やって来るは忍



行きたいとは特に思わなかった。

だけどもし会えたなら、君はどんな声でどんな顔を見せてくれるのだろうか。



眩い光と耳を掠めていく泡沫の弾けていく音。反射的にきつく閉じた瞼の裏から幾分か光の刺激が緩んだのを感じてゆるゆると開眼する。

視界の先には見慣れぬ風景と、驚愕に染まる見慣れた顔があった。


「…おっどろいた。まさか本当に来れるなんてねえ」


率直な感想を口にすれば目の前の細い肩が跳ねる。おっと、この少女に危害を加えるつもりは毛頭ないのだ。

おどけるように肩を竦めて、肘を折った状態で軽く両手を挙げる。へらりと表情を崩せば相手は少しだけ警戒を解いたようだ。まあ、この少女も自分を知らない筈はないのだからそこまで気を張る必要もないと思うが。


「あ、あなたは…」


恐る恐るといった様子で口を開いた少女の第一声にずっこけた。なんだ、知ってるとばかり思っていた。これではただの滑稽な人物ではないか。

口には出していなかったのがせめてもの救いだなと小さく苦笑を零して、改めて少女を見る。


「人呼んで猿飛佐助!…さあこれに聞き覚えは?お嬢さん」

「あ、ありすぎる程に…」

「だよね」


ああ、なんだ。やはり知ってるんじゃないか。いつもの忍装束じゃないから分からないのかと思った。

先程の貼り付けた笑みとは違い、自然に口角が上がる。どうやら己を知ってくれていた事が余程嬉しかったらしい。


「でも本当にこっちに来れるなんて俺様たまげたよ。いやー、何でも試してみるもんだねえ」

「た、試す?」

「そ。洗濯してたら洗い桶の水面にいきなりこっち側が映ったからさ。もしかしてーと思って手ェ突っ込んだんだよね。そしたらこの通り」


すごくない?と挙げた両手の平をにぎっぱにぎっぱしてみせる。少女はただあんぐりと口を開いているだけ。

可愛いお顔が台無しだよー、と少女の顎に人差し指を添えて緩く持ち上げる。ぱくんと簡単に閉じた口にいい子だねと頭を撫でて辺りを見回してみた。


「へえ。こんな造りになってんだ。随分あっちとは様子が違うねえ」


足元にあった何やら突起の沢山付いた小さな絡繰りを手に取る。一つの柔い突起を押せば、背後からぷちんと音がした。

振り返って見るが其処には暗闇以外もう何も映っていない。自分の後ろで未だ言葉を失っている少女の姿が反射しているだけだ。


「…ああ、これがりもこんってやつ?よく旦那が出た時に慌ててこれ探してるよねー。なに?この小さいのでこの箱を操れるの?見た目じゃ分かんないもんだなあ」


あははと笑って手の中に収まる絡繰りの突起をまた一つ押した。ブゥンと鈍い音がして景色が映る。己がいた世界の、景色だ。


「…こんな風に見えてんだね。なんか変な感じ」


郷里を懐かしむというのでは無いが、奇妙な感情が胸に広がる。やはり此方は違う世界なのだと改めて理解した。


「あな、あなたはゲームの、中の、人、でしょう?どうして、い、いるの?」

「やだな、自己紹介したでしょ?名前で呼んでよ」


やっと口を開いた少女に向き直って、ね?と首を傾げたら、たどたどしくも名を呼んでくれた。まあ今はそれで良しとしよう。


「別にあっちからこっちに来ただけだよ」


へらりと事も無げに告げれば、ぐっと彼女の眉間が狭まり皺が寄る。茶化すつもりはなかったのだが。どうやらこちらとあちらでは理解の差があるらしい。

警戒しながらも説明を求める視線に苦笑が漏れる。ギン!と増した眼力におっかねえと肩を竦めた。


「君の反応を見る限りじゃ、あっち、俺達のいた所の事は多少なりとも知ってるんだよね」

「…知ってるも何もゲームじゃないですか」

