その距離、煙草二本分
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手に馴染んだケースの中から一本抜き出し、口に咥えた。
そのままもう一度、胸ポケットに指を入れる。
だがそこに、目当てのものは入っていなかった。

ち、と思わず漏れた舌打ち。

「原田、」

隣の同僚に声を掛けると、すぐさま目の前でライターが鳴った。
相変わらず、良く気がつく男だ。

「すまねえ」

一言礼を伝え、咥えた煙草ごと顔を寄せる。
先端を火にかざし、深く吸い込んだ。
一瞬で体内を巡るニコチンに、苛立ちが凪いでいく。
白い煙を大きく吐き出せば、溜まっていた鬱憤も一緒になって出ていくみてえだった。

「ったく、総司の奴、」

つい漏らした愚痴に、原田が短くなった煙草を消しながら苦笑した。

「あんたも大変だな、土方さん」
「うるせえよ。他人事だと思いやがって」

ドアをスライドさせて出ていく大きな背中に、つい悪態を吐いた。
一人きりになった喫煙所で、もう一度煙を深く吸い込む。
肺を満たす充足感に浸りながら、煙草のケースを胸ポケットに戻した。


「あ、お疲れ様」

ふと聞こえた声に顔を上げると、再びドアが開き、女が入って来るところだった。
ミョウジナマエ、俺の直属の上司だ。

「お疲れ様です」

そういえば彼女も喫煙者だった。
最初に知った時は、少し意外に思ったもんだ。

「土方くん、眉間の皺凄いよ。また沖田?」

楽しげに笑われ、こっちとしちゃあ黙り込むしかねえ。
この人はどうも、人が四苦八苦している姿を見て揶揄いたがる節がある。
仕事の出来る女だとは認めちゃいるが、こういうところは少し苦手だ。

「……あれ、」

手に持っていたシガレットケースの中から煙草を抜いたミョウジさんが、ライターを何度か鳴らした。
だが、オイルが切れているのか、火のつく気配がない。

「ごめん、火借りていい?」

使い捨てのライターを振ったミョウジさんが、苦笑して俺を見た。
生憎、俺はライター自体を忘れてきちまっている。

「すいません、持ってねえんですよ。さっきは原田に借りて」

そう謝れば、ミョウジさんは不思議そうに首を傾げた。

「え?それでいいよ、」

ガラス張りの壁に凭れていた背を浮かしたミョウジさんが、俺の方へ近寄って来る。
どういう意味だ。
そう聞こうと、咥えた煙草に指を掛けた。
だが俺がフィルターを唇から抜き取るよりも、ミョウジさんの行動の方が早かった。

火のついてねえ煙草を咥えたミョウジさんが、俺に顔を寄せる。
そのまま、煙草の先端と先端とが触れ合った。
それは、あまりに近すぎる距離だった。

「ありがと」

俺が咥えた煙草の火種を使って自分の煙草に火をつけたミョウジさんが、一歩下がって煙を吐き出す。
まるで至極当然のことをしたと言わんばかりの態度で、美味そうに目を細めた。

「……土方くん?灰、落ちるよ」

指摘されてようやく、我に帰る。
慌てて煙草を指に挟み、灰皿の上で灰を落とした。


それは、近かった。

確かに、美人だとは思っていた。
だが、職場の上司、という見方しかしたことがなかった。
実際彼女は男に媚びを売ったりしねえ、誰に対しても平等な態度だった。
女として、意識したことなんざなかった。

至近距離で、見たこともなかった。
こんな、ともすればキスが、出来ちまいそうなほど、近くで。


しばらく、どっちも喋らなかった。
当然だが、俺の方が先に吸い終わった。
フィルターのギリギリまで吸った煙草を、灰皿に落とす。
何事もなかったかのように煙草を吸う横顔を、じっと見つめた。

どういうつもりだ。
あれは、女が何とも思ってねえ男に対してすることじゃあねえ。
誤解されても、文句は言えねえはずだ。

ライターなんざ、部署に戻れば誰かに借りることが出来る。
その僅かな手間と時間すら惜しいほど、煙草が吸いたかったのか。
それとも。


胸ポケットに手を突っ込み、仕舞ったケースを再び取り出した。

「ミョウジさん。火、貸してもらえねえか」

あんたと、同じ方法で。


否とは、言わねえはずだ。




その距離、煙草二本分
- やがて、ゼロになる時まで -







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