図書室の話A | ナノ
※能勢視点
最初から何かおかしいなとは思った。図書室独特の埃っぽい空気に隠れきれていない汗と青臭い臭いに、あいつらにあてられたのかってきり丸を労いたくなる。三郎次があえてここでする理由のひとつにきり丸をからかうっていうのがあるのを知っているだけに俺は毎回口煩く注意するけど、残念ながらあいつは大人しく人の言うことを聞くタイプの人間じゃない。だから俺がいない隙を狙って何度も図書室を利用しているのは知っていたし、落ち着かないきり丸の相手をすることだって数えきれないくらいあった。
そのどれよりも今日のきり丸はおかしい。ずっと押し黙っているし、返事も心ここにあらずで俺の顔を見ようとしない。まぁ同じ男だから何となく察せられる部分もあって深くは追及しなかった。どうせ今日はきり丸の家に寄って帰る予定だったんだから、そこで全てが分かるだろうと楽観視してもらってきた仕事に取り掛かった。司書から預かった段ボールいっぱいの新書にラベルを張って、時間までそれを棚に並べる。たったそれだけの単純作業は慣れたもので、黙々と作業をしていたのもあって通常よりも早く片付いていく。でも全部終えるには時間が足りなくって、一段落ついた所で切り上げて残りは明日の当番の奴に頼もうと、少し早目に段ボールをカウンターの裏にある司書室に運んだ時、感じていた異変が姿を見せた。
「久作先輩、非常に言いにくいんですけど」
悔しいことに身長はきり丸の方が数センチ高い。俺も男子平均よりはあるから低い訳ではないし身長で悩んだことはないが、後ろから抱きつかれた時にきり丸の口がちょうど俺の耳元に来たらもう少し高くなりたかったと思うだろ。熱っぽい声と尻に押し付けられたもので言いたいことは分かった。だろうな、と最初から思っていたのもある。
「お前の家まで持たないのか?」
「無理っす我慢できません。俺、ここで先輩を抱きたいです」
でも、こう来るとは思ってなかった。
「……きり丸、お前」
「すんません、やっぱダメでよね……?」
更に強くなった腕の締め付けに振り向くことは出来なくて、顔だけで後ろを見るけどきり丸の黒髪しか見えなかった。弱弱しく情けない声で懇願され、どうしたものかと突然の内容に頭を悩ませた。
きり丸が俺との行為にそれなりに満足はしても物足りないと思っているのは分かっていた。突然ふとやりたくなることがあるきり丸に対し、俺はあまりそう思わないタイプで、そりゃやりたい欲求はあるけど、それが強い訳ではない。一度の行為で二度いけば満足できるし、頻度も週に二、三回あれば十分だ。普通はそんなものだろうと俺は思ってるけど、きり丸はそうじゃない。だから前戯にはかなりの時間を掛けるし、挿入する前からきり丸だけを何度かいかせることもある。幼い頃から人肌に飢えていたきり丸は構える割にスキンシップが好きで、一度懐いた俺に対してどんどん貪欲になっているのも感じている。それがこの発言に繋がるとは考えたことがなかったけれど。
「まぁまぁ。お前もたまには色んなことしないとマンネリ化するぞ?」
三郎次に言われた言葉がフラッシュバックする。マンネリ化しているつもりはないが、あいつらみたいに所構わず盛る訳じゃないし、四郎兵衛みたいに何でもありな行為をする訳でもないし、左近ほど枯れてる訳でもない。でも俺はそれで十分に思ってもきり丸はそうじゃなかったならその責任は俺にあるんだろう。三郎次がきり丸に発破を掛ける前に、もっと俺が気を遣ってやるべきだったのは反省する。
ぎゅうぎゅう締め付けてくる腕は苦しくないが、今のきり丸がどんな心境なのかを考えるだけで胸が痛む。俺にどう思われるかが分からなくって今までなにも言えなかったんだろうなと思うと、やっぱりこいつが好きだなぁっていう気持ちと一緒に申し訳なさでいっぱいになる。一度懐いたからこそ切り捨てられるのが怖いんだろう。そんな軽い気持ちで付き合ってる訳じゃないから遠慮する必要はないのに、って口にするのは簡単だけど、今言ってもきっとこいつは信じないだろうから。それならどうすれば安心させられるか。ここで俺がすべき選択はひとつしかない。
「なんつう顔してんだよ」
腕を振り払って面と向かう。俺が図書室に来てから初めて合った切れ長の目が情けなくって、笑ってしまいそうになる。
「んな情けない顔で俺を抱くのかよ、お前」
「だって」
「そんな奴には頷けねぇな」
「って、それじゃ……」
分かりやすい奴。普段はしっかりしてるけど、こういう所はそこらへんの奴よりガキだ。目の色変わってることに本人が気付いてるのかは分かんねぇけど、そういう部分も全部、俺だから出してくるんだろうなって思うとつい甘やかしたくなるんだから、俺も相当なんだろう。それが当のこいつには通じてないのが問題だけど。
「どうすんだ?時間なくなるぞ?」
まぁ今日のこれで少しはきり丸も分かるだろ。もし伝わらなかったらそれはその時だ。すっかりその気になってるきり丸にあてられたのか、俺も細かいことをごちゃごちゃと考えるのが億劫になっていた。
司書室に入る人間は限られている。唯一生徒の中で入室する図書委員ですら、あまり立ち入ることはない。小さな部屋に似つかわしくない長机が三つ、データ管理用の古いデスクトップパソコンが一台、パイプ椅子と昔は来賓室にあっただろう革が薄くなったソファと俺が今日持ってきたのと同じように本が山積みになった段ボールがいくつも積まれ、全体的にごちゃごちゃとしている印象しかない。けれどやるとしたら図書室よりは人が来ないし、古いとはいえ床や机よりもソファの方が向いている。職権乱用ってこういうことを言うんだろうと自嘲がこぼれる。あれだけ注意しておいて自分はいいのかってな。でもここできり丸を突き放せるほど俺も人でなしじゃないし、ここじゃなくって家まで待った方がいいんじゃないかと思ってることはもちろん口にも態度にも出さない。
「……なるべく、がっつかないように頑張ります」
「最初っから無理だって分かってること言うもんじゃねぇよ」
どうせそう思ってたっていざ始めるときり丸は欲望に忠実になって、自分をセーブできるはずがないんだから。
「ははっ、ばれてました?」
「やるなら俺の気が変わらないうちにしろよ」
やられるのが嫌なんじゃなく、既に目が濡れているきり丸の目の前でじわりじわりと追い詰められるようなこの瞬間の居心地が悪く、耐えがたくなって先を促す。キスと同時に「汚れるといけないんで」とか言いながら俺のシャツのボタンを外すその手付きの速さに、早々後悔をしながら、考えたら負けだと言い聞かせてきり丸の好きにさせることにした。