小説 2

*(突発文)

畳敷きの大部屋に近藤、土方、そして各隊長が座っていた。幹部会議を行う為に集まっているのだが、開始時刻になっても始まらない。灰皿に高々と積まれた吸い殻が、鬼の副長の苛立ち具合を示している。

「……何やってやがるんだ」

土方は舌打ちをする。隣に座る近藤も眉尻を下げて首を傾げていた。

「珍しいなぁ……もしかして忘れてるとか?」

一番隊隊長が遅刻する事は多々ある。しかし、彼にしては珍しく、開始五分前にはきちんと席についており、愛用のアイマスクを掛けて壁に保たれていた。

「んなわけないと思うぜ。朝食ん時言ってたし」

大欠伸をした原田が目を擦りながら言った。近藤は「ふむ」とひと唸りし、机の上にある紙を手に取った。

「さすがに今回の件は、監察方の報告なしでは進められんからなぁ……」

そう言い、溜め息を吐く。『かぶき町無差別殺人事件』と書かれた紙が、生温かい風に当たり僅かに揺れた。

――今、江戸では謎の殺人事件が頻発していた。第一と第二の殺人事件がかぶき町であった為に『かぶき町無差別殺人事件』と言われているだけで、現在は特定されておらず、江戸全域で発生していた。殺害方法は、斬殺、銃殺、絞殺、と様々で、被害者も老若男女、浪士、商人、学生、主婦、身分問わずまさに無差別、といった感じだった。
江戸の治安を守る真選組は、監察方総出で犯人の手掛かりを探していた。しかし、全くといっていい程に上がってこない。手を焼いている真選組を嘲笑うかのように、事件は次々と起こっていた。

そうして、今、その監察方筆頭である山崎を待っているのだが、一向に来ない。直属の上司である土方の怒りは、沸点を超えようとしていた。
憤怒のマグマを誰よりも近くで感じている近藤は、ゆっくりとした動作で隣の男に目を遣った。鬼の形相、という一言では片付けられない程の顔がそこにあった。

「ト、トシ。携帯に連絡は」
「した」

短く返答した土方の傍には、真っ二つに折られた無惨な携帯電話があった。それに気付いた近藤の目が、飛び出さんばかりに見開く。

「そ、そそそうか」

この度重なる殺人事件は、勿論御上の耳に入っている。数日ごとに寄せられる警察庁長官、松平からの嫌み皮肉は半端なものではなかった。土方の中には、相当なストレスが溜まっていると考えられる。

「だ、誰か見なかったか?」

近藤は声を上擦らせながら隊長達を見回した。すると、壁に保たれる沖田が、アイマスクを額まで上げて手を挙げる。

「俺、さっき見やしたぜ」
「え!何処で」
「夢の中で」

煮えたぎっていたマグマが噴火した。解き放たれた銀色の刀が、亜麻色に襲い掛かる。避けられた白刃は、壁を深く抉っていった。

「……呼びに行きましょうか?」

何度も唸りを上げる刃鳴りの中、斉藤が冷静に言う。近藤は滝涙を流しながら何度も頷いた。



空一面に覆う厚い雲が太陽を隠していた。身長の高低差がある二人が縁側を歩いていた。呼びに行くと言った斉藤に、永倉もついて行った。すぐ隣で起こった喧嘩に巻き込まれないように避難をしたのだ。

「誰も知らないのかよ」

永倉はそう言い、溜め息を吐く。監察方の部屋は勿論の事、食堂、事務室、はたまた厠まで見に行ったがいない。擦れ違う隊士達に行方を聞くも、皆、首を横に振った。
斉藤は耳から携帯電話を離す。液晶画面を見つめ、ひとつ息を吐くと、呼び出し音が鳴り続けるそれを閉じた。

「どうしたんだろうね……急用ができたのなら連絡するだろうに」

無断で会議に出ないなど、山崎にとっては有り得ない事だ。原田と朝食を取った後の行方が分からない。二人は屯所敷地内を一周回ってみる事にした。前方に、道場の瓦屋根が見えてきた。竹刀の音や矢声が聞こえてこないので、今は誰も稽古をしていないと思われる。
空から小さな粒が落ちてきた。石畳の鼠色が、点々と濃くなり、そして消える。

「…!」

斉藤の足が止まった。吹き出した風が、雨のにおいではない、なまぐさいにおいを運んできたのだ。
永倉も感じ取り、鋭い双眼で辺りを見回す。嫌な予感が背筋を走り抜け、思わず腰の刀に手を当てた。

「何……敵、か?」

永倉は声を落として斉藤に問う。すぐにでも抜刀できる体勢でいる永倉に対し、斉藤は刀に手を掛けていない。眉をひそめたまま、無言で気配を探っていた。

「!」

裏庭へ続く敷石から縁側の下に掛けて、血が転々と散らばっていた。それに気付いた斉藤は、縁側を降り、血が続いている道場の方へ行く。永倉も後に続いた。
血が示した先には、道場の壁に保たれ掛かるようにして倒れている隊士がいた。

「篠原!」

永倉がその名を叫ぶ。篠原は苦しそうに顔を歪めて、太股を押さえていた。しゃがんで状態を見た斉藤の眉根が寄る。

「これは……」

深々と刺さっているそれは、クナイだった。篠原の両手は噴き出す血で濡れている。他にも、隊服が所々切り裂かれ、覗いている肌からは血が滲み出ていた。

「大丈夫か?!誰にやられた?!」

永倉は篠原の両肩を持つ。篠原は顔にいくつもの脂汗を浮かせながら顔を上げた。

「永倉、さん、駄目ですよ……あそこは」
「は?!おま、何言って」
「忠告してあげたのに……」

篠原は虚ろな目で、母屋の屋根の方を見る。永倉がその方を見ようと振り向き掛けたその時――突如、斉藤が立ち上がり、抜刀しながら二人の前に躍り出た。弾けるような金属音が数回鳴り響く。一本のクナイが、振り返った永倉の足元に落ちていった。

