誰かが呼ぶ声
泣いて
叫んで
助けを乞う
そんな音が聞こえた
Mannaz
play 2 斯くして、運命の環は巡る
太平洋の赤道近くにその島は在った。
【 人 工 島 】。
名の通り人が創った、人工の島。
先進的な未来型都市と名高いその島は、ここ数十年で発達したメタリアル・ネットワーク技術の本拠地と言われる場所だ。
この島の海辺近くの住居区___主に人工島を出資したパトロンが住んでいる所だ___の一角にその家はあった。
近代に活躍した有名な建築家ライトの建築を模倣された家が生い茂る(人工島にしては珍しく本物の)樹々の間から覗く。
綺麗に刈られた芝生に良く手入れされている薔薇が近づけば映り込んで来た。
この邸宅には二人しか住んでいない。
一人はこの家の持ち主にして【Mannaz】の技術開発者の一人、本田菊だ。
彼は今難しそうに、机に向かっては考え込んでいた。
そしてもう一人、【Mannaz】の大口出資者にしてカークランド財閥の役員の一人、アーサー・カークランドが心配そうに菊の顔を覗き込んだ。
「どうしたんだ、キク?」
「アーサーさん……」
菊は顔をあげて、困った事になりましたと零した。
【Mannaz】の年に数度の大掛かりなメンテナンスの最中だ。
その困った事が【Mannaz】を指している事は想像に容易い。
詳しく突っ込めば、ブレインダウンを起こした者が出たのだ。
それも【Mannaz】のメンテナンス中時に、菊の友人のフェリシアーノ・ヴァルガスとルートヴィッヒ・バイルシュミットの両名がだ。
ブレインダウンとは、怪我などの物理的損傷を伴わないまま肉体___脳と意識の解離して現実の世界に戻れないまま昏睡状態になっている事を表している。
ダイバーを使って、メタルからの意識のサルヴェージュを行っても、まだ二人の意識が見つかっていないのだ。
このまま目覚めなければ___菊の不安が囁く。
時間が経過する毎に意識の発見が困難になっていくのは言わずもがな。
また大切な人を失うのではないか___妹のように……。
アーサーはぎゅっと菊の身体を抱きしめた。
「諦めるのは早いだろ!
彼奴らのログが残ってんだろ?
そっから辿れないのか?」
「フェリシアーノ君達はそもそも新ステージの試しプレイをしていただけなんです。
ダイバーの方にも、他の技術者の方にも、その時プレーをしていたフランシス達にも、プログラムや消失現場を確認して貰いましたが、何も問題がなかったんですよ?」
原因不明。
刻一刻と過ぎる時間にもどかしく思いながらも、再度確認や捜索を多くのメンバーに呼びかけている。
かく言う菊も先ほどまでプログラムの確認を行っていた。
「音声ログは?」
「フェリシアーノ君の『声が……聞こえる』でした。
フランシスさん達にも現場に到着時に何か変わった音がないか聞きましたが、無かったんです」
ふむふむとアーサーが頷く。
菊が出来るプログラム確認作業は全て終えてしまった。
後、菊が出来る事は現場に赴くこと位だ。
「だから、行こうと思います」
「俺も行く」
託体ベッド(メタルに深く潜り込む時に使用する補助機具)のある部屋に移動する菊にアーサーは付いて来た。
菊は難しい顔をした。
アーサーは技術者ではないし、危険性は計り知れない。
できれば残っていて欲しいが、彼も中々頑固だ。
一分一秒も惜しい状況での言い争いは避けたい。
「何があるか分からないんですよ?」
「“死が二人を分つまで”だろ」
第一、精神が不安定な時に一人で行かせられるか、バカと何時もの調子でアーサーは宣った。
そっと菊の手をアーサーは握った。
泣き出したくなる程安心するその手に勇気を貰って、二人はメタル___【Mannaz】の世界に飛び込んだ。
中世ヨーロッパをモチーフにした世界が二人の感覚の全てになる。
この【Mannaz】の世界では二人は現実とは似て否なるアーサーと菊になるのだ。
“神秘”が存在する世界でアーサーはエルフ族という妖精の一種になり、菊は魔法剣士の一人になる。
普段と違い人がいない世界で、二人は立っている。
「現場は?」
「w62-01892、今期の追加ステージです」
「ん、じゃあ《ワープ》!」
視界は急激に切れ変わり、雪山に変わる。
針葉樹とおぼしき樹々は雪でその姿をほとんど白く染め、生命の息づかいが全く聞こえてこなかった。
降り積もった雪がアーサーの膝までも呑み込み、歩き難いことこの上ない。
菊はその黒竜の鎧姿に似合わず、さくさくと進んでいく。
「アーサーさん、こっちです」
「わ、分かった」
アーサーも遅れないように足を踏み出した。
失踪した二人はデザイン点検に出ていたために、モンスターの妨害無くスムーズに現場に付く事が出来た。
森の一寸だけ開けた場所が消失点だった。
雪と木ばかりで特にこれと言った別のものが見当たらない。
「大体、別の声って一体なんでしょう……?」
「誰かが声を掛けたとか?」
「少なくとログにはメンバー以外のログはありませんでしたし、位置情報からそれはあり得ないです」
特にこれと言った新しい情報は読み取れそうにない。
【Mannaz】のセキュリティーシステムは関わっている人物が人物なだけに、他の追随を許さぬ程のマニアックな作りとなっている。
正直、メタルの本場の電脳研究調査室内の研究者ですら、セキュリティーに侵入して解析・解除後の改竄は一人出来るヤツがいるだけでも多いくらいだ。
手詰まりのまま黙り込んだ。
…………か
びくりと、アーサーと菊の動きが止まる。
大気を振るわす事も無く、聞こえる。
いや、感じると言った方が正しいのかもしれない。
あたりを見回すけれでも、人影が全くない。
……だ……か
途切れがちな声に集中するように、アーサーと菊は黙り込んだ。
囁きは次第に、はっきりと聞き取れるようになっていく。
た……す…けて
もう、誰もいない。
雪の上には人がいた名残を示すように足跡があったが、降り出した雪がそう時も経たずに痕跡を消す事になるだろう。
斯くして、運命の環は巡る。
110812