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いやに時間が掛かってしまったが、何とか着替えを完了させた。数えるのを諦めた溜め息を吐いて、テレビを凝視する二人の背中を見る。流れているのはニュース番組。

幼稚園児でも知っていることを二人は知らない。生まれたての赤子のようなものだ。しかし、中身は言語を理解出来る大人な訳で、手っ取り早くこの世界の様子を知ってもらうためにテレビを見せる事にした。

その間に二人が着ていた物の片付けに入れる。あれはなんだこれはなんだと立て続けに説明を求めてくる二人の相手が面倒になったとか、そういうことでは決してない。

手早く姫の着物を畳み、もう一つの服に手を伸ばす。ずしりと重い、赤のライダースジャケット、の、ようなもの。

姫様の着物はいいとして旦那のこれはクリーニングに出せるのだろうか。

多分、戦装束なのだろう。くたびれた様子はないが、新品でもないそれからは様々な匂いがする。平和ボケした世ではほとんどの人間が経験する事のない匂い。特に顕著な鉄錆の匂いは染み付いてしまっている。

もしこんな物をクリーニングに持って行けば怪しまれる事は必須。避けられる危ない橋は渡るもんじゃない。正しい処置は分からないが、まあ天日干しくらいでいいだろう。


「それにしても旦那のこれ、いやに汚れてるねえ。あんた此処に来る前に泥遊びでもしてたの」

「…お前、俺を一体幾つだと思うておる」


じろりと睨めつけられたのを笑って流す。しかし持ち上げる度に乾いた砂が落ちるのだ。そんな予想を立てるのも無理はない。


「雨の中、戦に出ておった」


戦。心臓が不意にざわつく。時代劇なんか見てたら終始よく聞く単語だが重みが違う。彼は本物の戦を身を持って知っているのだ。


「ふうん?でも姫様の着物に泥跳ねした様子はないね。汚れないように抱えてたんだ?」

「ああ」


乱れた心中を悟られたくなくて、素知らぬ声色で聞き返す。旦那も普通に返してくれたので密かに胸を撫で下ろした。


「…雨?」

「姫様がお気になさる事ではありませぬ」


きょとりと不思議そうにする沙和姫に、旦那は酷く優しげな笑みを浮かべた。それ以上何も聞くなと言っているように感じたのは俺だけだろうか。



時計を見ればちょうど昼過ぎ。昔の人は朝晩の二食だけらしいが、現代人できちんと三食取る派の俺は腹は空腹を訴えている。さすがに客の前で一人だけ飯を食える程図太い神経もしていない。


「チャーハン作るけど、食べる?」

「食べる!」


勢いよく振り返る二つの頭に多少驚きながらも了承の意を表して腰を上げる。


「して、ちゃあはんとは如何なる物でしょうか」

「初めて聞いたわね」


あんたら本当に大丈夫なのか。





冷蔵庫で大量に鎮座していた冷やご飯をここぞとばかりに使用した。一人暮らしの癖に冷やご飯を溜め込みすぎるのは、前述した悪い癖の賜物だ。

幅をきかせていたタッパーの山が無くなって冷蔵庫はすっかり綺麗になり、今回で卵も切れた。扶養家族が出来た事だし、食料調達も兼ねて買い出しに行かなきゃなあ。

今後の計画をぼんやり立てていたが、ふわりと鼻腔をくすぐるいい香りに意識を引っ張られる。腹が減っては戦は出来ぬってね。


「はいよ」

「うむ、有り難い」

「ありがとう、とても美味しそうな匂いね」

「醤油で味付けしたんだ。中華ベースよりもそっちのが馴染みあるでしょ」


チャーハン特有の盛り方をされたご飯を不思議そうに眺めていたが、見慣れた米粒と醤油の香りにさほど現代の飯に違和感を抱かなかったようだ。まあ、怪しいから食わないなんて戯れ言は絶対聞き入れやしなかったけどね。


「じゃ、いただきますーっと」

「なんだ?それは」

「は?」

「佐助は自分が作った物に御礼を言うの?」


ぽかんとする二人が何を言いたいのか察した。そうか。二人の時代にはまだこの風習は無かったんだっけ。


「ん〜これの語源は色々あるんだよなあ」


何が一番分かりやすいかと、頭の中にある記憶のページを素早く捲っていく。比喩的なものだが記憶を探る時はいつも辞書を捲る情景を浮かべるのが癖になっている。

人によっては「引き出し」を使う事もあるらしいが、引き出しはいっぱいになると取り零しがありそうな気がしてあまり好きではない。分厚い辞書の薄いページを捲っていくと、ひとつの知識が目についた。


「俺が面白いと思ったのは荒神様の説かな」

「三宝荒神か」

「かまどに住む、あの?」

「そうそう。ご飯はかまどが無きゃ炊けないでしょ?それで無事にご飯が炊けました〜って荒神様に感謝するために『いただきます』って言うようになったんだって」
八百万の神が住まう国らしいと納得したので特に印象に残っていた説だ。二人も得心したようでしきりに頷いている。


「佐助は物知りね」

「そんなんじゃないよ。物書きだから色んな本を読んでるだけ。興味ないことは全然覚えてないもん」


羨望にも似た眼差しを送る沙和姫様に気恥ずかしさが立ち、へらへらと受け流す。一瞬、姫の顔が暗くなった気がしたが、次の瞬間には笑顔で旦那へ声を掛けていた。


「我々も荒神様に感謝しましょう」

「はい、それでは」


いただきます。手を合わせて、頭を下げる二人に思わず口元がほころんだのは秘密だ。



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