小説 2

武州の正月 1

灰色に連なる冬木の間から、静かな陽光が青白い筋となって地面に差し込む。新しい年が幕を開け、長閑な集落では様々な催し物が行われていた。町の一角にある神社では、毎年恒例の新春武術大会が開催されている。腕に自信がある者が集まり、優勝賞品の米三俵と己の名誉を懸けて戦うのだ。
大会には、門下生を率いて参加する道場もある。道場の看板を背負った門下生達は、皆一様に闘志を燃やして竹刀を振るった。
町をあげての大会なのだが、剣豪が集まる近藤道場の者達は出場せず、古汚い道場内で新年の時を過ごしていた。

「近藤さぁーん、おーとーしーだーまー」

総悟が道場の端から端まで、袴に細かなイ草を付けながらゴロゴロと転がっていく。胡座を掻いて座っている近藤の前を、亜麻色の子供が通り過ぎていった。

「うーん、いや、だからな、その……餅なんかは」
「お金がいい」

腕を組む近藤の目の前で、転がっていた総悟がピタリと止まる。大きな蘇芳色に見つめられ、近藤の口から小さな呻き声を漏れた。

「まだ言ってたのかお前」

土方が頭を掻きながら道場に入ってきた。引き戸を滑らせる黒髪の男を、総悟はむっとした表情で見返す。

「終はくれたし」
「アイツぁ金持ってんだ」

閉まりにくいのか、土方は眉を寄せながら、がたがたと引き戸を揺らしていた。
総悟は口をへの字に曲げたまま起き上がる。傍にあった煎餅を一枚手に取った時「あ」と声を上げた。

「そういやぁ、今年は武術大会出ないんですか?」

煎餅をかじりながら言った総悟の言葉に、土方の動きがぴたりと止まる。近藤は「あぁ…」と呟くような小さな声を出して天井を仰いだ。

「実はだな……ほら、去年のあの騒動でな……無期限出場停止をくらってしまったんだ」

はぁ、と深い溜め息と共に近藤は俯く。髷を結った黒い頭の周りには、幾つもの青い火の玉が揺らいでいた。
近藤勲率いる近藤道場の面々は、去年の武術大会には出場していた。ただ、十五歳以上という年齢制限がある為に、総悟は参戦できなかった。
巷の評判はすこぶる悪いが、剣豪揃いの近藤道場。勇猛な戦いで順調に勝ち進んでいった。そんな中、土方に恨みを持つ輩が現れる。過去に喧嘩で滅多打ちにされたらしいが、本人は欠片も覚えていなかった。憤怒した相手は試合を放棄し、土方に襲い掛かった。相手に仲間がいたらしく、一緒になって襲いかかる。突然始まった喧嘩に、原田は喜んで参戦する。止めに入った永倉までもが、背丈の事を突かれて激怒し、喧嘩の輪に入る。
――結果、会場は滅茶苦茶となり、辺りには巻き添えを食らった者達が、呻き声を出しながら転がっていた。斉藤の口からフォローできないと言わせる程の惨劇となる。
後日、菓子折り……という名の自家製野菜の盛り合わせを持って、主催者に謝りに行くが「もう来ないでくれ」と扉を閉められる始末になった。

「えぇーっ!!じゃあ俺十五になっても出られねぇってわけ?!うわぁー死んで詫びろよ土方」
「うっせぇよ!あっちが喧嘩売ってきやがっ……てか、お前もどさくさに紛れて暴れてたじゃねぇか!!」

土方はそう怒鳴ると、揺らしていた引き戸から手を離し、総悟の頭を押さえつける。そして、取っ組み合いの喧嘩になった。
近藤の目前で始まった喧嘩だが、この程度じゃあ止めはしない――と、いうより、彼は今、一年前の出来事を思い出しているのか、意気消沈していた。

