激しく唸るドライヤーのスイッチを押して大人しくさせる。水気が飛び、ボリュームの増した髪を手櫛で簡単に梳いてからリビングに向けて声を上げた。


「佐助ーこっちおいで、乾かすから!」


…沈黙。

軽い足音を立ててやって来るであろう仔狐を待つが一向に足音どころか気配もしない。

おかしいな?不思議に思いリビングを覗き込むがそこに目当ての姿は無かった。

ドライヤー片手に辺りを見回せば、まだ湿り気を帯びたふくよかな尻尾がソファの背後から生えている。頭隠して尻隠さずをここまで見事に体現してくれるとは。


「ほーら、乾かすからこっちおいで」

「やっ!」


面食らう、というのはこの事を言うのだろうか。まさか佐助が私に拒否の言葉をぶつけるなんて。…て言うか嫌も何もただのドライヤーですけど!


「なぁにが嫌か。おばかさんな事言ってないで早く出といで。風邪ひくよ」

「やっ!それいやっ!こわい!」

「怖いぃ?」


なにが?どこが?訳が分からなくて手持ち無沙汰なドライヤーのスイッチをカチリと押す。再び温風を吐き出し始めた途端、仔狐の幼い体は跳ね上がった。


「おと!や!」


震える手で同じくぷるぷるする耳を押さえて見上げてくる佐助の大きな瞳には薄い涙の膜すら張っている。

やれやれ、ため息をひとつ零してスイッチをオフに。ようやく大人しくなったドライヤーに安堵した隙を見計らって素早く後ろから抱き上げた。


「うりゃ!」

「ひぇ!?」


ぷらーんとぶら下がる尻尾は多少膨らんでいて本気でびっくりしたみたいだ。

今度は何事!?とばかりに振り返って私を見た佐助は「ぴっ」と喉から引きつった声を発した。


「言ーうーこーとー聞ーかーなーいー子ーにーはぁー…」

「あう…あわわわわ…」

「こうだっ!こちょこちょこちょこちょ!」

「きゃああああああ!うひぁっ、あきちゃっ、こひょば、いにゃぁあああははははは!」


甲高い笑い声の合間にやめてえ!と若干涙の混じった哀願が聞こえ、幼い脇腹をくすぐっていた手を緩める。

くたりとなだれ込む体はハフハフと乱れた呼気に上下し、佐助?と名を呼べばゆるゆると視線をこちらに向けた。

突き出した唇が不機嫌さを表し、潤んだ瞳が非難がましく私を捉える。


「あきちゃんの、ばかあ…」

「誰がばかよ。そんな事言う子にはぁ…」

「ぅ、ひゃっ」


こちょ、とひとつ指を動かせば過剰に体を震わせて、ぼふんと音がしそうなくらいに尻尾が膨らんだ。

きっと今の私は言いようのない程人の悪い顔をしているんだろう。恐る恐る覗き込んできた佐助の唯でさえ大きな目が、ぽろりと落ちてしまわんばかりに見開かれていた。


「言う事聞いて大人しく乾かされる?」

「きく、きくよう…あきちゃんのいうこと、ちゃんときくからぁ…」


そろそろと手を伸ばしてきたので、この体勢では腰や背中が痛いだろうと体の向きを変え、抱き直してやる。そのままするりと首に短い腕が回されて、きゅうと締まった。


「…ごめんなさい…いいこにするから…」


ぐじゅ、と洟を啜る音が聞こえて、今さらながらやり過ぎたなあと反省。謝罪の意味を込めて背中を撫でる。

たす、たす、たす、と一定の感覚で背をたたけば佐助の体が緩急していくのが分かった。


「ごめんね、やり過ぎたね。…嫌いになった?私のこと」


微かにしゃくり上げる背に胸がいっぱいになってきて思わず言葉がついて出た。その台詞に私の肩に頭を乗せていた佐助はとても驚いた様子で私を見る。


「おれさまが、あきちゃんのことを?」

「うん」

「…なんない」


なんない。なんない。なんないよぉ。


それはそれは甘く、柔らかに微笑んだ佐助はぐりぐりと肩口に頭をこすりつけ、くふくふと鼻と喉を鳴らしあきちゃんあきちゃんと名前を呼ぶ。垂れていた尻尾はご機嫌で私の腕に絡んできた。

すでに湿り気を帯びていたものも乾いてしまったようだ。


「なにされてもおれさまあきちゃんすきだもん」


そう言って、髪が乱れるのも気にせずにじゃれてくる佐助をたまらない気持ちでぎゅうと抱き締めた。





ピンポーン。


来訪者を知らせるベルが響く。誰だろうかと互いに顔を見合わせれば、佐助の鼻がすん・と鳴る。


「あ、たいしょうとだんなだ」

「たいしょー?だんな?」


聞き慣れない名称に首を傾げると「おおやのおじさんたち!」と言い残して、佐助は狐の姿に戻ってしまった。



そうと分かれば待たせちゃいけない。

「はぁい!」と声を上げて慌ててドアを開けた。そこには佐助の言う通り信玄さんと、その逞しい腕に抱かれた幸村がはちきれんばかりに尻尾を振っていた。


「こんな時間にすまんのあき。しかし確認もせずにドアを開けるのはあまり感心せんな」

「あ…すみません」


佐助から聞いてたので、なんてもちろん言えるはずもなくて素直に謝罪の言葉を口にすれば、信玄さんはいや、と目元を緩める。


「お主は儂の娘のようなものじゃ。余り心配をかけてくれるな」


柔らかな声色とその言葉が嬉しくて表情を緩めると、ついて来ていた佐助が私の足首に身を擦り寄せた。気付いた信玄さんが佐助の名を呼ぶと同じく嬉しそうに返事をする佐助。

すると大人しくしていた幸村が自分も忘れないでと言わんばかりに大きく鳴いた。


「おお、そうじゃそうじゃ。忘れておった。あき、ひとつ頼みたい事があるのだが、構わんだろうか?」


話によれば、信玄さんが師範をしている道場で三日間の合宿があるらしい。その間幸村の面倒を見てはくれないかというお願いだった。


「もちろん!むしろ喜んで!」


断る理由も無く、二つ返事で了承すれば信玄さんもほっと安心されたよう。抱えられていた幸村を抱き取って、ちょいちょいと首をくすぐれば尻尾が元気に揺れる。


「すまんな。それでは宜しく頼む」

「はい。お気をつけて行ってらして下さいね」

「幸村もあきに迷惑かけるでないぞ」


凛々しく返事をする幸村に、うむ、と満足げに頷く信玄さん。わしわしと幸村を撫で、もう一度宜しく頼むと告げて戻っていかれた。

その後ろ姿を寂しげに見つめる瞳。それでも鳴かない幸村の頭を撫でて私もドアを閉めた。



玄関では佐助が心配そうに見上げていて、そっと幸村をそこに下ろす。

慰めているのであろう、しょんぼりした幸村に頭を擦り寄せていた。


「ほら、中入ろ?」


小さな二匹を抱き上げて居間に戻り、しばらくもすればじゃれ合い始めた姿を見て私もほっと胸を撫で下ろした。



明日から三日間、幸村を交えての共同生活だ。


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