眠り姫の知らない話
文化祭の一件も終わって秋の日差しが眩しい今日この頃。不良の溜まり場、旧校舎にも明るい日差しは降り注いでいた。
「あー…なんかなあ」
後藤が昼の陽気に負けそうになりながら隣をみれば、なかなかお目にかかれない真剣な表情の河内がいた。
こんな表情は文化祭の一件以来じゃないか…
そう後藤は眠そうな瞼をきっと引き上げた。河内はなにか重要なことを掴んだのかもしれない。
「どうした、河内」
どきどきしながら次の言葉を待てば、切迫したような顔で河内は口を開いた。
「…ムラムラしないか?」
「……死んでしまえ」
お前にはがっかりだ、と後藤は引き上げた瞼を閉じた。
河内といえばなんの悪びれた様子もなくムラムラする、と呻いている。
後藤は無性に悲しくなった。そりゃあなにがって真っ昼間からこんなことを言ってしまう男子校生にだ。
河内の知的派アホめ、なんて口にしたもののこれは河内だけの問題じゃなく。男子校正全体の死活問題なのである。
勿論、悲しみの真っ只中にいる後藤だってムラムラしている。
これは男子校正の健全な発達の証であり、そう…こんなに天気がいいのだから、しょうがない話なのだ。
「ばーか、そんなの年がら年中だろ!」
「いや、最近どうもそれが度を越えてる気がしてな…」
後藤が横目で河内を見れば、わなわな震えて「襲ってしまいかねない」なんて言ってるものだから、後藤は心からこの変態を風紀部につきだしてやりたかった。黒崎、こいつです。
「流石に犯罪だろ、それは」
「だって、あんなにお色気ムンムンなんだぞ」
「…………」
お色気ムンムン?
そんな単語に逐一反応してしまう男子校正という性が憎い。
後藤は内心、俺がえろいんじゃなくてそういうものなんです、男子校正というもののせいです。と誰に対してか分からない言い訳をしてしまった。
しかし体は脳よりも欲望に従順なもので、詳しく話せよと寝そべっていた体を起こした。
「あのワイシャツから覗く長い首、そして鎖骨」
「おうおう」
「俺の前で警戒心なしに眠るその態度…!これが据え膳じゃなかったら一体なんなんだ!」
河内はあまりの興奮に立ち上がり、後藤も「そりゃあ脈ありだな!」と声をあげた。
河内の前でそんな余裕を見せてるなんて、きっとゴーサインに違いない。顔のいいやつはこれだから…と後藤は恨み言を言いながら河内を見た。
そして河内はその生き生きした表情のまま後藤をみれば力強く握り拳を作る。
「だよな、そうだよな。オーケーなんだよな」
「まあ、俺はそう思うけどな」
浮かれに浮かれまくった河内はじゃあ!と腕捲りして歩き出していった。
いきなり歩き出していく河内を制止出来るはずはなく、後藤はその目的地まで見送ってやることにした。
頑張れ、河内。爆発しろ、河内。
そう張り切る背中を見守ったのもつかの間、その勇み足はすぐに止まった。
「………」
河内の目的地は随分近いもので。近いを通り越して目の前だった。
「愛してます、いただきます桶川さん」
「っておい!なんの冗談だよ!」
「何が冗談なものか。俺は心の底から桶川さんを愛している」
そこじゃねえ!と声をあげれば、じゃあどこだ!と河内の剣幕に後藤はたじろいだ。
後藤としては絶対的正論の自分が押される意味が分からない。だが河内は確かな根拠があるかの如く後藤を睨んでいるのだ。全く意味が分からん。
後藤はこのまま帰りたい気持ちでいっぱいだが、ここは意を決して反撃せねばならない。なんせ我らが番長の貞操の危機なのだ。
後藤は息を飲んで河内に立ち向かった。
「その、桶川さん男だし!」
「知ってる」
「つ、強いし!」
「そこがたまらない」
「本人は隠してるつもりだけど、ネコマタさん好きなんだぞ!」
「今後俺が桶川さんのネコマタさんになるつもりだ」
意味が分からん!
後藤はそう叫んだが、知的派河内の頭は思いの外こじれていたらしい。こいつはおかしな方で決断力がいいのが難点だ。いや、難点というよりそれを止める俺の気持ちにもなってほしいと後藤の目頭は熱くなった。
「はああああ…」
疲れた…と涙目になる後藤が目線をずらせば、すやすやと眠る桶川が目に入ってきた。相変わらずの仏頂面はどこに置いてきたのか、可愛い顔をして眠っているではないか。
(…桶川さん可愛いなあ、なんて思って。少し河内の気持ちが分かるとか……)
髪の毛をがしがしとかいた後藤は、俺もアホじゃないかと小さく呟いた。
だって今日は
暖かい。