「只今帰りました」

閉められずにいた引き戸から永倉が現れた。寒そうに手を擦り合わしている小柄な青年に続いて、原田、藤堂、井上が入ってくる。
近藤は顔を上げた。

「おぉ、おかえり。寒かっただろう」
「餅配ってたからもらってきたぜ」

原田が得意げに片手に持つ紙袋を上げ、歯を見せて笑う。永倉は目尻を吊り上げて原田を指差した。

「コイツ、ありったけの餅をもらおうとしてたんですよ」
「タダでもらえるもん、たんまりもらった方がいいじゃねぇか」

原田は餅の入った紙袋を近藤に渡す。土方の脇をすり抜けた総悟が、紙袋の中を覗いた。

「つきたて?」
「大根下ろしと醤油で食べたら美味いぞー!」

先程の元気のなさは何処へやら、近藤は満面の笑みで餅を取り出す。粉の付いた紙にくるまれた餅を並べていると、その隣で、井上が持っていた箱を置いて座った。箱は装飾が施されており、見るからに普通ではない。近藤は首を傾げる。

「源さん、それは何だ?」

井上が近藤の問いに答える前に、原田が身を乗り出した。

「あ!そうだ!!源さんすげぇんだぜ!佐助んとこでやってたくじで一等当てたんだ!!」

近藤は感嘆の声を上げる。

「正月から縁起がいいなぁ!それでこれがその賞品なんだな!」
「なになに?!何が当たったんでィ!!」

総悟も大きな目をキラキラと輝かせて箱を見ていた。井上が箱に手を掛ける。

「確か、最上級の肉だったか」

箱を開けると、白い紙に包まれた生肉が現れた。柔らかい赤身の中に、きめ細やかな脂肪が入った見事な霜降り肉。近藤は眩しい物を見るかのように、腕で顔を庇い目を細めた。

「お、おおおおお!!感じた事もない高級な気が波のように押し寄せてくる!!」
「へぇ、これはまた上等な肉だな」

土方も興味深そうに箱の中を覗いていた。
総悟はゴクリと生唾を飲む。子供の価値観では、この肉がどれ程高級なものか分からない。だが、彼の目には、色鮮やかな赤身が美味しそうに見えていた。

「早速焼きやしょうよ!近藤さん!!」
「そうだな……でも、これをみんなで分けようとすれば……」

近藤は眉をひそめる。肉の大きさは大体、成人男性の手の平より少し大きいぐらい。結構分厚く、手の指先から第二関節ぐらいまである。

「薄く切ったらいいかな」

近藤は顎を撫でながら言った。しかし、総悟は不満げな声を出す。

「分厚いやつが食べたいでさァ。だから、こう切ってくだせェ」

肉を縦に切る仕草をする総悟を見た近藤は、口を横一文字にして唸った。

「それを七人で分けるとだな……」
「俺と近藤さん、源さんと凹助の四人でいいでしょ」
「なんでだよ」

省かれた土方が総悟を睨む。総悟は肉の入った箱を抱え、土方から遠ざけた。

「武術大会出場できなくした奴らに肉食う資格はねぇ」
「お前もだろうがァァァ!!!」

土方と永倉、原田の三人が同時に声を上げる。傍らでは藤堂が苦笑いをしていた。去年、彼は近藤達と出会っていなかった為、騒動の事は知らない。
近藤が慰めるように亜麻色の頭を撫でる。

「総悟。大会に出られなくて残念な気持ちも分かるがここは……お!そうだ!!」

近藤は手の平を拳で打ち、肉が入った箱を持って勢いよく立ち上がる。そして、掛け軸が掛けられている床の間の前まで行き、くるりと振り返って皆の方を向いた。

「この肉を掛けて皆で勝負をすればいいんじゃないか?名付けて、第一回新春近藤道場武術大会!!」

近藤は箱を掲げて豪快に笑い、どうだと言わんばかりに皆を見回す。原田が賛成の拍手をした。

「そいつぁ面白そうだ!!食い物がかかるんだったら負けられねぇよ!!」

そう言い、隣で座る藤堂の肩を抱いて引き寄せる。立てた親指を向けて二カリと笑い掛けた。

「おめぇもやるだろ?!」
「あ、あぁ……近藤さんが言うのなら」

藤堂はぎこちなく返事をする。近藤は人差し指で腕を掻きながら前を見据えた。

「対戦相手はどうやって決めようか」
「その前にこの餅食いやしょうや」

総悟は下を指差す。そこには、高級肉に負けて並べたままにされている餅があった。

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