紫髪の青年が一人眠り続ける白い青年髪を梳いた。事故の後遺症でどこか乾燥気味な髪が指先を通り抜けて行く。一定のリズムを刻む心音計に胸の上下の動きだけが白い青年___間桐雁夜の生存を告げていた。
紫髪の青年___ランスロット・ベンウィックは寂し気な笑みを浮かべ、事故の際に焼けただれた左手を手に取り恭しく口付ける。あり日の思い出の反応とはかけ離れたモノで、判っていたことでもより寂しくなった。
* * *
ランスロット・ベンウィックと間桐雁夜との関係性を一言で言うのならば、恋人だった。同じ大学の学部の後輩と先輩で、留学生であるランスロットの世話を焼いてくれ、人見知りの気が強いランスロットもその下心ない優しさにあっという間に懐いていった。時間を共に過ごす内にランスロットは雁夜の優しさと寂しさにどうしようもなく惹かれ、ランスロットが告白したのは出逢ってから三年___雁夜が卒業してしまう年の事。このまま卒業してしまえば、容易く会う事はできない。そしてそのまま疎遠になって行く未来をランスロットは簡単に想像ができた。嫌だ。そんなこと認められない。
『雁夜、好きです』
『はァ?どうしたんだよいきなり』
『好きです、ずっと一緒にいたいんです』
『本当にどうしたんだよ?』
『愛しています』
真摯なまでのランスロットの声は哀切に震え、雁夜の口を縫い停めた。言葉とは時に酷く不自由で仕方がない、とランスロットは思う。どんな言葉を選べば、この思いの全てをこの人に伝えられるのだろうか。もとより自身の心の奥を表現する事が人よりも苦手な嫌いがある。陳腐な言葉ばかりが口から零れた。
『そんな泣きそうな顔、すんなよ』
あんまりにも情けない顔をした年下の後輩の頭を幼い子供を慰めるかのように撫でた。細くも節くれ立つ指を優しいと思った。
『んー、一応だけど付き合ってみるか?』
『!!!』
後に雁夜自身がランスロットに漏らしていた当時の思い出として、『本当に犬みたいだった』と言っていた。尻尾をぶんぶん振って嬉しそうなわんこ。そのギャップに雁夜は笑みを零し、釣られてランスロットも笑い出す。
何てことはない、和やかな日々。どこまでも温かくて、泣きたくなる程、幸せだった。だから、喪われるなんて、一瞬たりとも思っていなかった。
* * *
二人で食事をしたり、出かけたり、買い物したり、旅行にも行った。二人で一緒に過ごす日々はランスロットの人生において最も輝かしい時間であった。気がつけば付き合い始めてからもう五年近く過ぎていた。ランスロットも大学を無事に卒業し、大手貿易企業に上手い事就職をしたランスロットと出版社に就職した雁夜とでは中々に時間が合い辛くなったが、それでもランスロットの願った通りに関係は続き、ランスロットの就職から一年程してから同棲するようにもなった。帰って来たら誰かがいる家とはランスロット自身が思っていたよりも遥かに良く、明かりのついた部屋を遠くから見つけた時には思わず破顔して、足取りが軽くなった。
無論、何事もなくずっと安穏だったわけではない。時には喧嘩もしたし、罵倒したり、八つ当たりしたりもした。それでも、隣に座り最後には仲直りもできた。そんな日々でずっとずっと一緒だと思っていた。
* * *
スーパーの帰りだった。梅雨で雨が酷かったけれど、家に何もなかったのをよく覚えていた。前日まで雁夜は〆切に追われて、ランスロットも企画の修正作業に追われていて、どちらも買い物にいけない様な状態だった。
なんとか仕事を終わらせて、奇跡的に二人とも早く帰れる事が分かったから、最寄り駅の近くで何か食べてからスーパーで食材の買い込みをすることに決めた。久しぶりに良いもの食べて腹も満たされて、雨が酷かろうが二人は上機嫌だった。雨脚が強いからかいつもと違い人も酷く疎らで、そっとランスロットが手を搦め手も雁夜は嫌がらず握り返した。ゆっくりと、ざあざあ降る雨の道を歩いて行く。
