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物心ついた時から脳内にちらつく情景があった。どれも断片的でとりとめがなく、色彩さえ殆どない。しかし、





「佐助」





何度も俺の名を呼ぶんだ。





(ああ、これが理由だったっけ)


形のない物が頭を掠める不快感、自分の物にも関わらず手に掴めない事が口惜しくて俺はそれらを形にしようと決めた。文章として。パズルのように広がった無数の断片。集めても何の形も成さないかもしれない。それでも成さなければならない使命のようなものを感じていた。





(ゆめ…?白昼夢、ってやつ…?)


はは、と乾いた声が漏れた。その声は頼りなく、まるで別の音のように耳に届いた。同時に自分のこんな声は初めて聞いたとも思った。あまりの頼りなさにそれこそ夢だと思いたいと願ったが直感がそれを許さなかった。



夢ではない。



目の前で雷の玉が生まれて、弾け散った事も、その中から人が生まれた事も、この情けない声、も。

心臓は有り得ない程音を立てている。初めて取った賞の授賞式でさえこんなに緊張しなかった。


いつでも対応出来るくらいの距離を取りつつ恐る恐る近付いた。男は女を庇うように抱き抱えており、その身体には赤く滲む大小無数の傷がある。それに比べて女の方には特に外傷は見当たらないが男よりも随分顔色が悪い。


(本当になに、なんなのこの人ら)


何より奇妙なのはその恰好だ。男は真っ赤なライダージャケットを着ている。腹巻き状の鎧のような物が巻かれてはいるが、よく見れば腹部が露出している。所謂素肌ジャケットというやつだろうか。

意味がわからん、そんな恰好をする理由も意味も。さらには女を抱き抱えている手には槍のような物まで握られているではないか。それも、二本。

以前時代物の参考として幾つか武器資料を読んだがこんな得物は見た事がない。刀身が知りうる限りの槍よりも太く大きいが、刀よりも短いのでとりあえず槍だろうと見当付けた。

完全とは言えないがそれなりに分析して(分析するにも知識外過ぎたが)視線をその腕の中に移す。


女…の子、だな。大人びて見えるがまだ少しのあどけなさを残した女の子だ。

長い漆黒の髪に一目で上質と分かる着物。よかった、まだこの子の恰好は理解出来る。時代を考えれば解せない部分も多いが。

それにしても本当にこの二人は一体なんなんだろう。いくら自分で考えても結局行き着く疑問。男のこの傷。ただの喧嘩とは考えにくい。そして守られてる女の子。


ヤクザの抗争か何かだろうか。組のお嬢様を守って傷付いた部下。ならば多少なりとも女の子の恰好には納得出来るものはあるが、男の恰好は小説家のある種特異な頭で理由背景を考えても頷けるものは無かった。

顎に指を掛け、また首を捻る。その時小さな呻き声が聞こえた。


「……う、」

(あ、起き、た?)


ぐ、と腕に力を入れ中にいた女の子を確認し、安堵したのが手にとって分かった。何故かこちらも妙に安堵して息をつく。


「…貴様」

「え、」


は、として男を見る。その瞳は血に飢えた獣のそれ、俺の首筋には白刃。全ての思考回路が急停止した。




確かに手助けらしい事はしていないし、治療らしいものもしていない。だからって、



(だからって刃物向けられる筋合いもないだろ!?)



フーッ、フーッ、とまるで手負いの獣の威嚇。その瞳は既に瞳孔が開ききっていて当てられる殺気は尋常ではない。


(やばい、俺マジで殺されるかも)


純粋にその考えに行き着いた自分を叱咤して慌てて丸腰なのをアピールし、両手を上げて出来うる限りの笑顔を貼り付けた。


「ちょっ、もう勘弁してよ旦那!」


発して、思わず自身の唇に触れた。



…何だ今の

『旦那』?

俺とこの人は初対面のはずだ



視線を先に向ける。僅かでも横へずらせば間違いなく頭と胴体がサヨナラする所まで突き付けられていた槍は下がり、男からは殺気が失せ、確かな戸惑いが伝わってきた。


「…お前、」


もしかしたら年下なのかもしれない。殺気の消えた男にも少女と同じようなあどけなさが残っている。大きく広がった目に写る俺の姿が頼り無げに揺らめいた。


「い、き…」

「えっ!?おい!」


何かが切れたように男は崩れ落ちた。まさか!と駆け寄って慌てて口元に手を当てがい胸を見る。ゆっくりと上下する胸。手の平に当たる吐息に大きく息をつく。


(よかった…)


初対面の人間相手に抱くには異質だと言われてもおかしくない程の深い安堵だということに俺が気付く事はなかった。










安静にさせる為とりあえず女の子はベッドに、男の方は布団に寝かせる。救急車を呼ぼうかとも思ったがこの二人の状況が分からない今、下手な事をすればよりややこしい事になりかねない。そしてそれに巻き込まれるのだけは絶対に勘弁だ。


(手遅れな気がしないでもないけど)


怪我のわりにすやすや寝息を立てる男を見ながら小さく溜め息を溢す。こっちはいい。元気そうだ。問題は自分のベッドに横たわる少女。

白い肌は明らかに血の気が失せ、眉間には微かに皺が寄っている。悲痛さを感じさせるその表情に、露になった白い額へそっと手を置いた。


「何か悲しい事でもあったのかい」


なんだろう。この二人の傷付いた姿、特にこの少女の悲しみを帯びた表情は心をざわつかせる。自分でもよく分からない感覚に少し戸惑った。



ふいに長い睫毛が震え、伏せられていた瞼がゆっくりと持ち上がる。二度瞬きをしてから気だるげに辺りを見て、視線がかち合った。置いていた手を除け、安心させようと薄く笑む。


「加減はどう?どこか痛むところは、」


途中まで言って続きを忘れた。


ぼんやりしていた瞳は大きく開き、みるみるうちに潤んでいく。溢れ落ちそうになったそれに慌てれば、ぼろりと大粒の涙が次いで次いで落ちていった。


「えええっと、どうしたのどっか痛い?状況説明したげたいのはやまやまなんだけど俺の方こそ説明が欲しいくらいで」


あたふたする俺の目の前でさらに大粒の涙が溢れていく。ああもうどうすりゃいいんだよ!





「…ぇ」

「え?」

「佐助ぇ…」


初対面の少女はとめどなく流れていく涙を拭おうともせずに俺の名を呼んだ。


「佐助、佐助、佐助ぇ…」


何度も、何度も呼んだ。


「なんで、君」





夢と同じ声で何度も少女は俺の名を呼んだ。





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