頭ではわかっていたのに
いざそうなった時、私はほんとうに弱い。


ガサガサ音を立てる買い物袋には今日の晩御飯の材料とちょっとのお菓子。景吾くんはあまりお菓子を欲しがらないから私が選んだものばかりだけど。でも彼の様子を伺っていたら明らかに反応の違うお菓子がいくつかあって、それをこっそり選んできた。

素直じゃないとかじゃなくて、これはきっと「しつけ」だ。私と一緒にいたせいでワガママな子になった、なんて言われちゃったらどうしよう…。
本気でそんな事を心配してしまう。だって景吾くん本当にワガママ言わないんだもん。だから余計にワガママを言わせるような環境にしちゃうのかも…。それでもやっぱり彼は言わないんだけどね。私なんかよりずっと賢くて聡い小さな同居人。


「なー菜緒、今日の晩ごはん、なに?」

「今日はねー、親子丼!」

「おお!」


おやこどんかーとつぶやきながら、景吾くんはお菓子の入った小さな買い物袋を落とさないように握る。


「おれ、それ好きだな!」

「ほんと?よかった」


ん!と言って繋いでいた手ギュッと握ると、突然不思議な歌をうたいだした。


「なあに?その歌」

「おやこどんのうた!」


作詞・作曲、跡部景吾の即興曲に合わせて私達はぐうぐう鳴るお腹を抱えて家までの道を急いだ。それにしても景吾くん、歌うまいな。





「ただいま〜」

「ただいまっ!」


玄関を閉めて鍵をかける。手早く脱いだ景吾くんは買ってきたものを冷蔵庫に入れるために先にリビングへと向かってくれた。助かるなあと一人にこにこしながら脱いだ靴を並べていたら、聞き慣れた電話音が家中に響く。


「菜緒、おれ出るぞ?」

「はーい」


ガチャ、という音と同時に呼び出し音が消える。はい、もしもし?と景吾くんの声が聞こえて私もリビングへと向かった。


「…えっ」


小さな背中がぴくりと揺れる。どうしたんだろ、セールスかな?


「景吾くん?代わろうか?」


何の反応も示さない景吾くんを疑問に思って手を出せば、ふるふると頭を振る。そこには色んな感情が混ざりあった表情が浮かんでいる。


「…父さんと母さんからだから」

「え…っ」


手を引いて、そのままのろのろと冷蔵庫へ向かう。

ええっと…今日の晩御飯なに作るんだっけ。ああ、その前に荷物をしまわないと。
買い物袋を漁って冷蔵庫に移していく。途中で予定していた献立を思い出して、しまった物をまた取り出すというとても無駄な行動をしてしまった。
たんたんたんと手際よく包丁を鳴らす。後ろから聞こえる景吾くんの「うん…うん…」という声につい聞き耳を立ててしまう自分がいて慌てて頭を振った。盗み聞きなんて趣味悪いにもほどがある!

親子丼は簡単だ。もうそろそろ出来上がりというところで景吾くんの電話も終わった。


「あ、電話、お父さんとお母さんからだったんだね」


やだ、何ドキドキしてるのよ私。意味分かんない。いつもより口が上手く回らない私に対して、景吾くんはただ小さく頷いて台所の蛇口を捻る。勢いよく飛び出した水で手を洗い、タオルで小さな手を拭いた。止まったはずの水の音が妙に耳に残って気持ち悪い。


「仕事、一段落ついたんだって。だからこっちに帰ってくるって」

「そ、そうなんだ!よかったねー!」

「でもまたすぐに行かなきゃダメなんだって」

「あ、じゃあまたその時はうちにいれば…」

「今度はもっと長くて、遠くなるから一緒につれてくって」

「と、おく?ってどこへ…?」


無意識に声が震える。やだ、なんで震えたりするのよ。


隣の県、は近いとは思わないけど遠くとも言わないよね。沖縄とか北海道とか、かな。

所詮私は一般人で小娘で。隣の県とは言わず隣街ですら距離を感じてしまうのだ。だからまさかこんな答えが返ってくるだなんて思いもしない。


「イギリス」

「イ…、……は…?」


開いた口が元に戻らない。呆気に取られる、まさに今の状態だ。しかし景吾くんはテキパキとランチョンマットを敷き、お箸を並べ、コップを並べる。もうあとはご飯をよそうだけ。


「菜緒、おれおなかすいた」

「…え、あ、うん。ご飯にしよっか」


小振りの丼二つにほかほかの親子丼。手を合わせて、いただきますして食べ始めるのがいつも。だけど今日はなんだかぎこちない空気が漂っている。


(…違う、私が動揺してるんだ)


動揺する必要がどこにある。お父さんとお母さんと一緒にいれるんだからそれ以上の事はないじゃない。景吾くんはまだ幼稚園なんだもの。

…うん。
小さく心の中で頷く。何かは分からないけど、何かを決意する。


「で、いつお迎え来て下さるの?」

「日曜日の朝」

「日曜日…」

今日は金曜だから二日後か…。結構急な話だなあ…。

…む、いやいやいや、きっとお仕事から帰られてすぐ連絡して下さったんだ。ご両親だって景吾くんに会いたくないはずないんだから。


「早くお父さんとお母さんに会いたいね」


笑って、黙々と食べていた景吾くんに告げる。大きな瞳が私をとらえた。


「…うん」


青みがかった瞳が何を言いたかったのか私には分からない。


分からないくらいやはり私は混乱していたんだと思う。







朝。

差し込む朝日、雀の鳴き声、携帯のアラーム。全てがいつも通りで、それが今日で終わる。


(景吾くんといれる最後の日、か)


ぱっと起き上がって隣でまだ寝息を立てる景吾くんの髪にちょっと触れる。ぴょんと跳ねた癖っ毛は柔らかい。ふふ。人知れず笑みがもれた。

着替えてエプロン付けて冷蔵庫の中身を確認。


「卵、いっぱいあるなあ」


よし、今朝はフレンチトーストにしよう!卵と牛乳、砂糖を混ぜたそれに食パンを漬ける。充分に染みた食パンを順番に焼いていけば仄かに漂う甘い香り。黙々と作っていたら後ろに気配。


「おはよー…」

「あ、おはよう景吾くん」


目をこすりこすりリビングにやってきた景吾くんの傍らには同じように顔をこするシルクの姿。普段はケンカばっかりしてるけど、たまに妙に息が合う。そんな姿に小さく笑って、顔洗っておいでと促した。


