あの日から君達は
「やってしまった…」
騒々しい講義室。びっしりと埋まったそこはまだ春先だというのに外よりいくらか暑い。大学の講義は特別なものではない限り誰でも受ける事が出来る。どの学科でも学年でも。特に教職教養の講義は資格的な意味でも受講者が多いのだ。
そんなのは最初から分かっていたはずなのに睡魔という強敵と戦っていたらギリギリの時間になってしまった。一人暮しの第一の難関と言える。いや、そう勝手に言ってる。
後部席はもう望み薄だろう。前部でもあるかどうか…。
狭くないはずなのに人口密度のせいで圧迫感のある講義室内をきょろきょろしていると、「ねえ」と声が聞こえた。え?私?
「ここでよかったら空いてるよ」
人好きする笑顔で自分の隣を指し示す知らない男の子。一瞬狼狽えたが、教授が講義室に入ってきたのが見えて反射的に体を席へ滑り込ませた。
「あの教授、講義開始までに座ってないと出席くれないもんね」
「うん。だからすごい助かった。ありがとう」
いえいえと微笑む彼は初対面特有の気まずさがない。特に人見知りという訳ではないけれど、初対面での会話はそれなりに気まずいと感じる事が多い分この人のコミュニケーション力の高さか。人柄もあるかな。ふわふわの薄茶の髪に柔らかな笑顔と物腰がとてもマッチしているのだ。
こんな人もいるんだなあと感心しながらカバンの中を探る。
「「あ」」
あれ?声が重なったような?
そろりと声のした方を窺い見ると、隣の彼も苦笑を浮かべて同じ仕草をしていた。
「もしかして忘れ物?」
「教科書を…。あなたも?」
「僕はルーズリーフ」
それは奇遇。私もルーズリーフ愛用者だ。さらに手元には昨日買ったばかりでまだ袋に入ったままのルーズリーフがある。
にへ、とお互い笑って、2・3枚真っ白のルーズリーフを差し出すと同時に彼が教科書を真ん中に置いた。心持ち私の方に寄せて。
情けは人の為ならず?いや、同じ穴のムジナ?なんにせよ協力し合うというのは美しい事だ。
▽
「で?」
「で、そのまま講義終わってからお互いお礼がしたいからって食堂行ってご飯奢りあったんだよね」
「ねー。その時初めて雷蔵と同じ学科で講義も一緒だったってのを知ったの」
「誰がどの学科っての分からないからな。受けたい講義受けに行くし」
「僕ははなこの事知ってたけどね」
「え?そうなの?」
「いつもギリギリで入ってきてうろうろしてるから」
「おぉぅふ…」
にこにこと話す雷蔵の隣で呆れ顔の三郎。同じ顔なのにそこまで違う顔せんでも。
「あの時、雷蔵が知らない子とご飯食べてたからびっくりしたんだよ」
「そうそう」
オムライスを食べる勘ちゃんにハチが同意する。がふがふと親子丼を詰め込んだせいか頬っぺたが膨らんでいる。
ちゃんと飲み込んでから話せとたしなめるのは三郎。意外とそういう所に厳しい。
「勘右衛門も皿の上食べ散らかすな」
「うるさいなー三郎は。この小姑!」
「こんな嫁がきたら苛め倒しても足りない」
「やだこのひとこわい」
おれ鉢屋家に嫁入りしなくてよかったとか訳のわからん事を言っている。でも目が本気だ。
ズコッ、と音が聞こえる。兵助がお気に入りのコーヒーショップで買ったドリンクを飲み終えたようだ。
「あれ?それ見たことないパッケージ」
「新作なんだって。ストロベリーソイミルク」
「美味しかった?」
「うん」
へにゃりと相好を崩す。元が凛々しい顔付きな分、兵助のこういう嬉しそうな笑顔は可愛い。すごく可愛い。これが見たくてついつい豆腐関係だけでなく食べ物を貢いでしまう。相当舌が肥えた兵助の相好を崩すのは容易ではないのだけれど。
「はなこも飲む?」
「んん、帰りに買ってみようかな」
「そう言うと思って、はい」
「え!?買っといてくれたの!?」
「はなこはいつも物欲しそうな顔するから」
へにゃへにゃな君の笑顔を見てるんだよ、なんて言えるはずもなく「どうぞ?」と差し出されたドリンクを受け取る。うひ、嬉しい。
「あ!はなこばっかりずるい!おれにもちょーだい!」
「わあ!勘ちゃんがとった!!」
「へっへっへ〜……ブオッ!!…っえ!?なにこれ!?」
「ぎゃっ!汚っ!」
「俺ブレンド」
「イイ顔でいらんことすな!」
「ちょ、ちょ、勘右衛門オレも飲まして」
「僕も気になる」
「わ、私も…!」
みんなでドキドキしながら兵助ブレンドを飲み回してたら三郎から「食べ物で遊ぶんじゃありません!」と雷が落ちたのは言うまでもない。