小説 2

ハッピー☆バレンタイン

(武州時代・沖田姉弟)


瓦敷きの屋根に降り注ぐ冷たい雨は更に気温を低下させ、道行く人々の身を丸くさせた。連日、肌を刺すような寒風が、田圃の畦道に生える枯れた狗尾草を揺らしている。唯一、次第に長くなる日照時間が春の兆しを感じさせていた。

土間にある小さな格子窓から湯気が上がり、味噌の良い香りと共に寒空の中に溶けてゆく。夕飯の準備を終えたミツバは居間に戻り、着物の裾を捲って火鉢の隅の灰に刺してある火箸を取った。

「姉上!ただいま!」

表口から甲高い声がした。炭を転がしていた手を止め、顔を上げると亜麻色の髪をした子供が紙袋を持って近寄ってくる姿が目に入る。

「総ちゃん、おかえりなさい」

総悟が近藤道場から帰ってきた。ミツバの元に座り、持っていた紙袋を畳の上に置く。

「これ、チョコレートです!」
「まぁ!」

ミツバは声を上げ、胸の前で手を合わせた。
今日はバレンタインだ。女性から男性に天人が持ち込んだ甘味である『チョコレート』を渡すイベント。女性がチョコレートと共に秘めたる想いを告げる日だ。そんな事は関係なく、義理で渡される物もある。

「頂いたの?良かったわね」

想いの有無はどうであれ、女の子から物をもらったのだ。ミツバは自分の知らぬ間に弟の交友関係が広がっていた事に喜んだ。
しかし、総悟は紙袋の中の物を出そうとしていた動作を止め、目を丸くして首を傾げる。

「もらってませんよ」
「え?じゃあこれは」

ミツバの前に出された箱は、決して大きくはない。大人の手の平サイズの桃色の箱だ。総悟はまるで分かっていない姉に対して両頬を膨らませた。

「姉上にですよ!ボクから!」
「私に?」
「近藤さんが言っていたんです。今日は大切な人にチョコレートをあげる日だって」

ミツバは今朝、総悟が小さな布袋を持って道場に行っていた事を思い出した。その袋には総悟が貯めたお小遣いが入っている。いつもは持っていかない物なので、一瞬疑問に感じたが、今日は町へ買い物に行くのだろうと思い、大して気にはしなかった。
近藤は女性から男性に、とは言っていなかったのだろう。ミツバは口をへの字に曲げている総悟の頭に手を置く。

「ごめんなさい、そうだったわね。私からも総ちゃんにあるのよ。交換しましょ」

拗ねていた総悟の顔がパッと明るくなる。ミツバはふわりと笑い、亜麻色頭を撫でた。そして、買っておいたチョコレートを取りに行こうと立ち上がる。すると突如、総悟がミツバに抱きついた。

「どうしたの?」
「へへっ…!両想いだ」

総悟は笑いながらミツバの着物の帯に、薄く紅潮させた片頬を付けた。

「土方のヤローはチョコ買ってなかったんでさァ!だから、姉上はボクだけと両想い」
「あらあら」

ミツバは微笑みながら総悟の頭を抱えるように腕を回した。

「でしょ?」

蘇芳色の大きな瞳がミツバに向けられる。

「そうね、総ちゃんだーい好き!」
「ボクも姉上だぁーい好き!」

火鉢からパチパチと乾いた音が小さく鳴る。抱き合う二人の影が襖に映し出されていた。





はっぴーばれんたいん!


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