのも悪くないかもしれない、とは思った。
もちろん、秋山には言わなかったが。

食後、インスタントのコーヒーを二人分用意して部屋に戻る。
食器の片付けは、秋山がやると言って聞かなかったので素直に任せた。
ナマエがベッドを背凭れにして座り、秋山がテーブルを挟んで向かいに座る。
いつも通りのポジションだ。
非番だったというのに妙に疲れた一日の終わりに、優しいカフェオレが染み渡る。
マグカップを傾けながら、食事中に届いていたメールに返信を打った。
送信を終え、他に連絡事項がないことを確認してふとタンマツから顔を上げると、向かいで秋山が何とも言い難い複雑な表情でマグカップの黒い液面を見つめている。
しばらく眺めていると、秋山はいわゆる体育座りをした自身の膝に顔を埋めてしまった。
ひょこひょこと跳ねた髪と、その隙間から覗く耳だけが見える。
また何か面倒なことを考えているらしいと、ナマエは思わず溜息を吐いた。
そう大袈裟にしたつもりはなかったが、静かな室内では思いの外大きく響いてしまったらしい。
秋山の肩がびくりと跳ね、恐る恐るといった様子でその顔が持ち上がる。
まるで叱られた子どもが怒っている母親の顔色を窺うかのような仕草に、苦笑すら漏れなかった。
一体いつまで部下気取りでいるつもりか。
職務中はまだいい。
身体に染み付いた癖があるのは理解出来る。
しかし今は完全なるプライベートなのだ。
部屋の中でまで、上官と部下の関係性を持ち込まれるのは御免だった。

「なに?」

それともこれは、ナマエが悪いのだろうか。
自問しても埒が明かず、その視線の意味を問いかける。

「……いえ、その……」

ミスを犯して叱責を恐れる部下のように口籠る秋山に、ナマエは無言で先を促した。

「……その、ですね……」

相手に訊ねても埒が明かないとはどういうことか。
ナマエは、思わずもう一度零しそうになった溜息を辛うじて飲み込んだ。
これ以上萎縮させては、分かることも分かりやしない。

「あーきーやーまーくん?」

馬鹿みたいな猫撫で声を出して、ナマエはテーブル越しに手を伸ばすと大きく跳ねた秋山の前髪をくしゃりと撫でた。
その下から、秋山の眼睛がきょとんとナマエを見上げてくる。
手を離すと、一拍置いて秋山の頬が朱に染まった。

「な、……っ、え、あ……っ、」

ああ、何が言いたいのか余計に分からなくなった。
ナマエは結局苦笑する羽目に陥り、続きを急かすことをやめた。
あたふたとする秋山をしばらく眺め、ようやく頬の赤みが引いてきた頃合を見計らってコーヒーを飲ませる。

「……ど?落ち着いた?」
「はい……」

マグカップを両手に包んで項垂れる秋山にもう一度苦笑してから、ナマエはチラリと時計に視線を移した。
話を一つ促すのに、軽く十分かかっている。
秋山が十秒で答えられるようになるまで、まだまだ先は長そうだった。

「それで?」

マグカップを置き、代わりに立てた両膝を抱き締めた秋山に、もう一度話を振る。
一悶着のおかげで多少は気分が安定したのか、秋山はようやく本題に入った。

「………あの、何か、あったんですか?」

本題といっても、端の端の、果てしなく遠い部分からだ。

「というと?」

これを察しろというのだろうか。
それこそ、まだまだ先の長そうな話である。

「……その、ミョウジさんが、食事を作って待っていてくれたのは、初めてだったので、」
「うん」
「……だから、何か、あるのかと」

何か、とは何だ。
肝心な部分が分からない。
ナマエは、自分の頭はそれなりに優秀だと自負しているのだが、こと秋山の、主にプライベートな時の言動に関してはあまりに読めないことが多くて困惑する。

「………これで、最後にしようとか、そういうことじゃ、ない、ですよね……?」

本当に、読めない。

「……は?」

ナマエにこのような素っ頓狂な声を上げさせる人間が、秋山を除いて他にいるだろうか。
宗像の"不法侵入"さえ黙って受け入れることが出来たナマエが、秋山の言動には振り回されるのだ。

「最後だから食事くらいとか、そういうわけじゃないですよね?」
「……いや、うん、あのさ、秋山。何が最後なの?」

切羽詰まったような口調で問い質される、その意味が分からない。
いい加減肝心な部分を伏せずに見せてくれないだろうか、とナマエが問いを重ねたところで、秋山の表情が不意に歪んだ。

「俺を捨てて、室長のところに行くとか、そういうことなのかと、思って……」
「……なんでそうなった?」

一つ、確信したことがある。
秋山は、一度仕事から離れると、ただの馬鹿だ。
職務中はそこそこ頼りになる、バランスの取れた優秀な同僚だというのに、どうしてプライベートになった途端こうも思考回路が迷路になるのか。
部屋に入ってから今の今まで、一体どこに宗像を連想させるものがあったのか、ナマエには全く理解出来なかった。

「ミョウジさんが、料理なんてしてくれるから。それって、なんか、餞別みたいじゃないですか」
「喧嘩売ってる?」
「だって、こんなこと、初めてで、」
「………秋山ぁ」

少し低めた声で、口籠った秋山の名を呼ぶと、その肩が再び跳ねた。
過剰なほど腰が低いのか、それとも失礼なのか、紙一重だ。
だが、一つだけ胸を突くものがあった。
宗像とのことに関して、ナマエの中では灰皿を宗像に手渡した時点ですでに終わっている。
しかし、秋山にとってはそうではない。
それを知っていたからこそ、ナマエはこの部屋のリフォームをしたのだ。
知っていたはずなのに、この数分間は失念していた。





prev|next

[Back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -