真紅の輝きが照らす蒼穹[2]
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「尊ー、入るよー」

当然といえば当然ノックに返事はなく、声をかけてもやはり反応はない。
予想通りの展開に喉を鳴らしながら、ナマエは部屋のドアを押し開けた。
カーテンの引かれた薄暗い室内で、ベッドに寝転ぶ周防を見つける。
横を向き、自分の腕を枕にして眠る癖は相変わらずらしい。
それを目にする度にナマエは腕が痺れたりはしないのだろうかと不思議に思っていたが、周防曰く一番落ち着く体勢なのだそうだ。
ナマエは少し軋む床に歩を進め、ベッド脇に立った。
白いTシャツと下にはスウェットを穿いている辺り、軽い昼寝ではなく本格的な睡眠なのだろう。
ナマエは徐に手を伸ばし、周防の赤い髪を掻き混ぜた。
恐らく吠舞羅の中でも多くのメンバーは寝ている周防の髪に触れるなど恐ろしくて出来ないだろうが、学生時代からの付き合いであるナマエにとっては何てこともない。

触覚のように伸びた二房の前髪に、指を絡めて遊ぶ。
この独特のヘアスタイルが完成したのは、確か周防が王になってしばらく経った頃のことだ。
炎を与えられた当初、周防は大きすぎる王の力を制御しきれず苦心し、身なりに気を遣う余裕などなかったのだろう。
無造作に伸ばされた髪は、ナマエの知る限り周防の人生で一番長かった。
そしてしばらく経ち、ようやく少し落ち着いた周防が自身の身なりを顧みる気になったところで、十束が持ち前の器用さで周防の髪を切ったのだ。
その時に敢えて二房だけ切られなかった前髪が、このようなヘアスタイルを作り上げたという次第である。
十束曰くこれは、敵の気配を敏感に感じ取りキングを守ってくれる触覚、なのだそうだ。
後に話を聞いた時、ナマエは十束らしい発想だと笑った。
恐らく半分は当時重くなりがちだった雰囲気を和らげるための冗談で、残りの半分は十束なりに周防を案じての願掛けみたいな思いだったのだろう。
周防は、本人が自分の外見にさほど頓着しないからという理由もあるのだろうが、それ以降ずっとこのヘアスタイルを貫いている。
案外気に入っているのかもしれない、と笑ったのは十束だった。

しばらく前髪を弄っていても周防は一向に起きる気配を見せないので、ナマエはその頬をぐい、と引っ張った。
それでも起きない時は起きないのだが、今日はタイミング良く浅い眠りを漂っている時に命中したらしい。
獣のように低く唸りながら、周防が億劫そうに目を開けた。
意外と長い睫毛が、ぱさぱさと瞬きを繰り返す。
やがて視界にナマエの姿を見つけたのか、周防が寝起きの掠れた声で「あ?」と短く疑問を呈した。

「おはよ、尊」
「………ナマエか?」
「うん、おはよう」
「………おう」

まだ思考が上手く働いていないのだろう。
常よりも緩慢な口調で、周防は目の前の現実を受け止めたようだった。
だが、仮に思考が正常に機能していたとしても、周防がナマエになぜここにいるのかという当たり前の質問を投げかけたりしないことは分かっていた。
周防にとっては、学生時代からの友人であるナマエも、セプター4に所属するナマエも、どちらも等しくミョウジナマエであり、違いはないのだ。
周防が理屈ではなく感覚で物事の是非を捉えることは良く知っているので、ナマエも余計な説明はしなかった。
周防が良しとするのならば、それでいいのだろう。

「出雲さんが、ご飯だから起きてって」
「………そうか」

ベッドから起き上がる気配を見せない周防に、ナマエは手を差し伸べる。
その手を軽く振って早く、と急かしたつもりだったが、周防は何をどう勘違いしたのか、ナマエの手首を握るなりそのまま馬鹿力で引き寄せた。
いきなりのことに、ナマエは抵抗のての字もなく周防の上にダイブさせられる。

「ぶっ」

鼻から硬い胸板に突っ込んだせいで、ひどい声が漏れた。

「……色気のねぇ声だなぁ、オイ」

自覚しているのにさらに指摘され、ナマエは周防の胸板を思い切り叩く。
痛えよ、とこれっぽっちも痛くなさそうな声が返ってきた。

「ちょっと尊、何してるの!起きてって言ってるのに」
「うるせえ、聞こえてんだよ」

手をついて身体を起こそうとするが、周防はナマエの腰を片手で引き寄せてしまう。
あまりにも自然に目を閉じた周防を見て、このまま抱き枕状態で眠られては堪らないと、ナマエは口調を強めた。

「尊ってば!聞こえてるなら早く、」

早く起きてよ。
と、最後まで言うことは叶わなかった。
鬱陶しそうに目を開けた周防が突如、ナマエの顎を掴んで唇を塞ぐ。
音になるはずだった語尾は周防の口内に消えた。
少しかさついた唇の感触、触れた熱い舌。
ナマエは目を見開いて、状況を理解するなり手足をばたつかせたが、周防にとっては小動物の可愛らしい抵抗にも満たない動きだったのだろう。
当たり前のように口内を蹂躙されたナマエは、ようやく解放された頃には息も絶え絶えの状態だった。