よく利用しているスーパーが近くなると、さすがに離して欲しいと雁夜に言われてしまい渋々とランスロットは手を離す。明る過ぎる店内を色々と物色しつつ、店を出たのは九時を過ぎていた。両手にずっしりと詰まった食材を持ちつつ歩いて行き、雁夜の足が突如止まる。
『どうしよ、コーヒー切れてたよな?』
『え?そうでしたっけ??』
忙し過ぎてそんなことすら気付いていなかった。天気予報では暫くの間、こんな雨模様が続くらしい。そもそも当分はスーパーに行かなくて済むように買いだめをしたのだから、買い忘れがあっては困るわけだ。コーヒーは雁夜もランスロットもよく飲むのだから、今から戻って買い足した方が明日行くよりも楽であると算段を立てた。
『では、今から戻って買って来ますね』
『え?俺が行こうか?それとも明日にしないか?』
『いえ、雁夜はのんびりと先に歩いていてください』
ランスロットは学生時代運動部に所属しており、雁夜よりもパワーやスタミナやスピードが違う。雁夜が買いに戻るよりも素早く済ませてしまう事だろう。そしてランスロットは雁夜の耳元に近寄り___。
『明日は雁夜を離してあげられそうにありませんし』
熱っぽく囁いた。雁夜の頬がボッと音がしそう程あっという間に頬を染めた。その声色は褥で睦み合う時に聴くもので、酷く艶っぽく雁夜の中の情欲を煽る。う〜と唸る雁夜の唇を奪い離れる。ぱくぱくと開閉を繰り返し半分涙目になりながらランスロットを睨むも、全くもって怖くない。
『行って来ますね』
『ばか……早く行って帰って来い』
『はい』
来た道を辿り、足早にスーパーへ向かう。この後の久しぶりに過ごす夜に思いを馳せながら、軽快な足取りで所用を済ますべく急いだ。
今さら思えば、この決断がいけなかった。共にスーパーに向かうか、二人で家に帰れば良かったのだ。そうすれば、きっと違う未来になっていたに違いない、とランスロットは過去の自分自身を罵声したくなる。そうすれば、笑いかけてくれる雁夜が今も隣にいたのだと嘆いた。
* * *
軽快な足取りは、雁夜の背を見つけた時に最高潮に至る。
『雁夜!』
『ランス___』
日常の延長線を壊したのは、急に突っ込んで来た軽自動車で、出来の悪い映画の要にスローモーションに映り、鉄の塊が雁夜に突っ込み、容易く痩躯を跳ね上げた。車はそのまま電信柱に突き当たり炎上。轟々と燃え盛る赤は水たまりに沈む雁夜の姿を浮かび上がらせた。もどかしい程鈍くしか動かない自身の身体を推し進め、雁夜を抱きとめる。噎せ返る鉄の臭いがコレが現実であると告げた。震える手で何度も押し間違えながらも、ランスロットは救急車を呼ぶ事が出来た。
* * *
過去の情景からに思いを馳せていたランスロットは、ベットで眠り続けている恋人の手を取った。記憶にある手よりもずっと冷たく感じるのはなぜだろうか。
あの後救急車に車の運転手と共に雁夜は輸送され緊急病院に入った。運転手はほぼ即死状態であったらしく、病院について間もなく息を引き取った。雁夜もまた一命はとめたものの、その後意識を取り戻さないまま三ヶ月も過ぎていた。生体を維持するために点滴を施し、喉にホースを入れて何とか食事を取らせる。後は雁夜の会社に連絡し、ランスロットの勤め先にも連絡を入れて、何とか休みを多くしてもらった。その休みのほとんど全てを目覚めない雁夜の傍らで過ごした。
何度も名前を呼んで、何度もその手を握り、その髪を梳いた。そして、何度でもランスロットは打ちのめされる。温かな笑顔も、やわらかな声も、綺麗な漆黒の瞳も、ランスロットには向けられない。痛いほどの沈黙と拭う事の出来ない不安と渇望がぐちゃぐちゃに入り混じって心を乱した。
頬を撫でる。共に笑い合っていたときよりも、そのラインは薄くなっている。ぽとり、と雫が落ちた。
「かりや、はやく目を醒して下さい」
貴方のいない隣りは酷く寒いんです、と泣いた。涙を拭う手はない。ぽろぽろと水滴は零れてシーツに染みを作る。寒々しい沈黙が支配していた。
あげたかったのは未来で
(まだ、貴方を幸せにできていない)
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