ある日、村の長が一人の女のヒトを連れて家にやってきた。
どきりと心臓が跳ねる。
ネコが家に入っている事がばれてはならないと慌てて外に出ようとしたら、隅で音を立てぬようじっとしておれと言い渡された。
もしばれてしまえば幸村様までお叱りを受けてしまう。他のヒトよりも一目置かれている幸村様とて規律を破ればただでは済まない。この方が傷付けられるところなど絶対に見たくなかった。
そう告げると幸村様は酷く嬉しそうな顔をして、俺を心配してくれるのかと目線を合わせる。
ネコがヒトを、主を心配するなど無礼にも程があったと気付き、出過ぎた真似を致しましたと慌てて頭を下げた。
勢いよく頬を張られると思い歯を喰いしばる。しかし振り下ろされるはずの拳は柔らかく頭に乗せられ髪を梳いた。
さらり、さらりと畏れ多くも主に手入れをして頂いている髪が揺れる。
違う、俺は嬉しかったのだと幸村様は仰られた。
顔を上げる事が出来ずそのままでいると、いいか、物音一つ立ててはならぬぞ、ともう一度告げられ幸村様は村長の元へ行った。
言い付け通り音を立てぬよう、気配を気取られぬよう移動し、隅の暗がりへ膝を抱いて身を収める。
本来ならばこのような場所こそネコにふさわしい。ふさわしいはずなのにとても寒い。
早く幸村様がお戻りにならないだろうか。早く私をお抱きにならないだろうか。熱を与えては下さらないだろうか。
臓腑を押し上げる質量で熱く穿つ主の雄。毎夜の快感が刻まれた下腹部がずくずくと独りでに疼きだす。
快楽に歪む主の顔を思い出し、低く掠れた声が耳をくすぐる。私を労りながらも腰を止める事はなく、肉と肉がぶつかり結合部から溢れるどちらともつかない体液が弾ける音。
鮮明に思い出したそれに無意識に下腹部へ伸びた手に気付いた。卑しいモノのくせになんという不埒な。
膝を抱いていた腕に歯を立て、不遜な考えを浮かべた自身を戒めた。赤く滲むそれに改めて言い聞かせる。
私はネコなのだ、と。
暫くして戻ってきた幸村様の表情は浮かばず足取りは重い。
ああ、きっとこれは罰だ。ネコがネコらしかぬ日々を、抱いてはならぬ感情を持っているから罰が下った。
「嫁を、娶れと言われた」
「…おめでとうございます」
深々と頭を下げる。元より引く手数多な方なのだ、今までお独りだった事が不思議なくらい。
やって来たのは村長の娘。身分も申し分ない。沢山の嫁入り道具と共に若いイヌとネコを引き連れてやってくるのだろう。使いふるされた畜生はただ去るのみ。
「幸村様」
どうか菜緒をお捨て下さい。
頭を下げたまま告げた。主の表情は分からない。
惨めな存在になる前に、新しく形成される一つの中で疎まれ不快にさせる前に、美しいヒトと交わる主を見る前に、
どうか、どうか。
「…菜緒」
静かに響く低い声とは裏腹に、痛い程肩を掴まれ下げた頭を上げさせられる。
ぎちりと食い込んだ指の苦痛に眉を歪めてしまう。
主の顔は怒りに満ちている。
ああ、優しいこの方を怒らせてしまった。
「…この傷はどうした」
「戒め、で、ございます」
まだ薄く血の滲む腕を痛々しく見つめる主の瞳に苦しさが混じる。何故、何故貴方がそのようなお顔をなさるのです。
何をしても主を苦しめてしまう愚かな自身に泣きたくなり、胸中で叱責した。
「戒めなど…己を傷付けて何になる莫迦者が」
「畜生、ですので」
その瞬間、何が起こったのか即座に理解出来なかった。肩のみに集中していた強い圧迫感が背中に、身体全体を覆う。
密着した堅い胸からは一定の速度で強く刻まれる鼓動が直接私の胸を伝ってくる。主の腕が私をしっかと抱き締めている。
「畜生などではない、お前は人間だ」
「ゆ、幸村さ、ま、おは、お離しくださ」
「俺はお前が可愛い」
臓腑に繋がれた鎖が鳴く。隠鬱な音が静かに響き、身体中が錆びた歯車を噛ませたような不快な音を立てて軋んだ。
「他の者など獣にしか見えぬ。俺にとってお前だけが人間だ」
じゃらり、じゃらり。鉄錆の臭いを放ちながら鎖が響く。
「菜緒、俺は、」
じゃらり。
一際大きく鎖が鳴いて、それに反応した身体が主の背に腕を回させていた。
「幸村様」
続きを紡ごうと開いた主の口が一瞬反応し、しかしそのまま噛み殺す。
…なんだ、低く呟いた主の目は苦く伏している。申し訳ありません、と先に告げてから主の厚い胸板を見つめて、ぽそり、唇先で呟いた。
菜緒を抱いて下さい
主の顔は苦く歪み、何かを伝えたそうに私を睨む。一瞬だけ唇が開いたが何も言わず、ただ小さく、莫迦者が、と呟いた。
「…っぅ、っ、う、あ、」
待ち望んだそれが穿たれる度に嬌声が上がる。蕩けるなんて優しいものではない。胎から燃やし尽くさんばかりの激しい律動。時折漏れる苦しげな吐息に無意識に膣が締まり、より内壁を抉った。がくがくと揺すぶられ名を呼ばれる。
その間もずっと鎖が音を立てて私の心臓を締め上げ呼吸をするのもままならない。
「……く、っ」
ある一点を越え胎内の雄が膨らんだのに互いの限界が近い事を悟る。
一際大きい肉の弾ける音。最奥にて放たれた宿る事のない子種が胎内で踊り燃え盛る。交わるそこがじんと痺れ、収まりきらなかった子種が滴り落ちた。つう、と熱く肌を伝う感触に気付いて、快楽で途切れそうになる意識の中、毎夜主が問うた答えを呟いた。
菜緒は、幸せでした
見開いた主の目を最後に瞳に焼き付け、燃える胎内に悦び涙しながら白濁する意識を手放した。
灰燼にキス貴方様の与える熱で一片も残らぬようこのまま燃え尽きれたらどれほど幸せか。
灰と化した意識では主の頬を伝ったものに気付く事など出来はしない。