大きめのお皿に一枚四等分に切ったフレンチトーストを移して、それぞれ小皿に取って食べる。ああ、ちょっと作り過ぎたかもしれない。


「いっぱいあるよー。おかわり自由ね!」

「絶対つくりすぎだろ…」


菜緒はばかだなあ。意地悪気にそう言われて、ふーんだなんて返す私もまた子どもっぽい。しかし確かに作り過ぎた事は明白だ。いつもはこんな失敗しないのに。

フォークがお皿に当たるカチカチという音を聞きながら、私は口を開いた。


「今日は何しよっか」

「ん?」


ぱく・と口に含んだばかりの景吾くんはいきなり何だと言わんばかり。膨れた頬っぺたに笑って、私は続けた。


「せっかくの土曜日だし、どこか出かける?」

「どこか、って?」


手早く飲み込んだ景吾くんは訝しげな表情。そんな彼を前にしっかり噛んだのかな?とおかど違いな事を考える。


「そうだなあ…遊園地は遠出になるから無理だけど、近所に水族館があるんだ。あ、もちろん景吾くんの行きたい所に行こうね」


笑って、行き先を提示すれば景吾くんの綺麗な眉は歪められていた。不快。まさにそれを表現している。


「…なんだよ、それ」

「ご、ごめん。行きたくなかった?景吾くんはどこに行きたい?」


フォークを握りしめて呟いた彼に慌てて身を乗り出す。しかし伸ばした手はぱしんと払われてしまった。


「け、いごく」

「なんでそんな笑ってんだよ!」


大きな声。聞き慣れない彼のそれに思わず身を縮める。


「なんだよその笑顔!そんなに…!」


最初の勢いは少しずつ削がれていき声が小さくなっていく。強さを孕んだ大きな青い瞳がみるみるうちに潤いだした。


「そんなにおれとはなれるのがうれしいのかよ…!」

「景吾くん!」


ガタン!勢いよく席を立った景吾くんの後ろを追う。テーブルの下でエサを食べていたシルクはその物音に驚いてどこかへ逃げてしまった。

すぐに捉えた細い腕は私の手を拒み続ける。


「はなせ!ばか!菜緒のばか!」

「景吾くんっ、違うよ、景吾くん!」

「何がちがうんだよ!昨日からすげー笑顔で!おればっかり…」





「おればっかりさみしくて、ばかみたいだ…」





掴んだ手を振り払われ、景吾くんは自由になった腕を交差させるようにして顔を隠した。表情は、見えない。ただ不規則な嗚咽混じりの呼吸が聞こえる。


「わ、わたし…」


寂しくないはずなんて、ない。
寂しくないなんてあるはずないじゃないか。短い時間とはいえ一緒に過ごしてきた。その中でたくさん思い出を作ってきた。一緒に作りあげてきた子がいなくなるのだから。

それでも。

両親の元へいく景吾くんを笑って見送りたかった。涙で彩られた見送りなんて御免だから。

だから、わたしは、えがおで。


「わたし…」

「…おまえ、おれに言ったな」

「え…」


言い終わる前に景吾くんが口を開く。ぐず、と涙声にも関わらず尊大な、それでいて有無を言わせない口調で。思わず黙った私に景吾くんは続けた。


「なんでも言えって。うれしい、かなしい、なんでも言えって言ったろ」


戸惑いながらも頷く。確かに言った。自分の感情を押し殺してしまう彼に向けて私は確かに言った。


「だからおれは言ったぞ、『さみしい』って。ちゃんと自分のきもち、言ったぞ」


湿り気を帯びた瞳からは強さが削がれる事はなく、真っ直ぐ向けられた瞳にいつの間にか私の方が捕らわれてしまっていた。


「私は……言えないよ」

「なんでだよ」


不機嫌極まりないといった顔で睨む景吾くんに苦笑する。


しょうがないじゃない。いくつも年下の彼に「寂しい!寂しいから行かないで!」って?
そんな事言えるわけないじゃないか。あれは景吾くんに年齢不相応にガマンをして欲しくなかったから言ったのであり、自分にも当てはめて言ったわけじゃない。

自分よりずっとずっと年下の子にそんなかっこわるい姿なんか見せられるもんか。


「だって私は年上だもん」

「年上とか年下とか関係あるか!」


ぴしゃりと言われて思わず目を見張る。小さな彼の目線に合わせた目が逸らせない。


「おれは、そんなタテマエじゃなくて菜緒のきもちがしりたい」


ぎゅうと拳を握っていた小さな手が伸ばされる。無意識に身体は後ろに反ろうとしたが、その前にそっと私の両頬に添えられた。



「おれから逃げるな、菜緒」



吸い込まれそうな深い青から放たれる強さ。私はそれが翳った所を見たことがない。

見たことなんかなかったのに。


「景吾、くん…泣きそう…」

「泣きてえよ。…菜緒ががまんばっかりするからな」




ああ、その気持ち、私にも痛いほどよく分かるよ。




「寂しく、ないはず、ない…」


ぼろりと一際熱いものが浮かんで頬を伝う。一度伝ったそれはどんどん溢れて頬を思いきり濡らした。


「さみしいよ…さみしいに決まってるじゃんかあー…も〜…ばかあー…」


あああー…と口を開けばガマンしていた感情が一気に放出する。すると景吾くんの頬にも涙が一筋流れて、うあああんと声を上げて泣き出した。またそれにつられて涙がどんどん流れていく。




家中に響くふたつの泣き声。悲しく響く二重のそれが明日には一つになってしまうと思うとまた泣けてしまった。







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