little
季節は何度移り変わったのかな。めまぐるしく移り変わる物事の中でも変わらない物がある、なんてよく聞くけどきっとそれは変化を恐れた人がせめてもの慰めに言った言葉なんじゃないだろうかと私は最近そう思う。
ふんわりと風に舞った淡い桃色の花弁が窓から目に映り、間近でそれが見たくなって外に出た。玄関を開けたその先にはまばらに植えられた街路樹の桜が満開で思わず感嘆の声が出る。
「春やなあ」
まったりとした声が聞こえて、そうだねえとそちらに視線を移しながら返す。仰向けで油断しきっているシルクの喉をカリカリ掻いているお隣の侑士くんが、おはようと笑う。
「シルクそんな所にいたんだ。見ないと思ったら」
「よぉウチ来んでコイツ。仲良しやもんな」
なあ?と伺う侑士くんにシルクはとろりとした声で答えた。ほら、と眼鏡の向こうの瞳を得意気に細める。
「もう、迷惑かけちゃダメでしょ」
「大丈夫大丈夫。迷惑とちゃうし。俺とシルクは戦友やから」
「戦友?」
「そ。こないに賢いネコ他に見たことないわ。なあ?友よ」
慣れた手付きで撫でる長い指に甘えて、彼の言う白い戦友とやらは心地良さそうに喉を鳴らす。
二人の意外な関係に少し驚きながら、侑士くんの恰好と肩に掛けられた大きな荷物が目に入った。
「侑士くんももう中学生かあ。早いなあ」
「せやでー。明日は入学式や」
「明日?じゃあなんで制服…」
「今から部活。早めに入る部活決めたヤツは先に参加してんねん」
結構上手いねんで?と示すテニスバックは既に新品という風ではないけれど、丁寧に使っているのが伝わってきて彼の人柄が窺える。侑士くんは小さい時から物を丁寧に扱う子だったなあ。
屈んでいた侑士くんは気持ち良さそうに目を瞑るシルクを抱き抱え、立ち上がる。隣に立つ彼ともう殆ど身長は変わらない。
「そういや、菜緒ちゃん彼氏出来た?」
「マセた質問を…。秘密です」
「まあ出来てるはずないやろけど」
「…ほんと妙にマセてるよね」
じろりと睨みつければニコリと笑顔で交わされてしまった。本当大人顔負けだよ。
それ以上太刀打ち出来なくて苦い物を噛んだ顔をしていると、腕の中でゴロゴロとシルクの喉を鳴らしながら侑士くんは申し訳なさそうに眉を下げて先ほどとはまた別の笑みを浮かべた。
「今やから白状するけど、それ、俺とシルクのせいやねんな」
「…はい?」
いきなりの告白に疑問符いっぱいで首を傾げる。
「もう時効やし、堪忍してな」
…いやいや堪忍も何も言ってる意味がわかんないよ?
答えあぐねている私にやっぱり申し訳なさそうに「ごめんな」と告げる。私が一体何をされたのかよく分からないけど、そんな風に謝られたら許さないなんて言えるはずもない。
「代わりにエエ男が現れるはずやから」
「はあ…」
「あ、でもそいつが気に入らんかったら俺でもいいんやで」
「はあ…」
何が何やら混乱している私を放って侑士くんはスタスタと歩き出していた。考えとってなーとヒラヒラ手を振る後ろ姿を、私はただ呆然と見るしかない。しかし数歩先で止まって振り返った。
「シルク、連れてってもいい?」
「私は構わないけど…大丈夫なの?邪魔にならない?」
「一回俺の勇姿を見せたかったんや。俺が部活ん時はコイツに頑張ってもらっとったしな」
「ふぅん?」
何を頑張ってたんだろうと再び首を傾げる私にお構いなく、一人と一匹は「これでお役ご免やでー」とイチャイチャ。
ほんと仲良しだな。…ちょっとジェラシー感じちゃう。
「もう行くわ。明日からイヤでも顔見るのに今からかち合うのは勘弁」
「かち合うって…ちょ、侑士くん!」
「ほなー」
言うだけ言って、聞きたい事は何一つ答えずに行っちゃった。気まぐれと言うか何と言うか…。実はシルクと似た者同士だったのかしら。むん、と鼻息荒く腰に手を当てる。
「シルクもシルクで飼い主より懐いてるし」
「まったくだ」
ざあ・と街路樹が風に揺れる。舞う淡い花弁と一緒にひとつの声が鮮やかに私の耳に響いた。いたずらに舞う髪を耳にかけながら声のした方を振り向く。
逆光じゃない、のに、顔がちゃんと、見えない。
「久しぶりだな」
不敵な色を放つ鮮やかなターコイズブルーが淡い桃色の中で柔らかに細められ、私の中にあるかつての記憶と思い出を呼び覚ます。色素の薄い髪は最後に見たあの時より短くて、日に焼けた肌が逞しい。
膝を折らなくても目線が合う事に多少の驚きを隠せないでいたら、くつりと喉を鳴らした。
「菜緒、お前縮んだんじゃねえ?」
「あなたが大きくなったんでしょ」
それもそうだ。そう告げる声は私が知っているものより幾分低く、そして少し掠れている。
「預けた物を取りにきた」
「うん。でもその前に」
「おかえりなさい、景吾くん」
「ただいま、菜緒」
リトル・リトル・リトル!
おかえりなさい、お坊っちゃま!
- end -