「……な、にして……っ」

至近距離で睨み付けるが、周防は意に介した様子もなくニヤリと口角を上げた。

「いい顔になったぜ、ナマエ」
「ーーっ、馬鹿!」

罵ってみたところで、周防の愉しげな笑みは崩れない。
くつくつと喉の奥で笑われ、ナマエは怒りやら羞恥やらで顔に熱が集まるのを自覚した。

「もう一回いっとくか?」
「なんでそうなるのっ!」
「……なんだ。キスだけじゃ足りねえってか?」
「違うでしょ!」

ぐるりと体勢を変えられ、気付けば男臭い笑みに見下ろされてナマエは困惑した。
周防の動作は寝起きのせいか気怠げだが、ナマエの手首を拘束する力は強く少しも緩まない。

「あいつには喰われてんだろ?……なぁ、ナマエ」

掠れた低音を鼓膜に落とされ、ナマエは思わず背筋を震わせた。
周防の目が、獲物を見つけた肉食獣のように強烈な色で輝く。
この状況で出された「あいつ」が誰のことなのか、疑問を挟む余地はなかった。
周防にとってそう呼べるかどうかは怪しいところだが、ナマエと周防の共通の学友であり、今のナマエにとっては上司にも充たる宗像のことだ。
周防は、ナマエと宗像の関係を知っている。
その上で、敢えて言っているのだ。

「気に入らねえなぁ、ナマエ。あんな陰険野郎のどこがいいんだ?」

耳元に唇を寄せられ、低く馴染む声が入り込んでくる。
鼓膜どころか腰まで揺らされそうで、ナマエはぐっと唇を噛んだ。
どうしてこんな状況に陥っているのかは定かではないが、このままだと不味いことはよく分かっていた。
周防の舌に耳殻を嬲られ、噛み締めていたはずの唇から声が漏れる。

「や……っ、みこと……!」

駄目、と叫ぼうとして、しかしナマエは階下にいる二人の存在を思い出し慌てて言葉を呑み込んだ。
その間にも、周防は着実にナマエの耳を攻めていく。

「どうした?草薙にも聞かせてやれよ」

狩りを愉しむ捕食者そのものの態度にナマエはいよいよ焦りを感じ、奥の手となり得るカードを切った。

「ーーっ、アンナちゃん!」

その瞬間、思わず怯んだ周防のナマエを拘束する力が弱まる。
その隙を突いて、ナマエは周防の下から素早く抜け出した。
ベッドの端に座り込み、荒くなった息を整える。
周防はしばらく恨みがましそうにナマエを睨んでいたが、やがて頭の後ろを乱暴に掻くと煙草に手を伸ばした。
ケースの中から少し曲がった煙草を引き抜き、指先で火をつける。
ふう、と大きく吐き出された煙は周防の溜息のようでもあったが、ナマエが謝るべきところではないだろう。
むしろ謝罪が必要だとすれば、それは周防にではなく勝手に利用したアンナに対してだ。
先ほどの声が階下に聞こえていないことを祈りながら、ナマエは胡座をかいた周防の膝を叩いた。

「……てめぇが、あんな男の下につくからだろうが」

ぼそりと漏らされた声に、ナマエは一瞬虚を突かれ、そして苦笑した。
学生時代から周防と宗像は顔を合わせる度に喧嘩をしていたが、その関係性は互いが王になってもさほど変わっていない。
以前のように人前で堂々と言い争える立場ではなくなったが、相変わらず会えば大なり小なり嫌味の応酬だ。

「こんなことなら、ウチに入れときゃよかったな」
「思ってもないくせに」

吠舞羅が出来た時、ナマエは周防に言われたのだ。
バーに来るのは構わないし、誰に会うのも自由だが、クランズマンにはしない、と。
それが疎外ではなく、クランの特性を考慮した上で下されたナマエの安全のための決断だと分かっていたから、ナマエは素直に頷いた。
あの時は周防も、ナマエ自身も知らなかったのだ。
その三年後、宗像が青の王に選ばれることも、ナマエがその臣下となることも。

不意に階段を上る音が聞こえ、ナマエは注意深く耳を傾けた。
靴の音から察するに、様子を見に来たのは草薙らしい。
恐らく、大方の事情を察した草薙がアンナを制したのだろう。
ナマエはその判断に心底感謝し、ベッドから降りると少し乱れたワンピースを整えた。

靴の音が段々と近付いてくる。

「………悪ぃ、」

唸るように、不明瞭に零された言葉に、ナマエは苦笑して周防の寝癖がついた髪をくしゃりと撫でた。
次の瞬間、明らかに怒っていると分かる力加減で背後のドアが叩き開けられる。

「自分らええ加減にせえよ!」

懐かしい草薙の怒声をバックに、盛大に顔を顰めた周防を見ながらナマエは声を上げて笑った。



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