神籬の森




今日も快晴、気持ちのいい陽射しが燦々と幸村の焦茶の髪を照らす。その隣にちょこんと座る鴇色の仔犬。
幸村が耳の後ろを掻くと気持ち良さそうに目を細め尻尾を時折ぱたりぱたりと揺らしている。

不意に背後からの気配に気付いた仔犬は垂れていた耳を立て、己を撫でる幸村に知らせるようにくぅんと鼻を鳴らした。


「随分慣れてきたみたいね」


よかった。そう言って微笑んだ少女は隣いいかしらと幸村に訊ねる。幸村は仔犬を膝に乗せ、少女の座る場所を空けた。
仔犬は寝心地のいい場所を探りつつ何度か体勢を変え、満足いく場所を見つけたのかひとつ欠伸をして目を閉じる。

二人はそれを微笑ましげに見つめ、目を合わせて小さく笑んだ。


「あれほど大きかった犬神が、まさかこれほどまで小さくなるとは」


仔犬の背を撫でる手を止めず幸村が言う。仔犬は自分の事を言われているのに気付いて顔を上げ、ぱたぱたと尻尾を振った。

鴇色の仔犬。

それは真田一族、幸村に憑いていた犬神そのひと。

長年互いを憎しみ、苦しみあった彼ら。不毛ともいえるその永きに終止符を撃つため、感情のままにいることを止めて互いを理解する事で今の関係を築いた。

それは神籬である彌生や彼女を守護する佐助の助力があってこそだが。


「今は佐助がこの子の力を抑えこんでるからね。幸村に使役したとは言え、まだ障気が残ってるから暴走する可能性がないとは言い切れないし」


彌生が幸村の膝で尻尾を振る犬神の頭を撫でると高い声で鳴いた。それを聞いて小さく噴き出す。


「どうした?」

「この子ったら今の姿の方が好きなんですって」

「そうなのか?力を抑えられているのに?」


首を捻る幸村に彌生が答える。犬神は嬉しそうに尻尾を振るばかりだ。


「大きいと膝に乗ることが出来ないからだって」


また高い声で鳴く。幸村はそうかと答えると膝の仔犬を存分に撫で、愛い奴だと破顔する。彌生は微笑ましげに、そしてどこか羨望の色を乗せた瞳を向けていた。


「彌生も羨ましいなら俺様が存分に可愛がられてあげるよ?」


にゅ、と彌生の肩から顔を覗かせたのは少女を守護する鏡。


「佐助」


はぁい。名を呼ぶ彌生に返事をして佐助は手に持っていた皿を二人の間に置いた。


「今日はいなり寿司でーす」

「おお!」

「美味しそう!」


犬神も共に、三者三様の反応を見せ沸き立つそれぞれに佐助は得意気に鼻を擦る。
しかし肌を掠めたほんの微かな異変に気付き、佐助の纏う空気が引き締まったものに変わった。


「佐助?どうしたの?」


佐助の様子に気付いた彌生が不思議そうに見上げる。


「いや、」


なんでもない。そう答えようとした正にその瞬間、佐助の橙色の髪を押し上げ、大きな三角の耳が突如生えた。

いきなりの事で絶句する幸村と彌生の目の前でも佐助の変化は止まらず、更にぽんと音を立ててふさりとした尻尾が生える。

ますます唖然とする二人に、佐助は「あー…」と気まずそうに頭を掻き「やべ、忘れてた」と呟いた。


「わ、忘れてたって、何を」


開いた口が塞がらない幸村の隣で、やっと利けた口を酸素を求める魚のように動かしながら彌生が訊ねた。

恐る恐る佐助に手を伸ばす彌生に苦笑を零しながら、佐助が口を開き動かしたその時、


「我を忘れるか、神籬」


伝ってきた声は佐助のものではなかった。

思いもしない言葉に彌生が呆然としていると、佐助は生えた耳をぴこぴこ動かしながら「勝手に喋んなよな」と窘めている。

やれやれと肩を竦めてひとつ何かを呟くと佐助の身体から何かが飛び出し、少し離れた所へ降り立ったそれ。


「あ!」

「よくも我を…!」


纏う風が三角の大きな耳と毛長の尻尾を揺らす。瞼をゆっくりと開けたその中にある縦長の瞳孔を持つ瞳が彌生を鋭く睨みつけた。


「この屈辱、決して…」

「わー!ごめん元就ー!忘れてたーきゃー可愛いー!」

「なっ…!」


全てを言い切る前に口を塞がれる、もとい抱き締められ口どころか身動きすらとれない。

彌生の腕に収まった元就と呼ばれたそれはバシバシと腕を叩き、必死になって顔を離した。


「何をする!」

「ごめん、あまりにも元就が可愛いから。それより随分小さくなったねえ」


能天気に話す彌生に癇癪を起こした元就が「あやつのせいであろうが!」と事の顛末を面白くなさそうに見ていた佐助を指差す。

いきなりの指名に特に驚いた様子も見せず佐助はやれやれと溜め息をついた。


「あれはあんたが悪いんだろ。俺の彌生を傷付けるから」


彌生の膝の上でむっつりと顔を逸らす仔狐を無視し、未だ茫然としている幸村に佐助はぽつぽつと話だした。





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