お腹にある暖かい存在を撫でて心を落ち着かせていたら、何かが腰辺りに触れた。
「おろ、小十郎さんじゃありませんか」
たし、と私に片前足を掛けて見上げてくるのは政宗くんの飼い猫の小十郎さん。黒に近い濃灰の短毛で左頬にうっすらと一本の傷がある、猫にしてはしっかりした体躯の凛々しい顔つきの雄猫。
「最近調子はどうですかー?」
うりゃうりゃと首をくすぐれば、「まあまあだ」と答えるように喉を鳴らす。彼の双眸は常に鋭く、まるで主の身を守る従者を彷彿とさせる。
しかしその切れ長の瞳もこのアパートの住人達にはどこか心許したように細められるのが嬉しい。出会った頃は…と思い出に浸るのはまた今度にしよう。
「政宗くんは本当いい小十郎さんを飼ってるねえ」
「そりゃどーも。つか前から気になってたんだが何でお前小十郎に敬語なんだ」
「貫禄があるから」
「…そうかい」
何故か呆れている政宗くんを無視して小十郎さんを構っていると、寂しくなったのか佐助が服からこっそりと顔を出してきた。
どうするのかと様子を窺っていれば、小十郎さんも怖がらせないようにしてくれているらしくじっと様子を見ている。
いつの間にか信玄さんや政宗くんの視線も向けられていて、異様に静かな空気と集まった視線に気付いた佐助はまた私の服の中に潜ってしまった。
うーん、意外に人見知りする子だったんだなあ。
様子を見ていた信玄さんは苦笑しながらトンカチを鳴らす背中に声を掛ける。
「元親、少し中休みをせんか」
「おー」
応えながらも、キリのいい所までしたいのかトンカチの軽快な音は止まらない。
「面倒見のいい男よ」
はっはと笑って、「茶でも持ってこよう」とおじさんは中に一度引っ込んだ。
「おーあき」
「お疲れさまー」
暑いのかTシャツの首元を掴んでバタバタ扇ぐ元親くんは嵌めていた軍手を外し、投げて寄越したのをキャッチする。…滲む汗と頭に巻いたタオルがいやに似合ってますねお兄さん。もし、元親くんがそこいらで道路工事してたとしても馴染み過ぎてて気づかない自信があるよ私。
「あん?何笑ってんだ」
「気にしないで…」
「お前タオル異様に似合いすぎだろ。土木工の兄ちゃんか」
「ぶはッ!」
「あっ、あきおめーそれで笑ってたな!?」
な・ん・で・突っ込むかな、吹き出しちゃったじゃんか!てか政宗くんも同じ事思ってたのか!
「てめえオイコラ!」
「いたっ!いたたた!縮む!縮むから!」
「縮め!」
「ひでえ!」
元親くんの大きな手の平でぐりぐりぐりと頭を押し付けられる。
これ以上縮んだら本当に困るからやめて!隣でゲラゲラ笑ってんなよ政宗ちくしょう!
ぎゃーぎゃー暫く騒いでから、ようやっと気が晴れたのか元親くんは巻いていたタオルを首に掛け、どかりと縁側に腰を下ろした。
「うう…確実に3センチは縮んだ…間違いない…」
「そん時はまた引き伸ばしてやっから心配すんな」
「わあ余計なお世話をありがとう」
さめざめと、か弱い女の子が泣いているにも関わらず隣の男共はニヤニヤ笑みを浮かべている。
「泣くなよハニー、てめーには女の魅力を微塵も感じさせないバカっ面な笑顔が似合ってんぜ」
「いやいやいや、口開けて涎垂らしてる寝顔も捨てがたい」
「ううううっさいうっさい!てか何で元親くんは私の寝顔とか知ってんのよ!」
「何でってお前、よくここで昼寝してんじゃねえか。嫌でも目に入らァ」
「ああ、確かに嫌でも入るな」
「嫌とか言うな乙女の寝顔を!もうヤダこの眼帯コンビ!」
佐助ぇ!と縋るように名前を呼べば、襟刳りからひょこんと顔を出した佐助を抱き締める。うにうにと濡れた鼻先で頬を押す佐助だけが私の拠り所だ。
「こいつが新入りかァ。元就ィ、おめーも挨拶しな」
政宗くんと同様に隻眼を見開きつつも、「よろしくな」とニカリと笑う。そして庭の木に向かって声を掛けると軽い羽ばたきが聞こえた。
美しく、鮮やかな翠の羽根を優雅に翻して元親くんの頭に留まったのは一羽のインコ。
羽根を軽く繕ってからこちらを一瞥。佐助はやっぱり体を震わせて、ひたりと私にくっ付いた。
元就と呼ばれたインコの鋭い視線が向けられていたが、すぅと視線は外され、佐助じゃないが私まで詰めていた息を漏らす。
ピリリと張り詰めたものが消失した瞬間、再び軽やかな音を立てて、すうと浮かび上がる。その優雅な様子に思わず見惚れていると小さくも鋭い嘴が銀髪の頭上に思い切り突き落とされた。
「いいい痛ってえ!なにすんだ!」
まさかの襲撃に若干涙目で仕掛けた犯人を捕まえようとするが、空に舞い上がった鳥にスピードで敵うはずも無く手は虚しく空を切る。庭をバタバタと走り回る元親くんを嘲笑うかのような飛び方をしているように見えるのは気のせいだろうか…。
お茶とお菓子を持ってきて下さった信玄さんが、庭の騒がしさに気づいてフ、と笑う。
「相変わらずだのう」
「ねー」
「だからって飼い主に手ェ上げんのもどうかと思うがな」
元親くんの飼っているインコの元就。その冷気すら感じる涼やかな相貌通り、彼の矜持はそこいらの山より高い。
その事を、それこそ痛い程知っているはずの飼い主は誰よりも彼の矜持を逆撫でするのが上手かった。
今回は「挨拶しろ」と上から目線で言われたのが原因だと思われる。…多分。
「なかなか学ばないね…」
「まあ、それでも何とかなってるからいいんじゃねえか?」
戻ってきた信玄さんと隣で見ていた政宗くんと一緒に、元就にいいようにあしらわれてる元親くんを笑いながらみんなで新しい住人を歓迎した。
相変わらず佐助は私の襟刳りから顔を覗かすばかりだったけど、隠れた尻尾が楽しそうに揺れていたのでこの子が此処に馴染むのも時間の問題だ。