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▼ エルグと桜

春の季節へと変わったことを知らせるのは、似合わないだろうが桜の花だ。グルメ界のとある辺地に何万年もの間枯れることなく其処に佇んでいる桜の木。あの木の枝に淡く発光する薄紅色の花弁に覆われているのを見る度に春になったのかと感じるようになった。 


「お前は植物のクローンは生み出せないのか」

名前の今回の任務は研究ではない。薄汚れた白衣は床へと投げ捨てられており、多くの資料や研究日誌が置かれた机と向き合ってから早三時間が経過しようとしている。研究はともかく結果を纏めるのは得意ではないようで、書類の山は中々減らない。行き詰まったのか手が止まりペンを床へ投げたかと思えば、暫くすると今度は別の書類を引っ張り出して投げたペンを拾って忙しなく書き込んでいくその姿は、中々退屈が紛らわせる。

「グルメ界特有の、淡く発光する桜がある。そのクローンを作り此方でも育てることが出来たのなら、何かしら利用できるのではないかと考えていたところだ。毎年桜桃が取れるからボスへの献上品としても価値があるしな。で、どうなんだ?」

奇声を上げて頭を抱える名前に、ふと思ったことを尋ねる。椅子が勢いよく回転し、4度ほど回転したところで動きを止めた。上半身を左右に揺らしながら女は軽い調子で喋る。

「あー、作れるっちゃー作れると思いますよ。でも、それが貴方の望み通りの物になるかは知りませんけどねー」
「…どういうことだ」
「エルグ様、青いバラってご存知で?」
「知っている。自然界では存在しないが、品種改良で生み出すことに成功したと騒がれていたな」
「あら、知ってたんですね。知らないかと思ってたのに」

少しつまらなさそうに唇を尖らせる。が、直に「その青いバラですけど」と話を再開した。

「私、あの色好きじゃないんですよねー」
「お前の主観は聞いてない」
「ええ。でも私以外に同じ考えの人って何人かいらっしゃるんですよー」
「ほう」
「青いバラを生み出すために費やした時間や技術、努力は科学者として評価します。不可能とまで言われていた物を生み出した功績は素晴らしいものです。ロマンですよロマン!……でも、結局は人工的に生み出された色。自然のバラと比べると違和感があるのですよ。理屈じゃなくて本能的にね、これじゃないなーって。人工物は自然に劣ると言ってしまうのは悲しいものですが、実際その通りですから何とも言えません。ま、優ってる所もあるんですけどね」

確かに、と納得する。人工的に生み出す物が自然より優れているのならば、我々がこうしてグルメ界へ遠征にいかずともIGOのように食料を人工的に生み出していった方が手っ取り早いだろう。そうしないのは、やはり自然の物を真似たところで味が劣るため。成程、だから『望み通りの物になるとは思わない』ということか。

「グルメ界の桜、どうでしたか」

ぽつりと呟かれた言葉に、包帯の下で目を見開く。こいつが獣以外で興味を持つとは。それを察したのか、言い訳をするかのようにひらひらと右手を振る。

「人の目に触れない桜がどれ程美しいのかすこーし気になったのですよ」

言葉で伝えようにも表現するのは難しい。ただ美しかったとだけ伝えても、こいつは満足するのだろうか。
掌を広げる。僅かに光を放つ薄紅色の花弁は、萎れるどころかより凛とした姿で存在していた。任務に行った際、腕へと落ちてきたそれをどうしてか捨てる気になれず此処まで持ってきてしまった。さてどうしようか。
呻き声に顔を上げると、女が机に伏していた。右手に握られた万年筆が何度も鉄製の机へと叩きつけられ、遂に壊れたのかインクを辺りへ散らしている。そして一際強く机を叩くと、その横に置かれているマグカップが小さく揺れた。机に近付いていき、空になったコップを横に置く。そして掌にあったそれを奴のマグカップの中へと落とした。黒い珈琲の上に浮かぶ花弁を一瞥してから女の頭を机から引き剥がし、騒がしい声を無視して退室する。廊下の冷たい空気と静寂が己を包み込む。
気付かないのならそれでいい。気付いたところであれが何処の桜なのか、名前には分かりはしないだろう。


グルメ界で見た、あの美しい桜を思い出そうと目を閉じる。脳裏に浮かんだ薄紅色は直に黒く塗り潰され、消えた。


……
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