神籬の森




入り込む陽射しはまろやかで暖かい。

そんな陽光の元、縁側には何枚か手拭いが敷かれ、その上に水晶盆が乗せられている。

例の神籬の小娘とたわいもない会話を交わしている小十郎の手には水桶。彌生の要望する二つを用意し、気を利かせた小十郎が水を盆に注いでやってやるのだが、軽い飛沫が上がる度にきゃっきゃきゃっきゃと何が楽しいのか阿呆のようにはしゃいでいる。

端から見れば阿呆そのものなのだが意外にも腹心の表情は柔らかい。

普段から野郎ばかりに囲まれているからだろうが、とりあえずその緩みきった顔だけは他の部下達には間違ってでも見せないでくれよと政宗は溜め息をついた。

鬼と言われる男がそうなるのだ。阿呆だ阿呆だとは言ったが確かにあの神籬を見ていると和む気持ちになるのは分かる。

見た目通りの餓鬼のような動作からか、それとも魂の拠り所なる存在故か。

大方前者だろうがな、とまたひとつ溜め息を零したが、その口元は人知れず弧を描いていた。


そんな政宗の心情とは対照的に、実際彼を取り巻く空気は酷く殺伐としている。

それもこれも隣に座っている光秀とかいう男のせいだ。

表情は柔らかく、穏やかさを取り繕っているがとんでもない。

ちらりちらりと垣間見せる狂気を孕んだ気配は間違いなくこの男から向けられている。

それも周囲に漏れないよう俺だけを狙って。

この俺を挑発するなんざいい度胸じゃねえか。

密かに隣へと視線をやれば涼しい顔をして茶を啜っている。本当にいい度胸してやがる。


「…蛇は竜の眷族だぜ」

「知っていますが?」

「知っててその態度かよ。お前今俺にぶった斬られても文句言えねえぞ」

「…何を勘違いされているのか知りませんが、私は蛇ではありませんよ」

「はあ!?そのナリでか!?」

「外見は関係ないでしょう」


失礼な、と非難を口にしつつもさして気分を害した様子はなく、ちらりと向けられたその双眸は政宗を見ているようで見ていない。
不審気に見返せばにやりと、彼自身が否定した蛇のように笑ってみせた。


「安心なさって下さい。貴方というより貴方のその目玉に興味があるのですよ」

「…なんだと」


より眉間に皺を寄せ、目を眇めると「おや、怖い怖い」と肩を竦めて殺気にも似た政宗のそれを軽くいなして、何事も無かったように縁側の方へ顔を向ける。


「詳しい話を聞くのに、まずあのお子ちゃまを連れてこなければなりませんね」


睨み付けている政宗など全く気にしていない様子で、未だはしゃいでいる彌生にやれやれと零して名前を呼んだ。

それに気付いた彌生は軽い身のこなしで立ち上がると、とたとたと音を立ててやって来る。

後ろから「跳ねるな、転ぶぞ」と小十郎の注意の声が上がった。

二人の前にちょこんと膝を折って座る彌生が犬のように見えたというのは流石の政宗も口にはしなかった。


「なになに?」

「なになに、じゃないでしょう。この国の主がわざわざ出向いてくれたのですよ。まずは話を伺うのが先でしょう。それなのに貴女ときたら自分の事ばかりを気にかけて」


はっとした顔をして、ごめんなさいとしょんぼりする彌生に柄にもなく政宗は慌てた。

気にするなと手を軽く上げれば「優しい方で良かったですね」と穏やかな声が隣から掛けられる。


(ていうかてめェ、そんだけ分かっていながら止める気配全くなかったじゃねえかよ)


本当に何なんだこいつら、と多少疲れた顔をして「…じゃあ、話してもいいか」と切り出した。





「手を貸してもらいたい、と言うより知識を貸してもらいてえんだ」

「知識?」


私の?と自身を指差す彌生に頷き、政宗は続ける。


「この右目、昔からそう調子のいいもんじゃなかったんだが、最近急激に悪化してきたみたいでよ」


示すように手をやり、硬い眼帯に覆われた右目を指先で叩けばカツカツと音を立てた。

今は大人しいものだが、時折其処で何かが蠢くような不快感と激痛が右目に訪れる。

その感覚は一年に一回だったものが半年に一回、一カ月に一回と日ごとに短くなり、今や一日に何度もその激痛に襲われていた。

尋常ではない痛みとその進行の早さに何人もの名だたる薬師に診せたが同じ数だけ匙を投げられた。

診察をしても異常はなく、考えうる病に対する薬を飲んでも一向に改善されない。

最後の薬師に診せた時、見慣れた首を振る姿に落胆の色を隠せなかったが、その薬師は一つの可能性を口にした。


「もしかしたら妖の類の仕業ではございませんでしょうか」


それならば只の人である私に出来る事はございません。

妖対策に長けた者、もしくは知識に富んだ者の助けが要りましょう。


「半人とは言え竜神の俺が妖程度の影響を受けるとも思えねえが、その可能性も無い訳じゃねえ」


情けない話だが、と舌打ちし、黙って話を聞いていた彌生に向き直る。少女は切れ長の隻眼に臆する事なく見返していた。



「あんたの元には妖から神までが集う。同時に知識や情報もだ。もし何か知っていたら些細な事でもいい、教えてやってくれないか」


頼む。頭を下げる主に家臣は慌てて名を呼ぶが主はそのままで神籬の返答を待った。

彌生は瞼を下ろし、そしてゆっくりと目を開ける。


「……分かりました、ご協力致します。だから頭を上げて下さい」


いたたまれませんと苦笑する彌生に政宗はやっと頭を上げた。

「すまない」と告げる顔はどこか安堵しているようだった。


「しかしその知識は今此処にありません。私の鏡が管理しています」

「鏡?…っつーとさっき連絡取ろうとしてた奴の事か?」

「そう」


へらりと、先程と同じ人物とは思えない顔で笑う彌生に思わず政宗は脱力するが、今はこの少女に頼るしかない。

病を治す方法を知っているのなら万々歳、方法とまではいかなくとも何かしら情報を得られるだけでも有り難いのだ。


頼めるか?と問えば今すぐに!と元気な声が返ってきた。


「じゃあ早速始めるね」


既に用意してあった水晶盆へ向かう一向の後ろで、光秀がゆらりとした仕草で口元に曲げた指を充てる。


「…簡単に済む話だといいのですがね」


小さな一言は誰の耳にも届かなかった。




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