私の朝は正直言って「甘ったるい」。
惚気るつもりは毛頭ないが、そう表現せざるを得ないのは一緒に住んでいるペットのおかげである。
毎朝私を起こす事を日課としているペットくんだが、休日は起こさず好きなだけ寝かせてくれる。だからいつもの日曜日のように気のすむまで寝て、自分で目覚めるはずなんだけど。
今朝は甘ったるい行為でも声でも無く、甘ったるいニオイが私を目覚めさせた。
「…おはよ、佐助」
「あ、おはよ菜緒ちゃん。休日は相変わらずのお寝坊さんだね」
「まあね。…で、何?この甘いニオイ」
「んふー」
にまり。得意気に、且つ邪な色を含んだ笑みを見せるオレンジ色のペット。
…一体何を企んでいる。
「ちょ、ちょっとちょっと。なんでそんな距離とるのさ。バレンタイン!今日はバレンタインでしょー!?」
すっかり頭から抜けていたその行事に「…あ」と間抜けな声を出せば「やっぱ忘れてた」と苦笑された。
「…だって休みと被るし」
「それどんな言い訳。まあ俺様としてはラッキーなんだけどねー」
「なんで?」
レンジの前で鼻歌を唄いながらチョコをテンパリングする佐助の背後に寄って、脇から顔を出す。
溶けたチョコは艶やかに波打ち、もうすでに美味しそう。
すると佐助の長い指が揺れるチョコの表面を掬い、そのまま私の口元へ持ってきた。その行動の真意に気付いて、ぱくりと遠慮なく口へ含む。
舌に乗せた指先を舐め、軽く食んだ。
絞るように数回軽く吸いつけば、ぽんと音を立てて引き抜かれる指。
「人の指をエロくしゃぶらない」
「あんたがしゃぶらせたんでしょーが」
んもー減らず口!と訳の分からない文句をつけて佐助は再度チョコを掬い、今度は自分の口へ運んだ。
なにさ、自分だってエロくしゃぶってるくせに。
「…なに?」
「別に?このエロ助が」
「え?俺様それ悪口言われてんの?」
菜緒ちゃんって時々不思議ちゃんだよねーとへらへら笑う。
私からすれば普段は敏いくせに、たまに驚くほど天然になるこのペットの方が不思議だ。
まあ本人は無自覚なようなので言ってもきっと分からないだろう。天然とはそんな生き物なのだ。
「…よし!甘さもちょうどいいし、完成かな」
「え?これで完成?まだドロドロだけど」
料理は見た目の良さも大事だと常々言っている佐助にしては珍しい。驚いて聞き返せば、とってもいい笑顔でヤツは言い放った。
「俺様を食べていーよ」
「あ、ごめん、ちょっと私耳悪いんだ。もっかい言ってもらえる?」
「だからーチョコでコーティングした俺様を食べていーよって言ったの」
「…あんたバカァ?」
かの有名な暴言を吐いたにも関わらず目の前の男は至極楽しそうにニコニコしている。
「さ、遠慮せずにどーぞ?」
「頭いたい…」
「えっ、大丈夫!?薬持ってこようか!?」
一体誰のせいだと思っとるんだ。
とりあえず落ち着きなさいよと湯煎済みチョコの入っていたボールを置いて、ラグの上に座らせる。私もソファに腰掛けてから深いため息をついた。
「…一昨日同僚に、『お前を食わせろ』とか逆に言いそうとか散々馬鹿にされたけど、まさか相手からそう言われるとは思ってもみなかったわ」
「そうなの?言う手間が省けてよかったね!俺様えらい?」
「アホです」
間髪入れず返せば佐助の頬はプクーと膨れ、分かりやすくむくれてしまった。しかし怒気を孕んだ空気は少しずつ様子を変え、まるで子どもが拗ねたみたい。
「せっかくのバレンタイン、菜緒ちゃんと一緒だから張り切ったのに」
張り切る方向が違うだろと胸中で思わず突っ込んでしまったが、本当に楽しみにしていたようでじくりと胸に罪悪感が湧く。
私も大概甘いなあ。そんなため息を止める事は出来なかった。
「ごめん、食べるよ。それちょうだい?」
「えっ!?」
「違う違う違う!何嬉しそうにズボン下ろそうとしてんだ!チョコ!チョコの事言ったの!」
「ちえっ」
カチャカチャとベルトを直す佐助に安堵する。本当とんでもないヤツだなこいつ。
「はい、菜緒ちゃん。あーん」
「ん」
「おいし?」
「ん」
「よかったー」
スプーンでなみなみと揺れるボウルからチョコを掬い、甲斐甲斐しく口に運ぶ佐助は本当に嬉しそう。
惜しみなく与えられる愛情というのは心地良く、同時に少し気恥ずかしい。
幸せなんだけど負けず嫌いな私は自分だけ恥ずかしいというのが悔しくて、もう一度チョコを掬おうとした手からスプーンを取った。
「菜緒ちゃん?」
「今度は私が食べさせたげる」
スプーンをチョコに浸し、佐助の口元へ運ぶ。しかし向けるのは本来使わないスプーンの裏側で。
頭に疑問符を並べる佐助の顎を軽く掴み、口を開けさせないようにした。
「んっ!?菜緒ひゃ…っ!?」
「しっ」
黙ってて…。
囁いて、佐助の唇をチョコの付いた裏側ですうと引く。するとまるで口紅を塗ったようにてかる唇が現れた。甘美な芳香を漂わせるそれはきっとチョコだけのせいではないんだろう。
多大な色気を醸し出すそこにかぶりついて、唇に乗ったチョコを舌で掬い、そのまま咥内にねじ込めば色付いた吐息が漏れた。
なぶるように舌を絡ませ、ちゅぽんとわざと滑稽な音を立てて口を離す。
はふ。微かに息を零した佐助は目を潤ませ、とろりとした顔で私を見上げていた。
「…菜緒ちゃんて、たまにすごく肉食系…」
「まあね」
いいようにされるのが恥ずかしいのか羞恥に顔を染めてはいるがそれでもどこか期待の色を隠せていない。
にやりと笑みを浮かべつつ、スプーンを示してみれば俯きながらもこくんと小さく頷いた。
タイムリミットはチョコが無くなるまで。Happy Valentine!
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