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違和感に気付いたのは数日前。
(あ、やばいな)
もはや恒例とも言える付き合いで、それでも懐かしさや親しみなんか一切沸きやしない。
(また来ちゃったよこの時期が…)
はぁ、と小さくため息をついてテーブルに突っ伏す。季節外れの五月病。実際五月にやってくる訳ではないので、この名称も正しいものではないのだろうけれど。
それに症状といっても少しダルいな、とか、やる気出ないな、といったものだから日々の疲れが祟ったものだろう。
呑気だ陽気だと言われる学生だってそれなりに疲れるものだ。
これとも長い付き合いなので数日したら回復する事もわかっている。
(わかってるんだけど…その間がツラいんだよね…)
今まで家事全般は母がやってくれていたから私に回ってくる家事など些細な手伝い程度だった。だから大半は学校。しかし母のいない今、家事は全て私の肩にのしかかり加えて学校もある。
(うわ…もう考えるだけでヤだ…)
止まらないため息。短いけれど深くて濃い闇を乗り切る根性と体力、私に残っているだろうか。
「菜緒、菜緒。ちょっとシルクのエサ取ってくれ。新しいのが戸棚の上にあって届かないんだ」
テーブルに突っ伏した私のわき腹の服をちょいちょいと控えめに引く。ん、と短く返事をして上体を起こした。
「菜緒?」
「なぁに?」
かけられた声に慌てて笑顔を作る。人の気配に敏感な景吾くんにバレたら心配されてしまう。微笑むと眉間に寄った皺が不思議そうな表情へと変わっていた。
(ほんとにこの子は人をよく見てるな)
危ない危ないと心の中で冷や汗をかいて新しいエサの買い置きを探る。私でも椅子を使わないと取れない所に置いておくのは不便だけれど、多少の高さだとシルクは簡単に飛び乗ってしまう。食べたい、だけど遊びたい彼にとってエサは絶好の道具というわけだ。
「おれがもっと大きかったらな…」
「景吾くんはそのまんまで十分だよ」
「おれは大きくなりたいんだよ!」
あはは・と笑って、抗議してくる景吾くんの手にエサの袋を乗せる。むぅ、とつぐんだ口と膨らんだ頬をつっついてリビングへと戻ると、そこにはお皿の前にちょんと行儀良く座る白い彼。
この子、こういう時だけ行儀いいなぁ。
「こいつ…エサの時だけ行儀いいな」
あ、やっぱり景吾くんもそう思った?景吾くんはお行儀いいもんねと笑うと「まぁな」と得意気な顔。でも口は結構悪いよね、というのは心に秘めておいた。
ザラザラと音を立ててお皿にエサを移す。待ってましたとばかりに飛び付くシルクに景吾くんも苦笑いだ。
見ているこっちが気持ち良くなるシルクの食べっぷり。景吾くんは、動物がエサを食べている時に触ったりすると怒ったりするから気をつけてね、という忠告を守って触りだしそうな腕を必死に押さえている。
ケンカばっかりしてるけど、やっぱり好きなんだねえ。
小さな葛藤が微笑ましくて頬が緩む。
そろそろ私もご飯作らなくちゃな…。
ふ・と小さく息を吐いて立ち上がろうとしたその時、背中にのっしりとした重み。びっくりして振り返ると、そこには不機嫌に唇を突き出したお坊っちゃまの顔。
「わーお、景吾くんたら甘えんぼー」
「ばか」
「へ?」
「菜緒のばかばかばかばか」
「…ひどい言われようねえ」
回された腕に触れて、肩に乗せられた小さな頭を撫でる。色素の薄い髪がするすると指の間を流れた。
「景吾くん、ぶちゃいくな顔になってる」
「むりやり笑ってる菜緒の方がずっとぶさいく」
びっくりして思わず目を見開いた。しまった、と目を逸らしてももう遅い。私の反応を見て彼は確信したようで、より視線で諌められる。うー…負けた。
「よく分かったね」
「その程度でおれを騙せると思うなよ」
ふん!と鼻息荒く言われて苦笑。幼稚園の彼に敵わないなんて。どうしたもんかね、張っていた肩の力を抜くように聞こえないよう一息こぼす。回された腕に少しだけ力がこもった。
「…菜緒」
「んー?」
「…おれのせい?」
「ふふ、ちがうよ。ちょっと疲れただけ。この時期はいつもそうなの」
「…菜緒」
「なぁに?」
「おれに何ができる?」
お互い視線は合わせなくて、まっすぐ前を見たまま。
じんわりとあたたかさがひろがる。
「側にいて、抱きしめてほしいな」
ほっこりした温かさと愛しい重さが、
増して、背中を優しく覆ってくれた。
【たった、たったそれだけでいいの】