二万打感謝企画

窮地の言霊 1

(沖田、永倉)


隣を流れる川は先日の大雨で増水し、茶色の水が、飛沫をあげながら激しく流れている。片方には土手、もう片方には樹木が茂る川沿いを歩きながら沖田は大きな欠伸をした。両の手はポケットに入ったまま。人前で欠伸をする事は無礼だというが反射的に出るのだ、仕方がない。

「…オイコラ。聞いてんのか?」

不機嫌そうな声音が濁流の音に混じってきた。話をしている途中で、堂々とした欠伸を見せられた者の反応としては当たり前か。沖田は立ち止まり、目の端に涙を溜めたまま声の主を探すように辺りを見回した。

「……誰もいねぇ。気のせいか」

この声の主を怒らせるには、欠伸を噛み殺すより安易なこと。いつも面白いぐらいに食いついてくれる。

「見えてるだろ。わざとだろ、お前」

もちろんその通りである。沖田の視界の下辺りで黒髪の青年――二番隊隊長、永倉新七が青筋を浮かべ、わなわなと肩を震わせていた。
もうひと押しからかっておくか、沖田は彼の頭上から自分の顔の前まで、長さを測るように両手を広げた。

「後30センチは伸びてくれねぇと視界に入らねぇや」
「その目、二度と見えないようにしてやろうか」

土方と同じく、抜刀癖のある永倉は、刀の柄に手を掛けて鯉口を切る。それは、ただの威嚇ではなく、本気で斬りかかってくるのが常だ。沖田は仕方なく、先程投げ掛けられた彼の質問に答えた。

「昨日五人、今日でもう四人やられてらァ」

奥底に潜んでいた憤りの感情が、僅かにできた隙間からにじみでた。だから答えたくなかったんだ、沖田は溜め息を吐いた。

――数日前から真選組隊士が、何者かに襲われ殺されるという事件が多発していた。隊士達は、常日頃から厳しい鍛錬を受けている。何人もの剣豪達の命を奪う程の手練れ‘何者か’は、監察方の調べによって分かっていた。
永倉は、抜き掛けていた刀を納める。

「討ち損じた奴が集めた奴等だよなー」
「あぁ」

永倉は‘誰が’討ち損ねたのかは言っていない。だが、沖田は聞かなくとも分かっていた。
それは、一番隊が先陣を切り、討ち入りに行った時のことだった。一番隊の隊士ではない――隊長である沖田が討ち損じた。だから、先程、投げ掛けられた「何人やられてたんだっけ?」という永倉の問いに答えたくなかった。亜麻色の頭をボリボリと掻き再び歩き出す。

「山崎が言ってた場所はもうちょいかなぁ」

そう言い、一緒に歩き出したこの小柄な青年は、沖田が討ち損じたから、今になって隊士達が犠牲になっている――そんな事は一々気にしない質だ。それは決して、犠牲になった隊士達の命を軽視しているわけではない。結果は結果、原因となった事柄を、今更掘り返しても仕方がない。沖田に質問したのも、情報の一つとして頭の中に入れておこうと思っただけだろう。そのこだわらない性分を、何故、己の身の丈に回すことができないのかが不思議だ。

今、沖田は永倉と二人でその討ち損じた浪士達の拠点周辺に来ている。普段なら一人で行くのだが、近藤から決して一人では行動しないようにという命令が下されていた。その為に、沖田は腕の方も申し分ない永倉を誘った。他の者だと、討ち損じた時の事を聞かれるかもしれない、と思ったからだ。特に土方だとお前の詰めが甘いとか何とか言われるに決まっている。沖田の考えは正解だったようで、誘われた永倉は、一瞬、疑問符を頭上に出したものの、理由は聞かず「良いぜ」と了承した。

「あまり近付くと気付かれるかもしれない。この辺りにしとこうぜ」

永倉がピタリと止まり川越しにある建物を見る。濁流の川の向こうに土手があり、ちょうどその上に五階建ての旅籠のような建物があった。それが浪士達の拠点らしい。

「討ち入りは明日だろ?事前に見に行くなんて珍しい」

くるりと身を返した永倉が言う。

「こっからバズーカ一発かましゃあ一件落着かねィ」
「俺がいないとこでやってくれる?」

呆れ顔で肩を竦め、引き返そうとする永倉に向かって、沖田はバズーカを構えたが撃つのは止めた。
辺りは薄暗くなり、日勤が終わる時間帯になってきている。部下達には、それぞれまとまって見廻るように命じていた。

「…!」

突如、立ち並ぶ樹木の間から、浪人体の者が数人現れた。腰には佩刀を帯び、こちらを見てニヤニヤと笑っている。

「あれ、もしかして残業決定?」

沖田はこれから起こる事を予想し、隣の青年に問う。

「…いや、15分以内に片付ければいけるかもしれねぇ」
「中途半端に過ぎて帰ると残業代つけてくんねぇからさっさとやっちまうか」
「了解」

二人は柄に手を掛けて前を見据える。抜刀した男達の一人が、地を蹴ると他の者達もそれに続いた。沖田達は、それぞれの相手に抜き打ち一刀する。暗さを増した宙に鮮血が舞い、断末魔の絶叫が空を切り裂いた。
人通りの少ない川沿いに、濁流の音と剣戟の金属音が鳴り響いていた。その中に混じるのは男共の悲鳴。浪人達は、この二人が剣豪揃いの真選組内でも、ナンバー1とナンバー2の剣の使い手だという事を知って、戦いを挑んだのか。それとも、数さえ揃えれば、勝てると思ったのか。喧嘩を売る相手を間違ったとしか思えず、勝負はもう目に見えていた。

「…?」

――そんな中、沖田はふと剣戟の音ではなく、血の臭いでもない、違った感覚を背後から感じ、後ろを振り返る。

外灯ひとつもない、薄暗い道の幅いっぱいに鉄の固まりが視界に飛び込んできた。それが車だと認識した瞬間、猛烈な衝撃と共に息が詰まる。
体が宙を飛び、地面に叩きつけられたと同時に意識が暗闇に包まれた。

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