手紙

これから徐々に暑さが増す、春から梅雨にかけてのかすかな季節。
そんな季節のある日だった。
鮮やかな樹々の緑。
澄みきった青空には小さな雲が風とも遠くなった。
狭く舗装のされていない土の道が緩やかにカーブを描きながら続いてる。
そんな道を肩掛けの鞄と白雪のような薔薇の花束を持って歩いてい来る一人の男がいた。
ひどく顔の整った男だ。
欠点は些か太めの眉毛と鮮やかな金糸のくせ毛ぐらい。
新緑の色を詰め込んだエメラルドのような瞳が寂しげに揺れる。
長い坂道に息をきらしながら男の足は前へと進み続ける。
淡々と繰り返す作業はやがて男の思考を過去へとおしやる。













男___アーサー・カークランドがこれから会いに行く人物___本田菊と出会ったのはかれこれ二十年ほど前のことだ。
アーサーがまだプライマリースクールに入って一年ほど過ぎた___5、6歳の頃だ。
両親の仕事の都合で祖国、イギリスを離れ日本に移り住むこととなった。
とくに仲がいい友人がいないアーサーは反抗することもなく、日本にやって来た。
横浜の利便性の良いマンションに滞りなく移り住んだのは、ちょうど6月のはじめだったか。
インターナショナルスクールの転入も、区切りの良い9月からということになった。
淡々と組み上がっていく新しい毎日にアーサーは大して興味もなく、母方の祖母がくれた薔薇の鉢ばかり気にした。
一日を家の中で本を読んだり、花をぼーっと眺める。
子供らしくない………というか寧ろ、年寄り臭さすら感じられた。
そんなアーサーを心配したのは誰でもない、アーサーの母である。
こんなでは社会生活に支障をきたす!とか、子供なのに外で遊ばないなんて!とか、思ったのかは定かでないが、

「アーサー」
「母さん?」

突然呼びかけて、アーサーの襟首を掴むなり、

「遊びに行ってらっしゃい」

と言うなり、放り出されたのは、アーサーの記憶に未だに鮮明に残っている。
扉は無情にも閉まり、ノックをせどもスルー。
これは覚悟を決めて、ここらを探検するしかない。
そう決めるとアーサーの行動は早い。
エレベーターに飛び乗り、エントランスの自動ドアを飛び出すまで一分かからずに外に消える。
さぁ、冒険のはじまりだ!
迷子まであと三十分。







「………迷った………」

同じようにしか見えない家々が乱立した道はただアーサーに恐怖しか与えない。
一人だからより心細い。
ひとり自分を放り出した母に対して恨み事をもらす。
どこへ行けばいいのか、視線を巡らせども道はわからず、ひとまず歩き続けた。
疲れて再び足を止めたのはもう十分経った頃だ。
アーサーの頭よりも幾ばくか低い生け垣の向こうに人がいた。
年の頃はアーサーよりもいくつか下の3・4歳だろうとアーサーは目算をつけた。
黒く艶やかな髪は日差しの中で綺麗な光の輪を描いていた。
カワイイ女の子だ………
なんてことを思っていたのだが。

「誰かいらっしゃるんですか?」
「!!?」

ぼんやりと虚空を見ていた子供がいきなりアーサーに声をかけた。
想定外に声をかけられたアーサーはびくりと肩を大きく揺らし、動きを止めた。
アーサーは口下手でこういうやり取りは苦手だ。
だから友達ができずに、家に引きこもっていたりもする。

「そこの金色の髪の方」
「な、なんだよ!」

アーサーは今度はなんとか返事をした。
………といっても紳士にあるまじき振る舞いだった。

「ごめんなさい、迷惑でしたか?」

泣き出しそうな声色にアーサーは慌てて、

「べ、別にちょっとびっくりしただけだ!」

と返せば、相手は「よかった」と言って笑った。

「よかった、こちらに来て何か話をしませんか?」
「……………別にいいぞ」

これが少女だと勘違いした彼___本田菊との出会いだった。
それから小さなアーサーは毎日菊に会いに行き沢山沢山話をした。
いや何もせずに共にいるだけの時もあった。
今にしてアーサー自身はこの頃から菊が好きだったんだと思っている。
親愛ではなく恋愛としてだ。
自覚はなかったが……………











