空白議論

ぎゅっと傘を絞り、狙いを定めて入れ替わる。サバイバーからしたら大した音もなく、ただただ恐怖だろうと思う。范無咎が謝必安から入れ替わったその時見たものは、目の前に迫るナニカと、直後の赤い煙だった。


「…っ!」


小癪な。目隠しか。
己が逃げる時間を稼ぐためにこちらに危害を加えるのか。
この極悪人めが。

瞬間的に湧き上がった怒りと赤い煙が徐々に消えていくと、逃げたと思っていたサバイバーが居た。軍服を身に着けた女性は、何度かこのゲームで見たことがある。そうだ。この銃はこの子が撃つのだ。冴えない少年に撃たれたことしかなかったのですっかり忘れていたが、なるほど然り。軍人ならば銃くらい携帯もしているだろう。
范無咎はそう納得して、腑に落ちて、そして腑に落ちなくなった。

少なからず三秒、多めに見積もって五秒ほどこの場に足を止めてしまった。にもかかわらず、目の前の軍人女性はどうしてまだ視界に入る場所にいるのだろうか。


「貴女だったか」

「そうよ、お相手していただけますか、黒無常さん?」


言いながら背後の気配を気にする仕草に、范無咎は視線を遠くへ向けてみた。
杖を突きながら歩く少女と、ガタイの良い黒人の青年が居る。なるほど、仲間を逃がすために残ったのだろうか。サバイバーのくせに良い心がけだ。
窓枠…は超えずに壁の裏へ回り込むようにして走り出した彼女を、咄嗟に追いかける。思ったより身のこなしが早いように感じられる。倒されるであろう板を迂回しようとすれば、結局倒さずに引き返してきたりと読み合いも好きなようだ。


(少し変わってくれないか)


頭の中の呼びかけに「はあ?」と返すしか無い。武術面、ことに肉体の強靭さでは謝必安に負ける気がしない。眼の前の女性はすぐさま壁を利用して走り出してしまっているというのに。これだけ距離が近いのだから、それなりに早くてチカラのある自分が追うほうが良いにきまっている。…と思う。


(うるさい、少し黙っていろ)

(良いじゃないか。今日はもうさっき一人送り返しただろう、君が?しかもずうっと椅子の前でガルガルと…私だって少し働きたいのだがね)


確かに先程、レオが言っていたように妙に鬱陶しく感じられたスーツの男を椅子に座らせたところだ。認めたくはないが、謝必安のほうが表に出ている時間は短い。
謝るのも癪だったので無言で傘を回す。


「ふう…素直じゃないですねえ、全く」


ほっとけ。


「さて、空軍のお嬢さん。また会いましたね。」


入れ替わってチェイスするのかと思えば、謝必安は柵の反対側に居る女性へと声をかけた。足は完全に止まっている。一体どういったつもりなのか分からないが、頭の良い友人のことだから、心理戦でも持ちかけるのかもしれない。


「お久しぶりね、白無常さん。あなた足が速いから少し苦手なのよね」

「苦手ですか、それは寂しい……おっと、もう暗号機も残り一つですか。椅子前で番犬をするのは考えものですね」

「そうかしら。黄衣の王のようなタイプなら、ああして椅子前待機も戦略として成り立つと思うわ。攻撃の手段が豊富だもの」


声をかけられた瞬間にビクリとした以外は、女性はリラックスしたような顔で立っている。范無咎にはハンターが目の前に居るのに弛緩している彼女の考えも、同じようにゆったりと攻撃する気配のない謝必安の考えも全く読めない。
ただ、同じ場所を共有する者として、謝必安の心がとても穏やかに凪いでいることだけは分かる。


「ところで、いつになったら私の名前を覚えていただけるのでしょうね」

「申し訳ないけれど、ハンター側の方のお名前を覚えて帰ったら他の子たちに怒られそうだし、東洋の名前は呼び慣れないの。」

「謝必安。あなたが呼びやすいように呼んでください、マーサ嬢」


おえ。范無咎の素直な感想に、謝必安から心の中にわざとらしい咳払いをもらってしまった。
どうしてそうも、彼女の名前を呼ぶ時に穏やかで幸せそうな声をだすのだろう。それは敵だ。狩るべき相手だ。今すぐ動きだして殴れば余裕で吊れる!なのにどうして!


「シェイ、かしら。なんだか貴方の名乗りと発音が違うような気がするけれど…」

「それを言ってしまったら、私の『マーサ』の発音だって気になるのでは?お互い様ということにしておいていただけますか」

「それもそうね、そうしていただけると嬉しいわ」


ふんわり。そう表現するのが一番良いだろう。柔らかな笑みに、謝必安の心がトクリと動いたのが手に取るように分かる。可愛らしいというよりも美しい笑顔だ。誰しもが好感をいだきそうな笑顔に、范無咎は悟った。


(惚れたのか?)

(まさか。惚れ直したのさ)


では、今までずっと。
この軍人女性との追いかけっこの時は必ず謝必安が出てきていたのも。范無咎が彼女に撃たれたことがないのも。全て謝必安が良いように調整していたということなのだろう。なんと憎たらしい友人か。


(まあ、見る目はあるんだろうな)

(お前に見せたくなかったよ、今のは。今後も大人しく譲ってくれたまえよ)


それは保証できない。
言葉を返さなくてもそれはきっとバレバレだったと思う。






20181112 今昔

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