「げーむ?あ、げーむってのになるんだっけ?まあどうでもいいや。君らの中じゃそのげーむの人物が目の前にいる事が信じられないって顔してるけど俺達は知ってたぜ?」

「…え?は?ちょ、何、言って」

「だぁからぁー、俺様は君の事知ってんの」

「なんで…」

「なんでって、だってずっと見えてたもん」

「見え…?」

「てましたよー?ばっちり。最初は大変だったよねー。なっかなか上達しないから俺様も旦那も生傷絶えなくてさ。そう考えたら本当上手になったよねー」


ぱくぱくと口を開閉する彼女に笑って、再び説明をする。


「俺らもね、ちゃんと存在してんだ。この箱の向こうで」

「存、在…」

「そ。普通に飯食って寝て、たまに旦那の鍛錬に付き合わされて。戦の事は、もう分かってると思うけど」

「…見えてる、っていうのは?」

「んー、何か戦になるとずっと頭ん中に君がいるんだよね。それですごい形相で色々叫んでる」


でしょ?と覗き込みながら確認すれば、赤くなりながら「う…」と口ごもる。あら、旦那に負けず劣らずの初さ加減。

よしよしと赤くなった彼女を宥めるように頭を撫でれば、慌てて庇うように両腕を交差された。その反応は少し傷付くなあ。


「君の所から俺様が見えてたんだから、俺様からも君が見えて当然なんじゃない?」

「そういうものですか…?」

「そういうものでしょ」


まだ納得がいかないという顔をしている少女。自分が知っているのは合戦中の必死な顔の彼女だけだから不思議な心地だ。

彼女の表情は豊かで、それが想像していたよりも彼女を幼くみせた。


「あの、じゃあ他の人も?」

「竜の旦那とかは知らないけど、多分旦那にも見えてんじゃないかな。今日は普段より傷を負わなんだ!とか言ってたから」

「もももももうプレイ技術の有無についてはいいじゃないですかあああああ」

「あははははは!」


存分に笑った所で目尻の涙を拭う。彼女はまるで栗鼠のように頬を膨らませてそっぽを向いてしまっていた。

女の慎みもなく不格好に膨れた頬はお世辞にも可愛いなどと到底思えない、はずなのに妙な愛着があるのは何故だろう。


(負けた時も、確かこんな顔してたっけねえ)


自分のような色男に見せる顔じゃない。恋事に関する駆け引きは主と張るのではないかと不躾ながらも予想出来た。


「…また何か失礼な事考えてるでしょう」

「まさか。可愛らしいなあと思っただけだよ」


すると即座に茹で上がる彼女の顔。

…ああ、此方の世界に来なければ彼女のこんな姿を知る事はなかった。


「ね、名前教えてよ。俺様君の名前知りたい」

「それだけ知っておいて何で名前も知らないんですか」

「言った事ないでしょ?戦中に自分の名前豪語する?…真田の旦那は置いといてさ」

「確かに」


くす、と微笑む少女に安堵する。そう言えば此方に来て初めて見る彼女の笑顔だ。


「で、名前は?」

「…紗智、です」

「紗智ちゃん。綺麗な名前だね」

「て、天然…!」

「天然?止めてよ、天然なのは旦那の方だから」


声が聞きたかった。笑った顔が見たかった。どんな事を話し、どんな風に笑うのか。


…何より、





君の名が知りたかった





(ところでさ、これどうやって帰ればいいの俺様)
(えっ!?知りませんよ!)
(やぁだ冷たいんだから紗智ちゃんてばー。そんな冷たい子にはお兄さんが熱い抱擁しちゃうぞ?)
(うわ、うわああああああん!)
(…わ、その反応新鮮。なんか燃えるね)
(…!?…も、やだあ!早く戻って下さい!)




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