慣れ初め(能勢きり) | ナノ
閉館の札を掛けた図書室で俺が貸出票の整頓と延滞がないかの確認をしている間、静かに本棚の整理をしている後輩を見て違和感を感じた。文句の多い割にしっかりと働くのに、今日は口が横一文字を結んでいて仕事も遅い。だが咎めるほどでもなく、向こうが言って来ない以上こちらから聞き出すのも気が引けて、知らぬ然を貫いて黙々と、常より心持ち速度を遅くして仕事を片した。戸締りをし、鍵を返却し終えるまで何も会話はなかった。さすがに不気味だな、と思い始めた時、後ろを付いてきていたそいつの足が止まった。視線が交わるより早く発せられたのは、珍しく切羽詰まったようなか細い声だった。
「好きになってもいいですか?」
何だそれ。いつになく神妙な面持ちで、普段は小憎たらしい屁理屈ばかりを言う口をようやく開いたかと思えば意味が分からない。勉強は出来ないが頭の悪くないこの後輩の意図が掴めず、更に眉間の影を濃くして続きを待った。
「俺、生真面目で神経質な先輩以上に面倒な人間なんです」
「さりげなく俺を貶すな」
「いやぁ、それは言葉の文というか。……でもきっと。俺が先輩を好きになるときっと迷惑かけます。絶対面倒なことになります」
真剣なこいつには悪いが笑わずにはいられない。こんなこと気にしてたのかよ。
「そんなもんはお前らは組の専売特許だろうが。いまさら何遠慮してんだ。遅えんだよ」
「でも久作先輩、」
「いいんじゃねえの?少なくとも俺はお前のことそう思ったことねえし、面倒でも迷惑でも掛けられるだけ掛けてみやがれ」
「ったくなんでそう男前なんすか。本気で惚れるじゃないですか」
「だから、それでいいっつってんだろ」
考え付く迷惑という迷惑なら散々掛けられた。やれ委員会の当番を変われだの、バイトを手伝えだの、銭がなくて買えないから道具を貸してくれだの。それ以外にも俺の下がりものを根こそぎ持って行ったのもこいつだ。人の物なら塵でも欲しいとは上手いこと言ったもんだ。タダなら尚更こいつが手を放すはずがないのを知っていて、仕方なくくれてやったふりをして押し付けていたのは俺だ。
「むしろ疾うに惚れてんだろ?何言い訳探してんだお前」
「……うっわー、格好いい通り越してものすっごい腹立ちました今の」
「そういう台詞はその締まりのない顔をどうにかしてから言え」
忙しない奴。さっきまでの硬い表情はどこに行ったんだよ。細い声も既に跡形なく、もう弛んだ顔に遠慮のない笑い声。その素早い変わり身においちょっと待てと言いたくなるが、まぁそれでいいんじゃねえの。少なくともお前に前者は似合わねえよ。それに俺がそうしたくて今まで甘やかしてきたんだからこいつが気を揉む必要はない。
「なぁそれより他に言うことあるんじゃねえの?」
「あまりにも癇に障ったんですっかり忘れちゃいました」
「勝手な奴」
「先輩には負けますよ。本当に面倒な人ですね」
「ほざいてんじゃねえぞ」
でもまぁ、これくらいが俺達にはちょうどいいのかもしれない。面倒な俺に惚れている面倒なこいつを俺も気に入ってるんだから、もうどうしようもないものなのだろう。
「ってことで、早速明日の当番代わってもらえませんかね?」
「安心しろ。縄標で縛りつけてでも図書室に連れて行ってやる」
「えぇ、もう先輩ったら熱烈なんだからー。そんなに俺のこと好きなんすかぁ?」
相手をするのが面倒な時があるのも事実だがな。鼻で馬鹿にした俺を不本意そうに見上げるきり丸の額を指で弾けば小気味いい音がして、ちょっと胸がすっとした。