時計を確認してから、いっそ起きなきゃ良かったと現実逃避。昨夜ゲームに没頭しすぎた自分を心底恨んだ。
(遅刻する…!)
一昨日初めて顔を合わせた恐面の面接官を思い出して、背筋に嫌な汗が伝う。学校に遅刻する方がいくらかマシに思われた。制服が可愛いと評判の駅前のケーキ屋さん。その制服が着たいからとかじゃなくて、ただ余ったらケーキ食べれるんじゃねえの、なんて邪な考えで面接に行った私が馬鹿だった。
(初日から遅刻なんてしたら、)
考えるのも恐ろしくなって急いで身仕度をした。この際寝癖なんて構っていられない。ばたばたと玄関を出て初めて、自分がどれほど絶望的な状況にあるのか理解した。
駅前まで徒歩三十分。そう言えば昨日、愛車のジョニーは盗まれたんだった。
「居なくなって初めてジョニーの大切さに気付くなんて…!」
こんな馬鹿やっている暇はないのだけども。どうしようもない。私は小さく舌打ちをしながら、駅までの道のりを全力疾走することにした。
「し、信号機なんて滅んでしまえ…!」
ハァハァと肩で息をしながら、自分の膝に手をつく。横断歩道を前にして、本日三度目になる赤信号を睨み付けた。誰かの呪いだろうか、近頃の私の運の悪さは目を見張るものがあると思う。
携帯を開いて時間を確認すれば、あと五分で約束の時間になる。このまま走ったとしても十分は遅れる計算式を頭の中で弾き出して泣きたくなった。
「菜緒ちゃん」
「赤信号コノヤロウ!」
「菜緒ちゃーん」
「お前が居なければあるいは…!」
じっとして居られなくて、駆け足の状態のまま無機質に悪態をつく虚しさと言ったらない。すぐそばに駐在してあるバイクのエンジン音が耳に響く。目の端にちらつく暗い迷彩柄。私の苛々もあのバイクの所為だ!なんてお門違いの怒りをこめてそちらに目をやれば、そのバイクに跨がっている男にひらひらと手を振られた。
「…佐助先輩?」
「あ、やっと気付いた」
見覚えのあるバイクだと思ったら。外装が迷彩柄の派手なバイクなんて、そうそうあるはずないのに。
駆け足で乱れた呼吸を整えながら、私は佐助先輩に近付いた。
「こんなところで、どうしたんですか?」
「それはこっちの台詞。俺様二回くらい呼んだんだけど」
「え、マジですか」
「マジ」
佐助先輩に会えたことで、バイトに遅刻しそうなこの悲愴な現実を束の間忘れてしまっていた。バカだ。しかもこんなみっともない格好を見られてしまうなんて、本当に今日の私はついてない。せめて寝癖くらいは直しておけば良かったと思っても後の祭りだ。
「急いでんの?」
「はい、それはもう」
バイト遅刻しそうなんです。しかも初日なんです。本気で半泣きになりながら訴えると、ぽす、と頭に何かを被せられた。視界が急に狭くなって、手探りで頭を確認する。先輩のヘルメットだ。
「せんぱ、」
「送るから、乗って」
綺麗に弧を描く佐助先輩の唇に嬉しくなって、「ありがとうございます!」と言いながら素早くバイクの後ろに跨がる。今の私には、しおらしく遠慮する余裕すらないみたいだ。
先輩のバイクに乗れるなんて、私ってばついてるじゃないか。どうしたら良いのか分からなくておずおずと腰に手を回せば、佐助先輩はそれを確認してから、「行くよ」とさっきまで私が睨みつけていた信号機の前を勢い良く走っていった。
「駅のとこ?」
「そーです!」
「オッケー、任せて」
「今度お礼しますね!」
「あは、気にしなくて良いって」
左右の景色と一緒に流されてしまいそうな言葉を必死に聞き取りながら紡いでいれば、苦笑する声が聞こえた。優しい。けれどそういうわけにもいかない。私が「でも、」と言う前に、佐助先輩は前を向いたまま続けた。
「このバイクさ、後ろに乗せるなら菜緒ちゃんだけって決めてたんだよね」
「……は、」
それまで邪魔だと思っていた風の音が、瞬間消えたように感じた。聴覚が拾うのは先輩の心地好い低音だけ。灰色の道路を走る迷彩が景色に溶ける。
走っているのはバイクなのに、私の呼吸はまた乱れた。
迷彩だーりん
(どんなについてなくとも、あなたに会えればハッピーデイ!)
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Title(00):
「迷彩だーりん」
親愛なるさすともの皆様と佐助への愛を込めて。
080912/利土
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