私は今、人生最大のピンチを迎えている。


「菜緒今夜か?今夜だよな?」

「そ、そうね。今夜ね」


私は傍らにあった雑誌を手にとった。
言いにくいけど…実は景吾くんへのプレゼントがまだ用意出来ていない。景吾くんが欲しいプレゼント…多分ネコだろうと予測をつけ、空いた日にペットショップに行こうと決めていた。
しかし思いの他予定がたてこみ、やっと空いた最後の休日はなんの嫌がらせか臨時休業していた。


はぁ…

小さくため息をこぼして視線を雑誌に落とすと、開いたページには赤や緑がふんだんに使われていて、きらびやかに彩られている。

やばっ、ミスった。

しかし私の隣にある大きな瞳はそちらには向けられなかったようだ。


「おれは信じてなんかないけどな。でも幼稚園のヤツらみんな騒いでるからよ」

「そういえば今日クリスマス会だったね。景吾くんプレゼント何もらったの?」

「もらってない」

「えっ!?なんで!?」

「あんなニセモノに言ったってしかたないだろ。おれは手紙を…」


そう言いかけてハッと口をつぐむ。私も慌てて聞いてないフリをした。


「まぁ…ニセモノの負担を軽くしてやっただけだ」


あからさまに安心した様子を見せ、鼻で笑う。いつもの景吾くんなら少しでも聞いてないと「おれの話を聞いてんのか」と怒るのだが、今回ばかりはそれもなかった。お互いほっと胸を撫でおろす。





