小説 2

導かれた出会い

(永倉)



緑豊かな山に囲まれた集落の中に、一際大きな武家屋敷があった。木の引き戸の上に松を這わせて屋根とした門被りの下に、癖のある黒髪をした小柄な青年が立っていた。元藩の取次役である永倉家の長男、永倉新七が両親に見送られ、今、旅に出ようとしていた。

「お前が決めた事だ。強くなりたい、という気持ち、生半可なものではない事を見せてくれ」
「はい」

父親の言葉に永倉は力強く頷いた。
彼より少し背丈が低い母親が、着物の裾を探りながら歩み寄る。

「御守りです」

母親はそう言うと、赤い小さな巾着袋を差し出した。それを見た永倉は、目を見開かせて驚きを露わにする。

「母さん!これって」
「良いのです」

母親は永倉の手を取り、小さな袋を握らせた。
永倉は袋の中身を知っていた。それは小さな水晶玉、亡くなった祖母の物――つまり、母の生みの親の形見であった。
そんな大切な物を。永倉は自分の手に重なっている母の手を見つめていた。暖かい温もりが伝わってくる。

「きっと、あなたを良い方向へ導いてくれる筈ですよ。どんなに離れていても、母はあなたを見守っています。気を付けて」

ゆっくりとした動作で永倉の手から離れ、笑顔を浮かべた。
さわさわと吹く秋風が、花の良いにおいを運んでくる。旅立ちの空は、清々しく澄み切っていた。



月明かりも遮られる程の暗い森の中、永倉は、茂る樹木の間を縫うように走り抜けていた。その背後で、幾多の提灯の光が列を成している。男達の野太い怒声が闇夜に響いていた。

「待てやコラァァァ!!!」
「逃げんじゃねぇ!!!」

永倉は走りながら後ろを振り向く。自分を追ってくる無数の灯火が見えた。

「っ、しつこい…!」

顔をしかめて舌打ちをし、再び前を向いた。枯れ葉を踏みしめ、小枝を割り、鬱蒼とした森を駆け抜ける。軽快な跳躍で岩を飛び越え、肩に背負っている荷物を担ぎ直し、ひたすら走っていた。

「このクソガキがァァァ!!!」

一際、大きな怒号が沸いた瞬間、永倉の眉が動く。片足を滑らせて止まり、勢いよく振り向いた。

「だから俺はガキじゃないって、さっきから言ってるだろうがァァァ!!!」

永倉は青筋を浮かべ、腰に携えていた木刀を抜く。雄叫びを上げて襲い掛かる男達の塊の中に、躊躇なく飛び込んでいった。
降ってきた木の棒を払い退け、懐に潜り、柄頭を突き上げて顎を割る。詰め寄ってくる巨漢に向かって、力任せに木刀を打ち込んだ。
小柄な体格を駆使した俊敏な攻撃に、男達が次々と倒れ伏していく。しかし、憤怒の声は一向に収まらない。むしろ、ひどくなるばかりであった。

「なめんじゃねぇ!!」

男が叫んだ。永倉の視界に剣光が閃く。一歩下がった瞬間、背中を大木に打ち付けた。同時に、胸元の服が切り裂かれ、剣尖が鼻先を掠る。永倉は刃物を持つ男を蹴り退け、身を低くして横に回り、擦れ違い様に脇腹を打った。
頭に鈍痛が走った。間近で刃鳴りが沸く。六角棒が連なる中、ちらほらと刀刃が見えた。
渦巻く覇気が熱気となって放たれる。このままではなぶり殺される、危機感を抱いた永倉は、左右から振ってくる攻めを交わしながら、再び走り出した。



森を抜けると古い小さな神社があった。男達を振り切った永倉は、苔が生えた石柱の元に座り込む。両肩を激しく上下に揺らしながら息を整え、最後にひとつ大きな溜め息を吐いた。