「だから言ったんだ……全く、あの人は」

篠原は依然、屋根の上を見つめていた。諦めたような力無い声が、降り出した雨音の中に消えていく。永倉は信じられないと言った面持ちで、瓦敷きの屋根を見上げていた。高めに結った茶髪の向こうで、黒い服を着た見慣れた青年が、三人を見据えていた。

「……え、やま、ざき?」

永倉が呟く。つい先程まで探していた人物が、永倉達に向かって、凍てつくような殺意を放っていた。
殺意は鋭利な鉄の塊となり、矢のように飛んできた。斉藤は刀を左右に動かして弾き飛ばす。発せられる甲高い音から、考えられない程の重い衝撃が、刀を持つ両手に伝わり、それは痺れとなって斉藤の腕を襲う。想定外の力を受け、斉藤の動きが鈍る。山崎は弾丸のような早さで斉藤の前まで迫り、凄まじい回し蹴りを繰り出した。斉藤は咄嗟に腕を立てて猛撃を防ぐ。飛ばされまいと踏み締めた両足が地面を滑っていった。
痛みに顔をしかめて、間近まで来た山崎の顔を見ると、瞳孔が開き切っていた。驚く間もなく目前に小刀が閃く。半身に開いて避けた斉藤の横から、永倉が小刀を持つ山崎の伸びた腕をとらえた。素早く懐に入り込み、胸倉を掴んで引き倒す。離れた忍刀が、濡れた地面を回転しながら滑っていった。

「おいこら!山崎!!一体どうし」

仰向けの山崎に跨る永倉の背が凍り付いた。離れた筈の小刀が再び山崎の手に握られていたのだ。細長い剣尖が永倉の脇腹に襲い掛かる。だが間一髪、斉藤が永倉を抱えて離した為、貫かれる事はなかった。
自由になった山崎は、すぐ様、後方へ飛んで間合いを空ける。

「なんなわけアイツ……あんぱんでも拾い食いしたのか?」

自分で言っておきながら有り得ないと永倉は思った。斉藤は肩を上下に揺らしながら、山崎を見据えている。

「強さが桁違いだ……本当に山崎?」
「山崎さんですよ」

背後から篠原が呟くように話し始める。

「ahv-32……」
「え?」
「山崎さんが持っています……でも、これ以上関わっては駄目だ、これ以上は」

前方からピチャリと水音がなる。両手にクナイを持った山崎が、狂気に目を光らせ、三人に近付いてきた。



行き過ぎた喧嘩は、最年長の一声で収まった。雨が瓦屋根を叩く音がする。斉藤と永倉が部屋を出てから、一時間程経過した時だった。

「外、騒がしくないですか?」

聴覚が敏感な藤堂が立ち上がった。近藤に宥められていた土方の片眉が上がる。

「あぁ?」
「刀同士がぶつかる音」
「…何?」

藤堂の言葉に眉をひそめた土方が、耳を澄ますも、雨音だけしか入ってこない。
土方だけではなく、他の隊長達も首を傾げている。藤堂が襖を空けたその時、平隊士が転がり込むように入ってきた。

「どうしたんだ?!」

尋常ではない隊士の元へ、近藤は慌てて駆け寄った。畳に両膝をつき、荒い息を整えていた隊士は、悲痛な顔を近藤に向ける。

「山崎さんがおかしいんです!!なんとかしてください!!」
「はぁ?!」

近藤と同じく、何事かと駆け寄ってきた原田が声を上げた。

「おかしいってなんだよ?!」
「何処にいる?屯所内か?」

近藤は隊士の肩に手を置き、青ざめた顔を覗き込む。藤堂の姿はもうなかった。
隊士に案内され、近藤は部屋を出て行く。他の隊長も後に続いた。

「…」

土方は険しい顔で頭を掻く。山崎とは早朝に会っていた。報告したい事があるから、幹部会議に同席させてほしいと彼は言った。
密偵の任務を終え、深夜に戻ってきたらしい。有力な情報を掴んだのだろう、土方はそう思っていた。

「変身でもしたんですかね?」

緊張した場に似合わぬ間延びした声がした。その方を見れば、沖田が無表情に近い顔で立っていた。

「何にだよ」
「ゴム人間になったとか、金色になった髪が逆立ったとか」
「くだらん」

何故聞いてしまったのだろう。土方は溜め息を吐いて、前方を見た。もう部屋には二人しかいなかった。

「土方さん」

縁側と部屋を隔てる柱に手を付いた時、先程とは打って変わった真剣な声がした。振り返ると、真っ直ぐに見つめてくる蘇芳色の目がそこにあった。

「くだらない話をもうひとつ」

額に掛かっていたアイマスクを取り、無造作にポケットの中へ突っ込みながら歩き出す。

「夢の中でね、アンタが山崎に刺されて死んだんです」

沖田は土方の方を見ずに、その横を通り過ぎる。去りゆく亜麻色を見る土方の頬に、風に乗ってきた雨粒が掛かった。

「……くだらん」

冷たい水音が土方の声を掻き消す。軒から落ちた雨だれが小砂利に吸われていった。




一度雑記であげた文。
続きを考えようとしたけど、既出なことばかり思いつき、それではつまらないと思って断念した話。


戻る

- ナノ -