神籬の森




「で、結局佐助は元就殿に何をしたのだ」


自分がやって来る前の話を聞いていた幸村は、佐助の作ったいなり寿司を頬張りながら疑問を口にする。

行儀悪いよと窘めてから茶を差し出し、佐助は幸村の疑問に答えた。


「封印」

「封印?」


膝に乗せた仔犬と共に首をかしげると彼の尻尾髪が揺れる。こんなとこまで似るものなのかと胸中で一つ笑って佐助はちちちと指を振った。


「忘れてもらっちゃ困るぜ旦那。俺様が何の妖かってのを」


幸村は未だ口に入っていた寿司をもごもごといわせながら合点がいったと手を叩く。

差し出された茶をすすり、飲み下してから「ああ!」と大きく声を発した。


「そなた魔を封じる妖であったな!」

「ご名答」


大袈裟に手を叩いてみせれば得意気になった幸村が鼻を鳴らす。端から見れば子どもをあやす大人の図に見えなくもない。そんな呑気な二人に元就は忌々しげに毒付いた。


「天狐を魔扱いか」


ぴくりと佐助の肩が揺れる。ゆっくり振り返り、佐助は低い位置にある元就へと視線を合わすように顔を近づけ、小首をかしげてニイと笑みを浮かべた。


「そうだよお?彌生を傷付けるもの全てが悪、仇為すもの全てが魔。つまり」


一度顔を上げて彌生の頬をするりと指で撫でる。そこはかつて元就が傷付けた箇所。

ぎくりと肩を揺らす仔狐へ再び冷ややかな視線を落とした。


「俺の可愛い彌生にあんな事したくせに、ちゃっかり彌生の膝で寛いでるあんたを一刻も早く封印したいね」


ピン!と元就の鼻先を容赦なく弾く。小さく呻いて鼻を抑える仔狐の下がった耳を指で摘まんで引っ張った。

うりうりと引っ張る佐助の手を払い、元就は下から睨み付ける。


「妖力さえあれば貴様なんぞ…!」

「残念、妖力は全部封印しちまったよ。腐っても天狐だからね、うかうかと力ごと出すわけないっしょ」


悔しげに唇を噛む仔狐と余裕の表情の鏡。


力を、妖気を得ねば…!

何かに気付いたように鼻を少しだけひくつかせて、さりげなく周囲に視線を這わし探る。そして視線の止まった先には。


「…犬神憑きか。それも並大抵のものではないな」


彌生が声を出す前に腕からするりと抜け出し、事の成り行きを見守っていた幸村の目の前に立つ。

ふわりと浮かんでいる元就は幸村の膝で唸る犬神を一瞥してクツクツと喉を鳴らした。


「あの鏡に大方の力を封じられているようだが、それでもまだ手に負えまい。どうだ、我が貴様の犬神を喰ろうてやろうか」

「なっ!」


一瞬にして元就から妖気がぶわりと溢れだす。まるで呑み込まれるのではないかと錯覚するほどの妖気を直に当てられ、幸村が怯んだ隙に懐へと入る。


「…ほう、貴様もそれなりに力を持っておるな」


一本だった尾が二本、更にもう一本と増え、ふさりとした尾と殆ど変わらない程だった体躯も少しずつ元の形へと戻っていく。

幸村に乗しかかるようにして胸ぐらを掴み上げ、笑む。


「…っ!」


全身の血液が凍りつくのではと思わせる程冷たく圧倒的な力。幸村は本能的にその力の差を理解し、それでも微かな抵抗を、縦長に伸びた瞳孔が光る双鉾を見つめる。


「しかし人間には無用の長物よ、それを我に」


―寄越せ…!


「おいコラ、腐れ狐」


不躾に尾の一つを力いっぱい掴まれ、元就の涼やかな目元には露骨な不快感が浮かぶ。振り返ったそこには既に戦闘体制の佐助がいた。


「俺様に気付かれないよう妖力を隠しておくなんてさすがだね。でもまたオイタするんなら…お仕置きするよ」

「戯言を…。我を誰と思うておる」


容赦なくぶつかり合う妖気。それに当てられ、犬神も唸りながら牙を剥き出し好戦的な一面を曝し出す。

まさに各者ぶつかろうとしたその時。


「やめなさい」


場を一刀する凛とした声が響いた。

伏せていた目を上げ、まるで「いい天気ね」と呑気な事を言うように彌生の口が動く。

呆気に取られぽかんとしたまま少女を見つめる。やはり彌生は変わらず穏やかな口調でそれぞれを見た。


「二度は言いません。お返事は」

「は…はい」

「よろしい」


小さく可憐な花を思わす笑顔で彌生は満足気に頷く。それを見たそれぞれからは、しゅるしゅると毒気もとい殺気に満ちた妖気が抜けていく。

お互い気まずいそうに視線を交わし、一点に集中、佐助に視線が集まった。

それに気付いたか気付いてないのか、佐助は彌生の前で膝を折り、頬にかかった彌生の髪をさらりと耳にかける。


「あの、彌生、ごめんね?」

「分かったらいいの」


恐る恐る様子を窺うように覗き込めば思いの外彌生は機嫌を損なってはいないよう。

ほ、と安堵の息を溢し、微笑む神籬に可愛いなあと頬を緩めた。


「だってケンカばかりしてたら、いつか誰かが怪我をするかもしれないものね」

「…俺様と旦那はケンカなんかしないよ?」


犬神とも、しないよ?くにゃ、と首を傾け疑問を訴える。そんな佐助に何言ってるのよと彌生も同じように首を傾けた。


「元就とよ」

「…え、……は!?」


驚愕で声を荒げる佐助を気にせず、彌生は妖気を閉まった事で再び小さくなった元就を抱き上げる。

毛並のいい耳をぴこぴこと触りながら「だって」と続けた。


「妖力を封印したまま帰したら他の子にいじめられるかもしれないし、かと言って妖力を返せばまた襲われるかもしれない。違う?」

「…う」


口篭る佐助。その瞳には少しの納得と多大な不満の色が滲んでいる。

分かりやすい表情の変化に彌生がまたひとつ微笑む。


「佐助がいるから安心して言えるんじゃない。そうでしょ?それに幸村も犬神もいるしね」


ね、と笑いかける少女に二人も頷く。


……………しょうがない。

がり・と頭を掻いて彌生の腕に収まっていた仔狐を掴み上げた。


「仲良くしてやるよ、も・と・な・りちゃん」

「寝首をかかれぬよう気を付ける事だな」


顰め面で睨み合う二人の後ろで、彌生は、上手くまとまって良かったなあと呑気に茶をすする。

その、ほのぼのしている少女に「…彌生だけは怒らせないよう気をつけよう」と幸村は密かに誓うのだった。





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