チーン

軽快な音が妙に緊張した空気を緩めた。それに続いて食欲を誘う香りが辺りに漂っていることに気付く。


「なんだ?イイニオイ…」

「へっへー。おいで景吾くん」


話題を逸らそうと小さな手をとり、オーブンの扉を開ける。そこにはキレイに焼き上がったスポンジケーキ。


「これ菜緒が作ったのか!?」

「そーよー。あんまりお菓子得意じゃないから心配だったけど、上手く焼けて良かった」

「すごいな菜緒は!なんでも作れるんだな!」


キラキラした瞳で見上げられて柄にもなく照れる。


「なんでもじゃないんだけどね。でも今回は特に頑張ったんだ」


型紙を外して、粗熱をとるため網に乗せる。


「これいつクリーム塗るんだ?おれ塗りたい!」

「もうちょっと冷めてからね。あったかいとクリーム溶けちゃうから」

「へー」


そう言うと景吾くんはおもむろにケーキに息を吹き掛け始めた。


「こうした方がッ、はやく、冷める、だろっ?」

「あはは、そうだね。でもこっち使わない?」


真っ赤な顔して息を吹き続ける彼に団扇を手渡す。


「おー…」


少しふらつきながら団扇で扇ぐ。私はその後ろでデコレーション用のフルーツを切り始めた。


「菜緒、菜緒!おれも切りたい!」

「えっ、ケーキ冷まさなくてもいいの?」

「こんなの放っておいたら冷めるだろ」


あら、気づきましたか。

心の中で小さく笑ってから、子ども用の小さな包丁を渡し、景吾くんの後ろに回る。


「これをー、こう、こう、こう切ってくれる?」

「ん!」


とん・たん・たん・とプラスチックとまな板が当たるたどたどしい音。真剣な瞳と少し震える手に自然と笑みが溢れる。
すると楽しそうな瞳が私に向けられた。


「これ、早く食べないとサンタのヤツに食べられるな!」


…やっばーい。







髪の毛ちゃんと乾かさないと風邪ひくよ!ちょっとこっちおいで」

「ちゃんと乾かしたって!」

「君のピョンピョン跳ねる髪が今日は大人しいねぇ」

「…うー」


渋々やってきた景吾くんの頭にタオルを被せ、わしゃわしゃと水気を取っていく。


「よし」


タオルを取ると景吾くんは一目散に冷蔵庫へ駆け寄った。


「菜緒!早く早く!」

「はいはい」


跳ねる髪と同じように跳ねだしてしまいそうな少年の後を追った。





「はい、どうぞ」

「おお…!いただきます!」


切り分けたケーキを受け取り、フォークを刺す。すると間から大きさのバラバラな果物が顔を覗かせた。


「菜緒!これおれが切ったやつだぞ!」

「うん、すごい上手に切れてるね」


へへー、と得意気に笑いケーキを口に運ぶ少年を見つめる。ちらりと視界に何かがかすめた。


「雪…?」

「えっ?」


二人して窓に駆け寄り暗くなった空を見上げる。


「雪だ…」

「今年はホワイト・クリスマスかぁ。明日積もるといいね」


そう言って景吾くんに視線を向けると、そこには嬉しそうな顔はなく、どこか曇った表情。


「雪なんか降ったらアイツ、寒いんじゃないか…?」


ポソリと呟かれた言葉に胸がいっぱいになった。

ああ、私はこんな素直でいい子を騙しているのか。

謝りたくて、でも本当の事なんか言えなくて。


罪悪感でいっぱいの胸を抱えたまま、私たちはベッドに入った。





「景吾くん電気消すよ?」

「お、おう」


窓に向き合っていた景吾くんを呼び、布団を被った事を確認してから電気を消す。辺りは真っ暗で目の前の景吾くんの輪郭がぼんやりと浮かぶだけ。


「明日の朝…楽しみだな」

「ん…そうだね」

小さな声に同じように小さく返事をする。どこまでも純粋な声に目頭がジン・と熱くなった。


「菜緒…?」


暗闇で見えてないと思っていたのに、私の様子がおかしいと感じたのか景吾くんの小さな手が私の手に触れる。


「どうしたの…?早く寝ないとサンタさん来ないよ…?」


それでも嘘を吐き出し続ける自分に嫌気がさす。しかし私の声に安心したのか、しばらくすると小さな寝息が聞こえ始めた。


もし、明日の朝プレゼントも何もなかったら景吾くん怒るかな…

嘘ついた私のこと、嫌いになっちゃうかな…

せっかくなついてくれたのに、私が自分で壊しちゃった…


さらさらの髪と小さな頭を撫でると、子ども特有の高い体温と呼吸が伝わってくる。
滲む視界は程なくして少しだけ枕を濡らした。


「ごめんね…」


そう呟いて、私も眠りにおちていった。






「…!…菜緒!」


耳に入ってきたのは興奮した景吾くんの声。徐々に覚醒しだす頭は憂鬱な気持ちを呼び醒ます。

ああ…とうとう来てしまった…

侮蔑の表情か、または怒りの表情か…
どんな顔が向けられるのだろうと覚悟して景吾くんの方を向く。


「おはよう…けいご…く」


顔を向けた先には予想に反した満面の笑み。


「サンタは本当にいるんだな!おれが欲しいものをくれた!」


そう言った景吾くんの傍らから真っ白い何かが顔を出す。


「にゃあ」

「ね…こ…?な、なんで…?」


呆然とする私に景吾くんはバツの悪そうな顔をする。


「昨日、サンタが入ってこれないかもと思って窓の鍵開けたままにしたんだ…」


なるほど、だから入ってこれたんだ。

それでもいきなりの事でまだ回りきらない頭。自分でも分かってたけど、ほんとに突然の出来事に弱い。
反応しない私に景吾くんは猫を抱きしめ、おずおずと私に寄る。


「おれ、ちゃんと世話するから。ちゃんと面倒みるから。だから…コイツ飼っちゃダメ…?」


…う、わっ…!


眉根を寄せて見上げる彼に思わず心臓が高鳴った。

…上目使いに弱い男の気持ちがちょこっとだけ分かったぞ。

何となくやましい気持ちになりながら、彼の腕の中にいる小さな猫を撫でた。


「ダメも何も、景吾くんが望んだものでしょ?ちゃんとお世話しようね」


そう言うと花が咲きほころぶように満面の笑みが広がる。


「うん!ありがとう菜緒!やったなシルク!今日からお前も家族だぞ!」

「シルク?」


じゃれあう二人に若干置いてけぼりの私。


「コイツの名前は初めて会った時からシルクって決めてたんだ」

「…あっ!」


そうだ、どこか見覚えがあると思ったら!


「景吾くんが迷子になった時に一緒にいてくれてた子ね!?」


迷子って言うな!と憤慨する彼をなだめてから、私はフワフワの毛並を撫でる。


「シルク…あの時はありがとう。そして家族になってくれてありがとう」


2つも恩が出来ちゃったね、と小さく呟くとシルクもまた小さく鳴いた。


「なんだ?なんの話だ?」


おれも入れろと膝になだれこんでくる景吾くんの頭を撫で、唇に指を当てた。


「ひみつ!」

「なんだよー!」


怒る景吾くんと一緒に飛び掛かってくるシルク。私はまるで彼らと同じ、幼い子どもになったようにベッドの上でじゃれあった。



外はまばゆいばかりの銀世界。
空はまだ寝ぼけまなこ。


サンタさん…ほんとにいるんだね


そんな外を眺めて心の中でサンタに感謝。
幸せを配る貴方にも、幸せが舞い降りますように。






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