神籬の森







彌生のいる奥州の地から幾重もの野を越え山を越え、更に南下した所に佐助はいた。

広い敷地の平屋。気温は高く、幾分湿った風が頬を撫でるが風通しが良い為不快にはならない。元居た場所とは風土も全て異なっていたが、その地を上手く利用した造りは決して居心地の悪いものではなかった。

燦と太陽が照り付ける外とは違い、簾が落ち影になった室内は涼しく静かだ。

指を組み何かを呟いていた佐助はふっと言葉を切った。さわさわと簾を通り、風が抜け佐助の髪をさらう。

太陽の元でなくとも鮮やかに輝くのであろう橙の髪はくすみ、全くと言って良いほど生気が感じられない。

項垂れ、後ろで纏めていた髪は幾らか落ち、より疲弊感が漂っている。

その様子を傍らで見ていた人は、苛立たし気にたんたんと足を踏み鳴らし、盛大に舌打ちをした。


「ああっ、うっとおしい!いい加減にしゃんとしないか!」

「…そう思うんなら俺を彌生の所に返してよ…」


かすが、と憔悴しきった声で名を呼ばれた女が思わずたじろぐ。いつもの飄々と人を小馬鹿にしたお気楽な口調ではない所を見ると相当堪えているのだろう。

しかしその姿を見て同情よりも先に苛立った。

お前はあの神籬とたった三日離れているだけではないか。私はあの方とそれ以上離れる事が多々あるというのに!

ちゃき、と手にしていた苦無を握り直した時だった。


「もうしばらくすれば、ひもろぎともあえますよ」

「…謙信公」


凛と静かな声が不穏な空気を断ち切る。よろよろと力なく顔を上げた先に穏やかな笑みを浮かべてその人はいた。


「あなたのちからがひつようだったのです。めいわくをかけますね」

「そんな!お気になさらないで下さい謙信様!馬車馬の如くこき使って下さいませ!」

「ちょ、なんでそこでかすがが答えんの」


陶酔した瞳でとんでもない事を言う彼女に疲れた視線を送るが、そんな佐助の心労にも気付かずただ頬を紅潮させうっとりとしている。

重いため息をまたひとつ溢せば、謙信から似付かわしくない掠れた低い声が出た。

否、謙信の後ろから聞こえた。


「おまはんにまで迷惑かけて…すまんのう」

「島津のじっちゃん」


鍛え上げられた筋骨隆々の巨大な体躯、それは幾度の死線を乗り越えてきた事を物語っている。

しかし布団にうつ伏せの状態で申し訳なさそうに謝罪するその人は百戦錬磨の戦士ではなくただの老人だった。

心配かけないよう浮かべられた笑みは逆に痛々しく、佐助は何とも言えなくなってがしがしと頭を掻く。


「鍛錬中に腰いわすとはなあ…おいもまだまだったい」

「よしひろ、おのれのとしもかんがえてこそのしゅぎょうですよ」


ふふふ、と柔らかに笑む謙信に島津はいや!と反論しようと態勢を変える。


「…ッ、あいたたたた…!」

「ああ!ほらもう大人しくしてなって」

「さすけ、かわりましょう」


唸る島津の傍らに膝を折り、そっと静かに手をかざす。

見た目の変化はないが、かざした手からは目に見えない力が膨れて思わず圧倒される。溢れそうになるそれは一点に集中し、島津の腰へ注がれた。


「ひとまずこれでだいじょうぶでしょう」

「…ああ、ほんに楽になったと。さすが治癒の神さんの力ばすごかねえ」

「そうだ、謙信様のお力は凄いんだ。なのに直ぐ完治しないとは…お前どんな痛め方をしたんだ」

「なあに、滝の上から落っこちよる岩石ば砕きよっただけたい。ただ態勢ば崩してのう…次に落ちてきた岩石が腰に激突したとよ」

「うっわ…それでよく腰砕けなかったね…」


痛そう、と引き吊り笑う佐助の後ろで、かすがは既に青い顔をして引いている。悪態をつく気も失せたようだ。


「さすが『鬼島津』の名は伊達じゃないね」

「当然ばい!」

「しかし、いまはその『おに』がちゆのじゃまをしていますけれどね」


困ったように笑む謙信に、得意気にしていた島津も口をつぐんだ。

治癒の神と鬼。

癒す者と壊す者の相反する本質のせいで、強力な謙信の力を持ってしてでも島津の治療には時間がかかっていた。


「だからあなたたちふたりのちからがひつようなのです」


治癒中は、特に島津のような者を相手にしている時は防御が手薄になりやすく、己の身を守るのもままならない。

その為の護衛として佐助は呼ばれていた。佐助が結界を張り、かすがが撃つ。

それぞれの特化した能力のおかげで今まで問題無く治癒に専念出来たのだと謙信は麗しい笑みを惜しげもなく晒した。


「しかし、佐助どんにはあの神籬の娘っこが待っちょるんじゃろう?ほんに申し訳なかねえ…」

「んー…」


頬を掻き、あの笑顔を思い出す。もう三日も見ていないのは確かに寂しくはあるのだけど。


「…大丈夫。彌生と俺様、繋がってるから。何かあれば直ぐ飛んで行くよ」

「繋がってる?」

「そう。…それにさ」


ニ、三歩近付き、島津の傍ら、謙信の隣へ腰を下ろす。


「俺様、じいちゃんの相手するの嫌いじゃないんだよね」


小さく微笑んだ佐助の瞳の中に、どこか懐かしい色が浮かんでいた。


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