好奇心旺盛な忍
私はとても不思議な気持ちでその後ろ姿を眺めていた。
現代人でも珍しい髪色を揺らすその人は興味津々でキッチンを観察している。
「これなんで火がつくの?」
「ええと、そのコックを回すとガスが出てですね」
「こっく?がす?」
きょとん。まるで成人男性には似つかわしくない仕草が妙に可愛らしくて思わずくつりと喉が鳴った。なあに?とまた首を傾げる目の前の人は私よりも余程可愛らしい。
「何かを説明するには『それ』に関わる物もある程度理解してないと説明出来ないんですね」
「つまり紗智ちゃんにもよく分かんないってことでいい?」
「はい、すみません」
「や、そういうのって結構あるもんね」
へらりと笑って、これ触っていい?と訊ねられた事に頷いて了承を示す。おっかなびっくりで火をつける様子はとても微笑ましい。
そして業と道化を演じて私に気負わせないようにしている。
猿飛佐助と名乗るこの人は突如私の愛用するゲームから出てきた。プレイヤーとしてこの人を知らない訳では無かったが驚くなと言う方が無茶なお願いで。さらにはこの人も私を知っていたと言うのだから余計に驚いたのだ。
私の中で「猿飛佐助」という人物は主である真田幸村には世話焼きな一面を見せるが、それ以外には忍としての冷酷な部分しか見せないものだと思っていた。つまり「それ以外」に該当する私にこのように友好的に接してくるとは思ってもみなかったのだ。
(印象、変わるなあ)
鮮やかな橙かと思っていた髪はよく見ると彩度の高い赤茶で、お団子のように緩くまとめてある。纏った物もゲーム中に見る迷彩のそれではなくて少しくすんだ萌葱の着流しを上着に下は膝丈。
つまり「全体的」に私のイメージしていた猿飛佐助とは全く異なる様子にかなり戸惑っているのだ。
何故最初から垣根が無いのだろう。初対面と称するにはお互い奇妙な始まりかもしれないが殆ど初対面と変わりはないのに。
(でも、)
居心地が悪くないのはきっとこの人がそういう風にしてくれているから。そしてその気遣いを無下にする程私も馬鹿ではない。
(不思議な人だ)
今後ゲームをする時は猿飛佐助をもっとちゃんと見てみよう。「チャラチャラした忍者」という認識だけでは少し申し訳ない。
うん、と人知れず頷いていた私の耳に「うわっ」という割と大きめな声とビシャ!という嫌な音が入ってきた。
「…何やってるんですか猿飛さん」
「色々触ってたらいきなり水が…っていうかまた猿飛さんってェ」
「びっしょびしょじゃないですか」
「すみません…」
呼び方に不満を零していたがそこは無視。呆れたと言外に匂わせば不平を零す口を閉じ、あからさまにしょんぼりした。
どんな勢いで水道を捻ればそこまで水が出るんだと疑いたくなる程猿飛佐助の着物は濡れ、咄嗟に顔を庇ったのだろう袖は色が変わっている。袖や裾から滴る水の様子にこんな形容もあったなとぼんやり考えたが口には出さないでいた。
「脱いで下さい」
「はっ!?」
「それくらいなら乾燥機かけたらすぐ乾くと思います」
「や、でも替え無いし、忍は人前でそんな無防備な」
「着替えくらい貸します。私としても裸でウロウロされるのは迷惑ですし、何よりそんな濡れたままウロウロされる事が一番迷惑です」
「…はい」
紗智ちゃんて結構言うねという呟きを黙殺し自室へ着替えを取りに向かった。手早く服を掴み、居間に戻る。
そこには上着を脱ぎ、いたたまれなさそうに正座している猿飛佐助の姿があった。
「別に足くらい崩してくれても…。あ、これどうぞ。パジャマで申し訳ないですけど」
「ぱじゃ…?」
「寝間着です」
「なるほど」
受け取ったパジャマを物珍しそうに眺め、ぱさりと広げる。しかし何かに気付いたように首を傾げた。
「でもこれ紗智ちゃんのでしょ?俺様には小さいんじゃない?」
