しっとりとした雨の降る休日の午後をソファーに寝転がって微睡んでいる時の幸福感ったらない。昨夜は職場での飲み会だった。お酒が残っているわけではないのだがまだ少し気だるい。歳のせいだよなんてツッコミは断じて受け付けないので心しておくように。
足を投げ出しながらレースカーテンの引かれた窓を見る。雨が降っているわりに雲が薄いのか外はほのかに明るい。何事も中途半端はきらいだけどこういう雨は好きだ。柔らかい明るさにほっとする。
ほう、と小さく息をはいて目を瞑れば微睡みが優しく手を引いてくれる。ああ、このうとうとが気持ち、いい……
のしり。
睡魔に抱かれかけていた意識が無遠慮に引き剥がされ、今度は実際に抱き締められる。いや抱き締められると言うよりのし掛かられていると表現するのが正しいか。うちのペットくんに。
「…なに、さすけ…」
「………」
ほうほう。人の睡眠を妨げておいて黙秘ですかいい度胸だ。胸元に置かれた顔はそっぽを向いていておまけに唇もとんがっている。ほうほうほう。そんなふてくされた面下げてよく来たな本当にいい度胸だ。
親指と小指がちょうどこめかみに当たるように佐助の顔に手をかざす。そして一気にアイアンクローをかましてやった。
いったたたたたァアアアア!と悲痛な声の後にごめんなさい菜緒ちゃんごめんなさい!!という言葉が聞こえてようやっと放す。最初っから素直にしてりゃ痛い思いをせずに済んだのに。おばかさんね。
でも、こめかみを押さえながら、いたいよう頭がいたいようとメソメソするのでちょっとやり過ぎちゃったかしら。
少し芽生えた罪悪感から頭をよしよししてやる。するとふんにゃり笑うものだから、ついつられてしまった。しかし何かを思い出したようにキッと表情を引き締める。なんなんだ一体。
「俺様は!怒って!います!」
「なんでよ」
「な、なんでよ!?昨日あんな事しといて!」
「昨日?私なんかしたっけ?」
「おっ、俺様の純真を傷付けておいてぇっ!」
おいちょっとまてその言い方誤解を招きそうじゃないか。さっきみたいにアイアンクローで黙らせてもいいんだけど、これ以上騒がれても困るし面倒だ。
私はここで無敵の言葉「おいで」を発動する。両腕を広げれば、ぐしゅぐしゅ言わせながらも一目散に飛び込んでくるところは可愛い。だけど誰も乳まで揉んでいいとは言ってないぞ調子乗るな。
もむもむしていた手を止めさせて、とりあえずほっぺをつまんでおく。うっすいのによく伸びるのよねえ。
存分にほっぺで遊んだ後、佐助は赤くなったほっぺをさすりながらぽつぽつと話始めた。
「菜緒ちゃん昨日飲み会だったでしょ?」
「ああ、うんそうだね」
「誰かに、…男に送ってもらってたでしょ」
「うん、後輩ね」
「………」
「……え?で?」
「…その人と…」
「うん」
「………タクシーから降りる時…車内で…キス、してた…?」
「うん、…ぅううぅん…?」
「やっぱりそうなんだあ!!」
堂々と肯定されたあ!と泣き出した佐助に今のは聞く流れで相槌打っただけだって!と私も必死だ。浮気がバレた時の彼氏ってこんなに大変なのか。いや立場がなんかおかしいけども。
確かに昨日は後輩にタクシーで送ってもらったが、もちろん彼とそんな事をするはずもなく。では佐助は何を見たんだろう。
すんすんと鼻を鳴らす佐助をなんとか宥めつつ詳しい話を聞いてみた。
「菜緒ちゃんが相手の胸に手を置いて顔近付けてて…ぇ…」
思い出したらまた悲しくなったらしい。浮かび上がる涙を必死で堪える佐助を胸に抱きながら背中を叩く。胸のところが何かもぞもぞしてるけど今は勘弁しておいてやろう。
それにしても佐助の証言によれば確かに私と彼はキスしているように見えるだろうし、さらに私から迫っているようにも見えなくもない。
う〜ん、昨日は結構飲んじゃったからなあ…。後輩と一緒に帰ったって事しか覚えてないぞ…。
うんうん唸っても思い出せないものは思い出せない。こうなったらもう一人の証人に聞くしかないか。携帯を取って電話帳を開く。何事も迅速に行うに限る。このままズルズルしてたら佐助が泣きすぎて干からびちゃうしね。
「あ、もしもし白石くん?昨日はどうもねー」
きゃあ!目の前で堂々と浮気ィ!と悲鳴が上がるが無視だ無視。
『こんにちは、菜緒さんこそお疲れ様です。なんや悲鳴聞こえますけど、どないかしたんですか?』
「気にしないで。いやね、昨日タクシーで送ってもらったでしょ?その時私なんかしちゃった?」
『なんか、ですか?』
う〜ん、と唸る声と少しの間があってから、「あ」と少々間の抜けたテノールが聞こえた。
ちょっと佐助、携帯取ろうとしないでよ。私だって真相知りたいんだから。
『俺の純真傷付けられましたわ』
「菜緒ちゃん何してんのぉおおお!?」
「いや、え!?じゅんし、きずっ、…え!?私なにしてんの!?」
まさかの衝撃告白に二人して携帯を握り締めながら喚きちらしていると、そのやり取りで全てを悟ったらしい後輩くんは隠そうともせずに携帯の向こうで爆笑していた。端から見れば奇怪な光景極まりなかっただろう。周りに人がいなくて本当によかった。
『菜緒さんほんまに何も覚えてないんですか?』
「…ごめん」
『ほな降り際に俺の胸にくっついてきた事も?』
「……ごめん」
『でも直ぐ離れてさっさと降りたと思ったらポケットにタクシー代、しかも俺の分まで入れていった事も?』
「ごめ…え?」
『あれはしてやられたな〜と思いましたわ』
後輩言うても男やしそれくらい出させて下さいね、ほな。白石くんはそれだけ言うとさっさと電話を切ってしまった。
さて、予想外の真実だったわけですが。
「あの…疑ってごめん、ね?」
「………」
「あぅぅ…菜緒ちゃぁん…」
「…なんてね。むしろ私がごめんね、ややこしい事しちゃって」
キスはしてなくてもあんなに近付いていれば誰だって誤解してしまうだろう。私だってもしそんな場面見たら平静ではいられないと思うし。
お互いにごめん、ごめんねと言い合ってるうちにだんだん笑いが込み上げてきた。だって、なんだか、へんなの。
ふふー、と笑う佐助の幸せそうな顔には私への想いが溢れていて。ダイレクトに向けられる度にむず痒くて気恥ずかしくなるんだけどその感覚は嫌いじゃない。
昔の私なら嫉妬を窮屈に感じていただろうし、相手から向けられる素直な感情に対して素直に返せずに持て余す事が多々あった。「自分」を取り繕う事に必死だったんだ。
だけど佐助は、喜怒哀楽を、私への想いを包み隠さず出してくれる。何度私が「自分」を取り繕っても変わらず素直に向き合ってくれるから。
愛される心地好さを知ってしまったから。
「さっちゃん」
「ん?」
「好き?私のこと」
「好き!ふふー、好きだよー」
「そ」
佐助のさらさらな髪を耳にかけてほっぺに口づける。あらわになった耳へ、私もよ、と囁けばそのまま腕の中に閉じ込められた。
愛されたがりの午後
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