伝えたい言葉はただ一つ
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「土方さあああん、もう無理ですよおおおお!」
「うるせえ!文句言う暇があんなら手ェ動かしやがれ!」

我ながら、女としてどうなんだっていう悲痛な呻き声を上げてみた。
その必死の訴えに対し、返ってきたのは血も涙もない鬼の怒声だった。

ちょっと、酷すぎやしませんか。


切羽詰まっていた。
これ以上ないのではないかと思えるほど、追い詰められていた。

トラブルがあった。
詳細を省いて簡単に説明すると、完成間近だったデータが全てぶっ飛んで一からやり直しになって、しかもその期限が今夜日付が変わるまで、という状況だ。
さて、今は何時か。
これが朝の8時なら、まだ救いようもある。
さあ、パソコンの右下に表示された簡易デジタル時計を見てみよう。
22時48分だ。

「絶対無理ですってばあああ!」

乙女を捨てて野太い声で叫んだって、許されると思うんだ。

「だからうるせえっつってんだろうが!」

そう言う土方さんだって、さっきから鬼の形相でキーボードを叩きながら10秒に1回は舌打ちをしている。
しかもオフィスは禁煙だっていうのに、窓全開で煙草まで吸い始める始末だ。
彼には私を怒る権利なんて絶対にないと思う。
が、所詮会社なんて縦社会。
今の私に、もう諦めて投げ出して帰ってプレモルを飲みながらさきいかを食べるという選択肢は残されていないのだ。

「これ、私のせいじゃないのに……!」

この、悲痛かつ正当で切実な叫びは、果たしてもう何度目か。
念のためもう一度言っておく。
本来この業務は、私の担当ではない。
従って、私は悪くない。
悪かったのは、私の運とタイミングだ。
トラブルが起きた時、オフィスに残っていたのが土方さんと沖田さんと、そして私だけだった。

ここで大きな疑問が生まれるはずだ。
その沖田さんはどうしたのか、と。
尤もな疑問である。

「なあにが、すみませんちょっとインフルエンザにかかったみたいなんですよ、だバカヤロー!」

具合の悪そうな演技なんかしやがって。
私は見たのだ。
オフィスを出た途端、イヤホンのコードをぶんぶん回しながら鼻歌を歌った沖田さんの背中を。

そもそも、その沖田さんこそがこの件の担当だというのに。
よりによってそれを上司と、いたいけな後輩に押し付けて帰るとは何事だ。

「誰がいたいけだ、誰が!」

おっと、しまった。
ついうっかり口に出してしまったらしい。
ちらりと土方さんのデスクを見れば、彼は煙をあちこちから漂わせながら猛然とキーボードを叩いていた。
もはやホラーである。
口に咥えている煙草にも、コーヒーの空き缶に置かれた煙草にも火がついている。
これはいつか火事になるのではないだろうか。
むしろ火事になってはくれないだろうか。
会社のビルごと、このパソコンが燃えてはくれないだろうか。
そこまできたらもう、諦めもつくと思うんだ。

なんて、言えるはずもなく。
私は頑張ったわけだ。
12月24日、折しもクリスマスイヴという夜を。
ロマンの欠片もない仕事に、全精力をもって捧げたわけだ。

その甲斐あって。


「……………おわっ、た………」

23時58分。
目の前には、完成したデータ。
二人分のタイピング音が止み、先ほどまでは気付きもしなかった空調の音だけが聞こえるオフィス。

「終わったあああああ!!!」

この雄叫びこそ確実に、許されると思ったんだけれど。

「うるせえ。頭に響くから黙ってろ」

ぐったりと椅子の背に凭れ掛かった土方さんは、残念ながらまだ鬼モードのままだった。


帰ろう。
本当に、もう帰ろう。
これ以上ここにいたら、確実にとばっちりを食らう。
というかもう散々食らった。
もういいと思う。
さらに不運な事態に遭遇する前に撤退する、これは絶対に正しい。
上司よりも先に帰る部下、上等だ。

「はいっ、土方さんお疲れ様でしたお先に失礼しますまたあし、」
「ミョウジ、」

人の話は最後まで聞けってお母さんに教わらなかったのか。
土方さんは私の言葉をぶっつりと遮った。

「嫌です、絶対に嫌です。もう仕事なんてしません!」
「いいからちょっと黙って聞け」

眉間に皺を寄せた土方さんが、煙草を吸いながら私を睨み付けている。
そんな顔したって、怖くなんかないんだから。

「聞きませんもう帰ります!知ってますか土方さん!クリスマスイヴですよ、イ ヴ !!ブじゃなくてヴですよ!これ以上仕事なんて絶対ごめんですからね!」

正確にはもう日付が変わってクリスマス当日なのだが、そんなことはこの際どうでもいい。
今はとにかく早く帰ってプレモルを飲みながらさきいかを食べたい。
ちなみにこれも念のために言っておくが、クリスマスイヴもしくは当日に一人でビールとさきいかで晩酌ってどうなんだ、なんていう突っ込みはいらない。
ハロウィンだろうがクリスマスだろうがバレンタインだろうが、ビールとさきいかは正義だ。

「だから話を聞けって言ってんだろうが!」

だけど鬼の土方さんは、私のそんなささやかな願いさえ叶えてはくれないようで。
煙草を缶の中に押し込み、椅子から立ち上がった。

「土方さんの鬼!悪魔!人でな、」

人でなし、と。
最後まで言い切ることは出来なかった。

それは、一瞬の出来事だった。

気が付けば目の前は真っ黒で、そして物凄く煙草臭かった。
それが土方さんに抱き締められているからだと気付くまでに、軽く10秒は掛かった。
と、思うけれど、決して正確ではない。
直後、耳元に落とされた言葉のせいで、私の思考は完全にフリーズしてしまったのだから。



「……助かった、……お前のおかげだ、ナマエ」





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