「大丈夫です、男物なんで」
だから気にせず着て下さいと言い残して居間から出た。あの濡れようでは下の着物も濡れているだろう。目の前に人がいたら着替え辛いだろうし、私だって人の着替えを覗く趣味はない。
早く着替えてくれないかなーなんて考えながらドアの前で待っていた。
「着替えましたー…と」
「はい、お疲れさまです」
おずおずと控え目にドアが開く。問題なく着れただろうかと軽く全身を見やれば、当人は居づらそうに視線を泳がせ頭を掻いた。
「どこか、おかし、い?」
「いえ、丈もあってて良かったです」
そう伝えると不安げな表情がほろりと緩む。先ほどから惜しげもなく感情を吐露する彼。
何度目か分からない「意外だなあ」という言葉を押し込める。しかし悪い気はしないものだと私も緩む表情で返した。
「体、冷えたでしょ?温かいお茶でも淹れますね」
居間に入ると猿飛佐助は私の後に付いて来て落ち着かない様子で周囲をうろつく。小さい子みたいだ、なんてひっそり笑いつつ、気にも留めていませんと言うように私はさくさくとお茶の準備を進めた。
「あ、のさ」
「はい?」
湯気のくゆるお茶を渡して席につく。手のひらで湯呑みを包み込むようにしてはいるが、猿飛佐助はお茶を飲む気配を見せない。なんなんだと疑問符を頭に並べてお茶に口付けてから、彼の言わんとしている事に気が付いた。
「あ、毒の心配とかしてます?なんなら毒見しましょうか?」
「はっ!?や、違う違う!いただきます!」
そう言うが早いか慌てて湯呑みを煽る。しかし淹れたてのお茶は熱かったのだろう、湯呑みを下ろした彼の目には涙が滲んでいた。
「…ごっ、ごちそうさまでした…!」
「え、あ、はい、お粗末さま、です。…あの、大丈夫ですか?」
恐る恐る声を掛けると何とも言えない情けない笑顔が返ってきた。…この人本当にあの有名な猿飛佐助なのかな?
訝しげに見つめる私を「ん?」と小首を傾げていなすと、ひとつ咳払いをして姿勢を正した。突如変わった真剣な雰囲気に思わず姿勢を正す。
「単刀直入に聞きます。紗智ちゃんにはいい人がいるんだよね?」
「え?いませんけど?」
さくっと返せば「へ?」と先程の真剣な顔はどこへやら。私としては何故そのような事を聞かれたのかが大いに気になる次第だ。
「だってこの寝間着、男物なんでしょ?男がいるからじゃないの?」
「ああ、それは単に間違えて買っちゃったんです」
女物の中に紛れていたそのパジャマ。セール中だったので試着も出来ず、激戦区にいたので好みの柄を見つけて何も考えずに掴み込んだのだ。標準体型だから入るだろうと最後まで確認せず帰宅後に発覚。
まあ大きくても着る事は可能だし。多少不格好ではあるがどうせ家でしか着ないものだから特に気にしていなかった。
真相を知った彼はあからさまに脱力している。そしてどことなく安堵しているようにも見えた。
「あ、もひとつ質問。これ紗智ちゃん着てた?」
「はい、何度か」
「やっぱねー」
ふふーん、とまるで鼻歌でも唄いだしそう。当たった事がそんなに嬉しいのか。
「だって紗智ちゃんの匂いするし」
「はあっ!?ちゃんと洗濯してあります!」
「残り香っていうの?俺様そういうの敏感なんだよね。ん〜女の子っていい匂いする〜」
「ぎゃああああ!一刻も早く脱いで下さいいいい!」
首もとを掴んで鼻をうずめる男。そこから深く息を吸う変態じみた行為を必死に止め、これからの事を思い密かに涙した。
…こんな人だなんて!
(ほんと女の子っていい匂いするよね。甘いっていうか)
(も!もう本当に止めて下さい猿飛さん!)
(…まぁたその呼び方)
(は!?)
(名前で呼んでくんなきゃ止めないよ。…スー…)
(ぎゃああああ!さすっ、佐助さあああん!)
(んー、及第点ってとこかな。俺様素直な子は好きよー)
(もうやだこの人!)