___どこか遠くへいこう、
遠い日の何処かでした優しいだけの約束。
封じ込めた記憶の欠片に眠る、仄かに光る優しい優しいあの人との思い出。
*
あぁ、夢を見ているんだ。
時々であるが私は夢の中で夢を見ている事に気付く事がある。
その大抵が過去の遠坂の家での記憶で当たり前のようにその椅子に自身が座っているというモノだからだ。
当たり前に、温かな日々。
ずっと続いて行くんだって思っていた。
そこから突き放したのは父と呼んでいた人で、それを納得したのは母と呼んでいた人で、泣きながら別れを告げたのは姉と呼んでいた人だった。
そして私を暗闇に引きづり込んだのは、間桐の翁だった。
その流れを淡々と見続ける夢。
それがよく見る夢と認識する夢だった。
しかし今見ている夢は違った。
私は鳥だった。
両腕は翼と代わり、目の前には開けた空。
どこまでも飛んで行ける気がした。
暗い水たまりを蹴り出し、翼を力強くはためかせる。
腕を動かす度に私は闇から遠くなる。
完全に空に舞い上がった私は後を振り向いた。
淀んだ闇がぽっかりと足下に広がっていて、ここから逃げられた事に嬉しくなる心も、その暗闇の中で見つけた白に萎んだ。
白い白い男の人。
顔も思い出せない。
その人の名前も思い出せない。
その人の体温も思い出せない。
自分を守るために切り捨てた記憶の何処かに眠っている人。
その人がその中から私を見上げた。
私はとても高い所にいるのに不思議と目があった気がした。
そして、その人が笑った。
___幸せになってね。
言葉は空気を奮わす事なく、私に語り掛け、その人は淡雪のごとく闇に溶けた。
*
目が覚めた。
目の奥が熱く、ぎゅっと瞼を閉じる。
ぽろり、ぽろり。
雫が眦を伝い重力に従って枕を濡らす。
幼少期の一時期___間桐に来てからの数年を私はよく覚えてない。
そうでなければ私は私の心を守れなかった。
人形のように生きる事で私は私を守ったのだ。
夢で見た白い人はきっとその中で出逢った人なのだろう。
幼い私につらい事ばかり与える世界で唯一私を大切にしてくれた人なのだろう。
涙を流しながら、一欠片の記憶が私の埋もれた中から思い出された。
白いあの人が幼い私を膝に抱えた。
不自由そうに動かす左手で私を支え、大きな手のひらで私の頭を優しく撫でる。
『どこか遠くへいこう』と幼い私に話し掛ける。
その“どこか”はきっと、間桐じゃないところで。
こんな家から出ようと言っていたのだろう。
蟲蔵に入れられ、これ以上心が痛まないように人形となろうとした私はかわいげなく、『むりだよ』と応えた。
実際その人は今にも死んでしまいそうな雰囲気で、老獪を退けるだけの力があるようには思えなかった。
それでもその人は苦笑して、『頑張るから』と寂しそうに笑い、私を抱きしめた。
私を起こしにきたライダーが瞠目した様子で私の涙を拭い、いつまでたっても朝食を作らない私に焦れた義兄の慎二が私の部屋にやって来て、泣いている私に驚き、嫌みを垂れながらも不器用に慰める。
暗くて冷たくて仕方なかったこの家も随分と変わった。
それは自分の恋慕っているあの人のおかげで、どこかギクシャクしていた姉とも再び関係を修復できた。
幸せである。
そう、幸せだ。
でも、なんであの白い人はいないのだろう。
私の幸せを願ったあの人が今いてくれたら、と願ってしまうのはいけない事だろうか。
溢れていく涙が喉を引きつらせ上手く言葉が出ない。
ただただ泣き続ける私の傍にいる二人の体温を感じながら、思考が拡散していく。
夢 の 後 で
(でも、まだ貴方の名前が分からない)
下書き 130325
掲 載 130326
再掲載 140322