小説

1

遠近に常夜燈の灯りがにじむ。空気が薄氷を張ったように冷たく、颯々と吹く風が裸枝を揺らしていた。

「さむ……!」

藤堂はぶるりと身を震わせた。両手をポケットに入れたまま肩をすぼめる。そのまま空を見上げれば、澄んだ大気のせいか、いつも陽気な星が凍っているように感じた。

「隊長、私の故郷のほうがもっと寒いですよ」

隣を歩いていた男が言った。白く濁った息を吐きながら軽く笑う。

「この時期でしたらもう雪が積もっている筈です」
「へぇ、どれぐらい?」
「そうですね、山中にある田舎町でしたから……膝下ぐらいまででしょうか」

「ほぉ」と藤堂は溜め息のような相槌で返した。
二人は夜の飲食街を歩いていた。昼間は賑わう界隈だが、今はしんと静まり返っている。殆どの店が戸を閉めている中、一件だけ明かりがついていた。恐らく、酔って帰らない客に手を焼いているのだろう。ろれつの回らない男の声が僅かに聞こえてくる。

「遅くなったなぁ。悪いな、神崎。付き合わせてしまって」

店主に引きずり出されている男を通りすがりに見ながら藤堂は言った。藤堂の部下――神崎は軽く首を横に振る。

「悪いだなんて、仕事ですから」
「結局何もなかったし」
「良かったじゃないですか、杞憂に終わって」

背後から戸が勢いよく閉まる音がした。
藤堂達は今日一日、指名手配されている攘夷浪士を捜索していた。潜伏が疑われる旅籠屋へ足を運んだのだが、結局何もなかったのだ。

「ただ……珍しいですね。副長が隊長と自分、二人だけで調べてこいって言うのは」
「あぁ……誰でも良いから一人連れて行けって言われたから……俺が指名したんだ。腕が良いからな、お前は」
「光栄です。ありがとうございます」

神崎は笑顔を浮かべて礼を言った。
川に架かる反り橋の両側で、すっかり冬姿となった二本の柳が見えてきた。無数の細い枝が一定方向になびき、人の髪の毛のように見える。月明も相まってか不気味な風景を創り出していた。

「私には剣しかありません。故郷で畑を耕してばかりでは、せっかくの腕も錆びついてしまいます」
「そうだな、真選組はそんな奴ばかりだ」
「でも正直、残していった母が気になりますけどね」

橋を渡り終え、常夜燈すらない道に出る。今朝まで降っていた雨のせいか足元が泥濘るんでいた。

「働き手が私しかいないので、毎月仕送りはしているのですが、なにぶん食べ盛りの弟もいましてね。特に連絡はないので足りてるのだろうけど」

家族の姿を思い浮かべたのか、神崎は小さな息を洩らして笑った。藤堂はこの男の身の上話を聞くのは初めてだった。そもそも、八番隊は原田率いる十番隊のように皆で飲みに行くという事はない。プライベートな事を聞く機会はなく、部下達とは割り切った関係だった。

身を切るような寒風が再び藤堂の体を震えさせる。静かな界隈は土壁が崩れかけている古民家があるだけで、月だけが二人の後を追っていた。
攘夷浪士の捜索が終わり、後は屯所へ戻るだけであった。藤堂がパトカーではなく徒歩を選んだのだ。

「隊長、まだ他に用事でも」

神崎が尋ねた。戻るだけでいい筈なのに何故か遠回りをしている事に気付いたのだ。藤堂は立ち止まり、ややうつむき加減でバンダナ頭をひと掻きした。神崎は怪訝に眉をひそめる。

「もうひとつ、副長から言われていてね」

そういうが同時に藤堂は抜刀した。身を捻り、なんと、つい先程まで雑談していた神崎に刃を向けた。躊躇なく斜めに振り下ろした刀が一閃する。刃鳴りのすぐ後に飛んできた小刀を屈んで避け、そのまま流れる動きで脛を狙った。

「気付かれていましたか」

後方へ大きく飛んで避けた神崎は静かに言い放った。上司からの奇襲に、一瞬、驚いた表情を見せたものの動揺している様子はない。その初撃で負ったのだろう、僅かに震える右肩から血が溢れ出ていた。
藤堂は土方から浪士の捜索の他に隊士の粛清も命じられていた。それがこの神崎という男だった。数週間前から密偵の疑いがかけられていたのだが、先日、監察方によって証拠が得られたのだ。

「私には帰らなければならない理由がある。ここで死ぬ訳にはいかない!」

気迫のこもった雄叫びと共に神崎は地を蹴って抜刀した。走るような勢いで前へ出た神崎は、藤堂の頭上に刀を飛ばせた。藤堂は猛然と迫る攻めをかろうじてしのぎ、直ぐ様横面へ斬り込む。刀身が合わさる音が宙に響き、刃こぼれの青い光が闇夜に走った。
神崎は平隊士の中でも目立って腕が良い。藤堂は彼が入隊した時から何度も稽古をつけていたので良く知っていた。だからこそ、彼が密偵だと言われた時はひどく驚いた。何かの間違いではないかと返したのだが、確実な証拠を見せられては否定しようもない。

神崎は地面をも割る勢いで斬り込んできた。それを藤堂は身をひらいて避ける。神崎は細い体格のわりに力が強い。それでいて機敏な動きで相手の攻めを回避し、巧みな刀捌きで降り注ぐ白刃を弾いていく。攻守共に出来る男だ。
“私には剣しかない”神崎はそう言っていたが実はまさにその通りだった。彼は少々知能が欠けており、加えて酒癖も悪い。酔うと所構わず誰かの胸倉を掴んでねじ伏せようとする。藤堂は何回仲裁に入った事やら。

そんな彼が故郷に残した家族を想い戦っている。いや、敵方の本拠地で寝食していた彼は、日常生活そのものが戦いだったのだろう。勤務中でない時でさえ気の抜けない日々を送っていた筈だ。
一体いつからそんな事になっていたのか、もしや入隊当初からだったのか――彼の正体を知った時から幾度となく考えていた事が粛清の場になって再び蘇ってきた。ダメだ、余計な事を考えていては殺られてしまう、藤堂は自分を叱咤した。

神崎の刀身が右下からはねあがってくるのをしのぎ、前へ走り抜けながら足を払った。神崎は避けようとしたが、泥濘るんだ地に足を滑らせ体勢を崩してしまう。
絶好の隙が出来た。藤堂は前のめりになった神崎の右腕を目掛け、電光のような突きを繰り出す。噴いた血と共に刀が宙を飛んだ。

――神崎の刀が濡れた地についた時、傍で鬱蒼と生い茂る常緑樹が動いた。野犬かと思った瞬間、別の白刃が横合いから飛び出してきた。

「っ!?」

避けきれなかった藤堂の腰を抉っていく。よろめく藤堂に拝み打ちが降ってきた。歯をくいしばり、地を踏み締めて力任せに弾き返す。
新手か?と突如出てきた黒影を見た。浪人体のがたいが良い男だった。神崎が助けを呼ぶ暇なんてなかった筈――そう思っていると真っ暗な通りにガンドウの灯火がいくつも現れる。それは瞬く間に藤堂の前方に広がっていった。

「仲間割れに遭遇するとはのう」

不意討ちを掛けてきた男が含み笑いをした。
まさかの別件らしい。藤堂は自分の運の悪さを呪わざるを得なかった。

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