一緒に旅をしよう。

そう言って私に手を差し伸べてきたのは死んだ筈の人物だった。

ここは一体どこなんだろう。今、何時なんだろう。そして目の前にいるこの人物は一体、誰なんだろう。ぽかんと口を開けて呆然とする私に、目の前の人物はおかしそうにクスリと笑いをこぼす。ああ、申し訳ない、前述でこの目の前の人物のことを全く知らない風に言ってしまったが正確に言うと私はこの人物のことを知っている。よく、知っている。

「やはり、驚いたな」
「いや、いやいや」
「何だ?」
「誰よ、あんた」
「酷い話だな。いくら随分前に死んだからって白状じゃないか?」

やはり、日向ネジだった。目の前にいたのは数十年前に戦争で死んだ仲間の日向ネジだった。私は頭を抑える。

「変化の術…」
「じゃ、ない。ここじゃ忍術も大した意味はないからな」

ここ、という場所。目を醒ましたら私はここにいたのだ。知らない場所。あたりは一面、何も無い。足元は白いタイルで地平線の先を見据えても何も見えない。とうの昔に忘れてしまったこの声が蘇ってくる。そうだ、こんな声だったなあ。懐かしさが、地面に雪が降るように募る。

「…私、もしネジにまた会ったら何を言ってやろうかなって時々考えることがあったわ」
「ほう、それで何を言ってやるつもりだったんだ?」
「それが100個くらいあってまとまらないの」
「そうか…」

またクスリと笑う。こんなに笑う人だったっけ。ぼんやりと昔の記憶を引き出しの中から引っ張り出す。

ネジという人はいつも生きるのに不器用だった。天才だなんだと言われていたけれどこんなに不器用な生き方をする人を後にも先にも私はこの人以外に見たことが無い。

「運命運命って口では言っておいて一番それに逆らいたがっていたのは本人で」
「誰の話か、一応聞こうか?」
「ひとりしかいないでしょう」

そう言うとネジは「それもそうか」と腰に手を当てて俯きながら笑う。…笑ってばっかり。変なネジ。

「…あんたが死んでから、大変だったんだから」
「ああ、そうか」
「そうか、じゃないわよ。あの暑苦しい二人と残された私の苦労が分かる?」
「それはすまなかった」

ここに来る前、私の手は皺が沢山刻まれていた。手だけじゃない。顔も腕も、全部が長い年月生きてきた証だった。しかし今の私にはそれがない。近くを見てもボヤけることのない目に、皺がなく張りのある手に艶々とした焦げ茶色の髪。目の前のネジは昔のままで、あの戦争のときと同じ背格好。私も同じだった。今生の別れを味わった年齢そのものだった。

「こんなおかしな話があるのかな」
「そうだな」
「普通はこういう時、“まだこっちに来るな”って突っぱねるものじゃないの?」
「“まだ”って年じゃないだろう」
「失礼ね」
「何よりお前が元の世界に満足したから、俺は迎え入れることにしただけだ」

幼い頃に耳にした伝説で憧れの人。その人を目指して忍になって、仲間が出来て、戦争があった。それが終わった世界はゆるやかに坂を登るように平和になっていって、最早忍者など不要な世界になって。

「忍具の店なんて商売あがったりで参っちゃった」
「お前らしくて良いと思ったんだがな」
「お生憎様、他の子達みたいに結婚相手もいなかったものでね」

素敵な世界だった。好きな人に囲まれて、大変だったことも悲しかったこともあったけれど、良い世界だった。

「ネジも笑ってて気持ち悪いし、ねえ、私もガラじゃないこと言っちゃおうかな」
「随分だな。でも、聞こう」

大好きだったのよ。平和でみんな笑顔で幸せで温かな世界。でも、時々思い出すの。ひとりでのときも、友達や家族でいるときも、ふっと思い出していたの。

「やっぱり、少し寂しかったよ」

何でいなくなっちゃったのって、何度も思った。
そう言ったらネジは今度は困ったように笑って、そしてゆっくりと手を差し出す。

「テンテン、俺はまたお前に会えて嬉しい」

変なの、変なの。涙が止まらないのに嬉しい。私も嬉しい。もう良いよね。私、頑張ったから。

「ここには籠も檻もない」
「ていうか何もないように見えるんだけど」
「それは思い違いだ。思い描けばどこへだって行ける」

温かい感触なんてないはずだけど、繋いだ手があの頃のままで安心した。安心したのだ。

「俺に言ってやりたかったこと、100個分、ゆっくりひとつひとつ聞かせてくれ」
「ずーっと喋ることになるわよ」
「構わないさ。ずっとお前の声が聞きたかったんだ」

きっと100個なんかじゃ足りないなあ。私はここに来て初めて笑った。

さあ今度こそ、いつまでも二人で、一緒に旅をしよう。

「お疲れ様、テンテン」

20160309
- ナノ -