願わくばそれが、愛でありますように


珍しい所で逢ったな。
目が合ったのをきっかけに、躊躇いがちながらも、きちんとお辞儀をした彼女の姿を眺めながらシンは思った。二人が逢った道路の坂はシンの通学路であり、以前彼女が暮らしていたマンションに続く道でもある。
だが、それは飽く迄も以前の話であり、どういう経緯があったかは詳しくは知らないが、一度は別れたイッキと縒りを戻し、彼とルームシェアという名の同棲を始めた筈の彼女にはもう用の無い路だ。
散歩と言われたらそれまでだが、それにしても珍しい事に変わりはなかった。
「なに、一人?」
歳上だと言ってもバイトの後輩である彼女に気後れする必要はない。
シンが疑問に感じたままに問い掛ければ、彼女は戸惑いながらも素直な返事をした。
「あ、はい」
「ふーん、珍しいな。
あの人も休みだった筈だけど」
シンは改めて彼女と自分の周りを確認して、病的なくらいに暇さえあれば彼女に引っ付いている男の不在を仄めかす。
彼女も心得ているのか、シンの示す男が誰なのか直ぐに理解したらしく、恥ずかしそうに笑う。
「待っているんです」
同棲しているのに道の真ん中で? という、シンの疑問は、彼女の足元に気付いたことで喉の奥に消えた。
よく見ると、彼女の片方の靴のヒールが欠けている。
「ああ」
「はい」
理由を察したシンの視線が恥ずかしいのだろう、笑って答える彼女の頬は微かに赤い。
シンはそんな彼女の様子に居た堪らなくなって焦点を彼女の顔に戻した。
「でもそれこそ意外だな」
「え?」
「イッキさんだったら、それこそあんたをおぶって行きそうなのに」
彼女の彼氏であるバイト先の先輩の普段の姿を浮かべながら告げたシンの言葉に、彼女は慌ててシンに否を示した。
「今日はイッキさんと出掛けていた訳じゃないんです」
「は?」
「今日は友人宅で友達と遊んでいたので、イッキさんとは一緒じゃなかったんです」
訝しげに眉を寄せたシンに促されて、彼女は説明を続ける。
事の顛末は、帰宅途中にヒールが折れてしまったものの、そのまま帰宅が遅くなって過保護な誰かさんが心配するのを杞憂した彼女が、その過保護な誰かさんに電話で遅くなる旨と理由を告げたところ、未だ友人宅に居た過保護な誰かさんは、ヒールが欠けた靴で彼女が家路に着くのを良しとせず、友人の車で迎えに来ると告げたのだという。
彼らしいと言えばらしいが、シンは呆れて声も出なかった。
「それって何分前の話」
「・・・えっと、15分前くらい、だと思います」
そう答えた彼女に、今度こそシンは舌打ちした。
なんて場に遭遇したのだろうと、自分の不運さに悔いる。
「じゃあ俺はこれで」
「え?」
「15分前なら、あの人の事だからもうすぐ来るだろ――っげ」
逃げるが勝ち、とその場を去ろうとしたシンだったが、奥からこちらに向かってくる車の助手席に座る人物の姿を認めて、シンは自分の行動が一歩遅かった事を思い知らされた。
どうやら本日の運は使い果たしたらしい。
ゆっくりと滑り込んできた車体に、シンは覚悟を決めたのだった。
「なあに、僕の奥さん口説いてんの」
だから嫌だったんだ。という心の声は、後が面倒になることを知っているので口にはしないが、直ぐに車から出てきたイッキに、シンはげんなりする。
「いつ結婚したんですか」
「うん?
まだだけど、僕の将来の奥さんであることには間違いないからね」
「・・・そうですか」
これ以上は体力と時間の無駄だと悟ったシンが適当に合図をすれば、イッキは、うんうん、と本気か冗談か皆目検討のつかない軽さで頷くと、立ち尽くしていた彼女を当然の様に横に抱き上げた。
驚気の声を上げたのは勿論彼女だ。
「きゃ」
「足痛めてない?
遅くなってゴメンね。さ、ケンが送ってくれるらしいから帰ろ」
彼女が抗議する前にイッキは手馴れた様子で彼女の言葉を奪う。
シンは、ほらみろと内心で先程の自分の推測が当たった事を、文字の通り白い目で確認した。
イッキにとっては、女性の誰もが憧れるというお姫様抱っこも訳無いのである。
「じゃあ、シン。
またね」
二度と御免だと返すわけにもいかず、シンは内心で溜息するだけに留めて応じる。
「はい、気をつけて」
それは適当に告げた言葉だったのだが、彼の腕の中の彼女も恥ずかしさを隠しきれない笑みを向けられて、シンは再度、内心で溜息を吐き出した。
その彼女の笑みだけで、今日の運の無さを撤回しているシンも実際は大概のことは言えないのである。










願わくばそれが、愛でありますように




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2012/06/20
響 璃烏


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