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誰か、簡潔に且つせめて信じられる説明をくれ。


「は……、甲斐?真田、幸村?」


テーブルを挟んだ向こうで同時に頷く頭。真っ直ぐ向けられた瞳が真剣なのが余計に質が悪い。明らかに訝しんで見つめる俺に微塵も怯むことはなく、四つの瞳はじっと見返してくる。まるで確認するように。


「で、俺が、あんたの」

「忍だ」


しのび、だって?


はは、乾いた笑いが洩れたが至って真剣な雰囲気にそぐわず酷く浮いた。


「猿飛佐助。お前は我が真田隊の忍頭ではないか」


はっきり告げられた名は間違いなく俺の物だが、まるで別人のようだ。いきなり現れて早く共に帰ろうと言われ、見ず知らずの人間と一体何処に帰ると言うのだと問えば、お前こそ何を言っていると言わんばかりの顔でさっきの台詞だ。

俺が、この俺が忍だって?酷い冗談だ。質が悪いにも程がある。

持病の偏頭痛よりも痛むこめかみ辺りを右手で押さえた。


そもそも戦乱の世ってなんだよ。天正だぜ?一体何百年前だと思ってるんだ。多少のユーモアは必要だと思うが、あまりに行き過ぎた冗談は面白くもなければ逆に不快ですらある。突飛過ぎる冗談は好きではない。

ぎり、痛んだ頭と置かれた現状に眉間に深い皺が寄った事を感じた。

それでも向けられる二つの視線に俺の方が居心地の悪さを感じて、頭を整理させる事を名目に席を立つ。

進まない状況、訳の分からない話にいい加減腹も立っていた。


立ち上がった俺に真田幸村と名乗る男が機敏に反応した。


「佐助、何処へ行く」


名前、呼び捨てかよ。


「コーヒーでも淹れてくるよ」


不思議そうな顔をしていたが「そうか」と頷いたのを確認して部屋を後にする。俺が席を立つまでの間、女の子は一言も口をきかなかった。





リビングへ戻ると、ダイニングに放置していたコーヒーメーカーのランプが保温状態になっていた。二人分は余裕である。ちょうど良かったとカップを二つ用意し、自分の分はインスタントで間に合わせる事にした。

コーヒーメーカーで作った方がもちろん美味しいがインスタントでも別に構わない。そういう事に対する拘りという物は特になかった。


湯を沸かしている間する事もなくコーヒーの入った耐熱ポットを見つめる。


(今日ばかりはこの厄介な癖も役に立った)


作り過ぎて余らせてしまうコーヒーが初めて無くなった。いつまでも治らない癖。まるで自分以外の誰かの分も淹れようとしているように。





―――自分以外の、誰かって?





不透明な靄に思考が奪われそうになったが、ケトルから沸騰した音が聞こえて慌てて火を消した。シュンシュンと独特の音を立てて自分のカップに注ぎ、保温状態にあったコーヒーも二つのカップに注いだ。ポットは綺麗に空になった。





「お待たせ」


熱いから気をつけてねと一言注意し、二人の前に置く。自分も席に着いてカップに口を付けたが、二人は一向に飲む気配を見せない。


「あ、もしかしてコーヒー嫌いだった?」

「こおひい?こおひいと言うのか、この黒い湯は」

「く、黒い、湯?」


まじまじと「ほう」だの「へえ」だの物珍しそうに見る男と、声こそ出さないものの女の子の方も興味津々でコーヒーを見ている。

なんだそのリアクション。コーヒーを知らない現代人なんてあり得ないだろ。


まるで本当にコーヒーを知らない、存在すらしない所から来たみたいじゃないか。


やはりこの二人はどこかおかしい。再び詳しく話を聞かなければと決意するが、目の前の様子を見て、話を聞く段階まで持っていくのも大変そうだと溜め息を溢した。


未だ湯気の立つコーヒーを物珍しそうに観察している二人。この間にも容赦なく風味は失われていくんだろう。自分は薫りを逃さぬようそのままマグを傾けていた。


「良い匂いがしますな。嗅いだ事はありませぬが」

「ええ…」


その時初めて声を出した少女に目を向ける。殆ど反射で向けた視線がかち合ったがそれも一瞬で、まだ少し赤い目をふいと逸らされた。半ば逃げるような仕草と当惑の色を混ぜた瞳。目覚めてすがりついてきた時とは全く違う彼女の態度に些か後味の悪さを感じている。


(そりゃまあ初対面だし?いきなり見知らぬ所に来て混乱するのも分かるけど同じくらい俺も混乱してるっつの)



「佐助」



……あれ、この子も俺の名前知ってる、んだよな?呼んでたし。という事は俺だけ彼女の名前を知らない事になる。真田、さんは今さっき自己紹介してたし。


「…ねえ、そう言えば俺、君の名前聞いてないよね」


何の気なしに訊ねれば、大きな黒い瞳を見開いて俺を見る。そこには衝撃と悲しみの色がないまぜになっていた。向けられた瞳にギクリと肩が跳ねるが、知らないものは知らない。初対面なのだから仕方ない事じゃないか。

しかし次いで口を開いたのは少女ではなく隣の男だった。


「佐助、お前何を言っている。その態度、姫様に対し無礼にも程があるぞ」

「は、姫?」


隠さぬ怒気を纏った声色だったが、それよりも台詞に、いやその単語に反応してしまう。


「姫ってあの、お姫様、のこと?」

「…本当に何を言っているんだ。此方はお館様の愛娘、沙和様ではないか」

「沙和、様…?」


無意識に呟いた名前に少女の瞳が揺れる。寄せられた眉は苦しげで、何かを訴えようしている双眸が一体俺に何を伝えたいのか読み取れない。





「…やっぱり知らない。人の名前と顔を覚えるのは別に得意じゃないけど、でもアンタら二人は初対面だよ」


様々な感情入り交じる視線が真っ直ぐ注がれる。痛むこめかみを指で押さえて、遠慮なく深い溜め息を吐いた。


「…ちょっと、疲れた」

「何を、佐助」


噛み合わない話に同じく苛立ち始めたのだろう真田さんが不快気に眉根を寄せる。そりゃそうだ。同じ言語を使っているはずなのに何一つ理解出来ないのだから。


「落ち着いてよ。二人共行く所は…無さそうだね。とりあえず落ち着くまでうちに居ていいから。説明は、そっからにしよう。お互いの」





…どうやら俺は自分で思ってた以上に面倒事をしょい込む質だったらしい。


自嘲めいた笑いが浮かび、これからの事を考える。とりあえず、状況整理だ。



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