時計の針はぐるぐる廻る。
過ぎた時間のカレンダーは破られ、やがては取り替えられる。
気がつくとアーサーが日本に来て三年もの月日が流れていた。

「きく!」
「アーサーいらっしゃい」

自宅にランドセルを放り投げ、駆け足で通い慣れた道を辿った。
三年前のあの日の恐怖もうない。
あるのは温かい友人の隣だけ。

「今日はどんな事がありましたか?」
「今日はな___」

いつも他愛もない話をした。
クラスの奴らとケンカした事、一緒に悪戯したこと。
学校の行事。
菊はいつもにこにこと楽しそうに、相槌を打ってくれた。
思っていたよりも悪友ができても、アーサーの一番は菊だった。
三年も共にいれば、菊の特異な面にアーサーは気づいたものの、尋ねることはなかった。
どうして学校に行っていないのか。
アーサーと出会った当初は時々庭で遊ぶことがあったのに今はもうない。
また菊が咳き込むのが多くなった。
幸せの影はひたりひたりと近づいて来ていた。








アーサーが12歳を越えた頃から、菊の病状は悪化していった。
アーサーが訪ねても会えない日が、月に一回、数週間に一回となり、終には数日に一回となった。
菊の笑顔は強ばり、無理して笑うのだ。
アーサーも菊に合わせて、素知らぬ顔で笑う。
どんなに不恰好になろうとも、終わりなど無いのだと、別れを知ることを恐怖したのだ。
表面上、当たり前を過ごしていた。
季節は春と夏の間、梅雨よりも前といったところ。
平凡を壊したのは菊だった。

「アーサー、言わなければならない事があります」
「………どうしたんだ、菊?」
「私はもうすぐ引越します。だから、さようなら、です」

急だった。
いや、急ではなかったのかも知れない。
アーサーが薄々感じた終わりを、素知らぬ顔をしていただけだから。
菊に反応すら返せず、アーサーはただ黙りこんだ。

「今までありがとうございました。貴方が居たから、私は………」

アーサーは無理して笑顔を作ろうとして強がる菊の顔も、遺言のようなさよならも、見たくなかったし、聞きたくなんてなかった。
だから、その唇を貪った。
アーサーの初めての好きな人。
その唇は薄く菊の体温のようにひんやりとしていた。
驚いて固まっている菊の舌に、自分のモノを重ねて絡めて溶けるようなキスをした。
今この瞬間に世界が終わればいい。
過去も未来もいらない。
このままがいい。
いつの間にか菊の腕は俺の背中に回っていた。

「菊、俺は菊が好きだ。愛している。だから、さよなら何て言わないでくれっ」
「アーサー………」
「どうしても言いたいなら、『またね』にしろよ」

ぎゅうっと自分よりも細い躯を抱きしめた。
菊はそれ以上何も言わなかった。






別れの日が来た。
菊の家の前に黒い車が一台止まり、菊の乗車を待つばかりになった。

「落ち着いたら連絡しろよ!手紙………書くからな」
「!はい!!では、また………」
「あぁ、またな」

菊は車に乗り込んだ。
後ろの窓から振り向いた菊と視線が絡んだ。
遠く角を曲がるまで手を降った。
見えなくなってから、アーサーの頬が濡れた。
そう、気が緩んだのだ。
こうして、彼らは別れた。









待てど暮らせど、アーサーの元へ菊からの連絡は来なかった。
折しもアーサーの父親の転勤が決まり、日本の地を離れる事となったのは、菊と別れてから二年の月日が流れていた。
日本に居続けたくても、成人していない身で留まれなかった。
次、日本に来たら菊を探すことを胸に日本を離れた。



そしてカレッジを日本の大学にして、アーサーは再びこの地を踏んだ。
菊の足取りはアーサーが思っていたよりも早くに分かった。
実は菊の母・桜に運良く会えたのだ。
そして教えて貰った通りに、道を行く。













漸く、上り坂の終わりが見えてきた。
かつての穏やかな日々の残滓がアーサーの胸の内でざわめいた。
悲哀、絶望、。
様々な感情が絡み、澱となる。

「………後、少し」

やっと、登りきった。
少し上がり気味の呼吸を立ち止まり呼吸を調えた。
美しい緑のアーチは無くなり、ぽっかりと空が覗いた。
剥き出しの土は消えて、青々とした芝生が広がる。
規則正しく立ち並んだ灰色の石が並んだ。
墓碑だ。
見晴らしの良さげな端っこのところにアーサーの探し人がいた。

【 本田菊 】

持ってきた薔薇を活け、両の手を合わせた。

「菊のばか」

ぽろぽろと目から涙が次々に溢れ、石を濡らしていく。
喉が詰まりしゃっくりを上げる。
一通り泣いた後、カバンから手紙の束を取り出した。

「手紙、書いたから読めよ」

菊の墓碑の前に置き、マッチを擦った。
紅く小さな炎は揺らめき、紙の山の上に落とした。
炎は白い紙を黒くしながら、瞬く間にそれらを灰にした。
燃え残った灰は風にさらわれる。

「また、な」



『えぇ、また』

記憶の底の菊がそう呟いた。



END
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