「疲れた……」

情けない声が誰もいない界隈に響く。柱に保たれ、空に浮かぶ半月を見上げた。
先程の男達は、この辺りを縄張りとする賊だと思われる。前日に滞在していた集落を離れ、次の集落へ行く道中に襲われた。最初、四人程だったのだが、倒していく内に、気付けば大軍になっていた。
賊に襲われることは慣れていた。どういうわけか、良く襲われるのだ――いや、理由は分かっていた。
背だ。年齢の割には背丈が低かった。そもそも、両親も低い方であるが為に仕方がない、といえば仕方がない。永倉は今年で18になるが、顔立ちも童顔な為に、12、3に見られる事が多かった。
老けて見られるより、若々しく見られる方が良いかもしれない。だが、今まで襲ってきた賊達のように、殆どの者達は、初見で永倉を子供だと思ってみくびっていた。
その事に関して、激しい嫌悪感を抱く永倉は、見返してやろうと剣の腕を磨いてきた。その成果あってか、地元では、彼の右に出る者はいなくなった。
そうなると、もっと上を目指したくなる。永倉は両親の許しを得て、武者修行の旅に出たのだ。

今、何刻頃だろうか。しん、と静まり返る深い闇の中、疲労も相まって睡魔が襲ってきた。
何処か泊まれる場所を探すのも億劫で、もうこのまま寝てしまおうと瞼を閉じる。しかし、次の瞬間、真横で砂が鳴り、目を開けてその方を見た。

「こんな時間にどうした」

一瞬、追ってきた賊かと思い、心臓を跳ね上がらせたが違ったようだ。提灯に照らされ、人影が露わになる。髷を結った若い男が、心配そうに眉尻を下げていた。
永倉が無言で見つめていると、男はその顔を覗き込むようにしてしゃがみ込む。永倉の顔の端が、赤黒く染まっているのに気付いたのか、眉をひそめた。

「……怪我をしているじゃないか。もしかして、賊に襲われて親とはぐれてしまったとか?」

半分正解残りは違う。永倉はかぶりを振った。

「賊には襲わ」
「そうかやはりか!最近この辺りは悪者が暴れていてな。でももう大丈夫だぞ!!安心しろ!!」

男は大きな手を永倉の肩に置き、歯茎を見せた。
この男の視界に、首を横に振った自分の姿が、映らなかったのだろうか。何か言ってやろうと思い、男の顔を見た瞬間、自分の中で張り詰めていた気が緩んでいった。
男は間違いなく、自分の事を親と離れた迷い子だと勘違いしている。普段なら声を大にして否定するところなのだが、不思議な事に、その気が消え失せてしまったのだ。
疲れているせいだ、永倉はそう思った。

「奉行所より俺の所の方が近い。一緒に来い。立てるか?あ、負ぶった方がいいかな」

男はそう言うと、永倉に背中を向ける。さぁ来いと言わんばかりに、おんぶの格好をした男に対して、永倉は焦った。

「あ、いや、立てます」
「ん?遠慮する事はないぞ。良く総悟を負ぶってるから」
「ほんとに大丈夫です!ほら!」

永倉は素早く立ち上がる。軽い眩暈がしたが我慢した。男は背中を差し出したまま、顔だけを永倉に向けて瞬きをする。

「そうか……君は照れ屋さんだな」

男は立ち上がり顎を掻く。そして、上体を傾けて永倉の頭に手を置いた。

「じゃあ行こうか。名乗っていなかったな。俺は近藤勲だ。君は?」
「…永倉、新七です」

永倉は呟くように答える。

「新七君か!俺の道場にな、君と同じぐらいの年の子が通っているんだ!良かったら友達になってやってくれ」

その子が一体何歳なのか、とてもではないが聞けなかった。
勢いに乗せられ、髷を結った男――近藤勲の家へ行く事になった。しかし、何がともあれ、今し方、賊から逃げてきたところだ。野宿より、屋根のある場所で寝る方が安全である。ここは近藤の好意に甘えることにし、素直についていく事にした。
道中、手を繋ぐ事を求められたが、やんわりと断った。




初めて永倉が武州に来た話。
二年以上前に、一度上げて引っ込めたものにたくさん付け加えました。
永倉が武州に来たお話書くよ〜、と言いながら数年すっぽかしてました。自分で考えたキャラクターの過去話を表に出すのは、なんだか恥ずかしくて躊躇します。

この後、実は賊と戦っていた時に御守りを落としていて、それを探しながら、また例の賊が現れてなんやかんやといった話になる予定なのですが、また機会があれば。


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