男の子って、可愛い女の子に弱い。
じゃあ可愛い女の子というものは、何で構成されているんだろうか。長いまつげに大きな目、ちいさくて細い身体、きれいに飾られた爪たち、ぷるぷるの唇、高くて可愛らしい声――。数え切れない要素がある。私はどれくらいそれに当て嵌まっているだろうか。
「まつげ抜けたの、ココについとる」
「えっ?…ああ、もう、やんなっちゃう」
「まつげ長〜」
「ふふ、ありがと」
仁王くんにまつげが長いと褒められた子のまつげは、黒く何度もマスカラを塗りたくったものだ。でもまつげを長くさせたその女の子は目も大きくて、綺麗にお化粧したお人形さんみたい。男の子は大きくて真ん丸な目に見つめられるのが弱い。ねぇ、そのメイクの仕方、どうやっているの?
「うーん…あっ!」
「ほい、コレ取りたかったんじゃろ?」
「あ、ありがとうございますっ…」
「ええよ。お前さん、名前は?」
私があそこの本棚であの本を取ろうとしたって、きっと助けてはくれない。少し背伸びをすれば届くから。あのちいさな一年生は、ピンクに染めた頬を意識しながら、上目遣いで恥ずかしそうにお礼を言った。男の子がああいうのに、弱いって知りながら。内心はしゃぎたいくらい嬉しいのを我慢しながらか細い声で答えた女の子。私はそんな風に可愛い女の子を演じられない。ねぇ、どうやったら身につけられるの?
「きれいな爪じゃのう」
「うん、夜中に頑張っちゃった」
「こういうの、自分でするん?」
「サロン行ったら高いもん」
「へぇ、すごいな」
「可愛くなりたいの」
あなたのために、とは言わずに照れたように笑って仁王くんを見つめた女の子は男の子っていうものをわかってる。仁王くんは女の子の綺麗な手をとって微笑むから、まるで二人は結ばれた王子様とお姫様。女の子の手には良い香りのするハンドクリームが何度も何度も塗り込まれていて、爪たちには淡いピンクと色とりどりのラインストーンがお行儀良く並んでる。私の手を見てもそんなものはなくて、むしろ図書委員の仕事で乾燥した手があった。ねぇ、私も誰かに褒められるような手になりたいよ。
「何か塗っとるん?」
「ただグロスつけただけだよ」
「ぷるぷるしとるー」
「女の子だもん」
「お前さんの唇、キスしとうなる」
「んっ、」
女の子のグロスを塗ってぽってりとさせた唇はまるで男の子たちに「キスして下さい」って誘ってるみたい。やわらかくてセクシーな唇に男の子の薄い唇が重なって、ふにふにと感触を確かめて、存分に女の子特有のやわらかい唇を味わってから、口内に舌を滑り込ませる。女の子のぷるぷるとした唇は、そういった行為までに運ぶ一つのテクニックである。そうしたら、お互いに少し荒くて熱い息を吐いて、それからはもう、なし崩しだ。女の子の唇はグロスなんかじゃなくて、噛み付くように浴びせられるキスによって赤みを帯びる唇に変化する。私は自分のただリップクリームを申し訳程度に塗られた唇に触れた。二人のキスが、脳裏にちらついて離れない。ねぇ、どうしたら誰かを誘惑するような唇が作れるの?
「ねぇ、ハァッ、気持ちいい…?」
「…こんな締め付けられたら、な!」
「んっあ、ああ!」
図書室の当番でやってきたらドアの向こう側の声が聞こえてしまった。ちらりと覗くと、図書委員が貸し出しカードとかを整理する作業の机で男女はいた。嬌声をあげていた女の子の頬は赤く上気していて、それどころか二人の周りの空気まで赤く染めていた。普段あの女の子の声はか細くとも言える、高くて可愛らしいだけの声だ。でも、今のその女の子の声は、下品で、官能的で、どうしようもないくらい甘くて。卑猥な単語を口走る、鈴のような声が不釣り合いだった。そういう声が仁王くんの身体を熱くさせるのかと思うと、吐き気がした。痴態としか形容できない、この淫らな行為には見覚えがあった。半年前に同じことが教室で、私の机で行われていたことを思い出した。込み上げてくる胃液を必死でこらえながら、まだ鍵のかけられていなかった図書室のドアに鍵をかけた。ドアの前にしゃがんで目を強くつぶると、夢想を見た。
わたしは
こわがり欠愛者
雅治と知り合ったのは中三になってからだった。中二から同じクラスで仲の良かったブン太が紹介したのが雅治だった。不健全極まりない噂がついて回る雅治に嫌悪感を抱いたけれど、我慢して愛想良くした。とりあえず仲良くしている私たちにブン太が気を良くしたのを見て、私は安心した。私はブン太が好きだった。
「最近は仁王の噂も聞かなくなったなぁ」
「そうだね、好きな人でもいるのかな?」
私とブン太が冗談で話していたことは事実だった。それから数日後、雅治が本気で、そして初めての好きな人ができたという噂が出回った。今まで雅治を取り巻いていた女の子たちは、何度も雅治にその好きな人が誰なのかを聞いていた。それにキツイ一言を浴びせながら、好きな人がいることを肯定した雅治の目は真剣だった。私は雅治を見直した。雅治は私たち三人でいるようになってから、女の子で遊ぶようなことはなくなったし、本気で好きな人ができたというのも雅治に良い傾向だと思った。雅治に対する嫌悪感は、消えた。
「好きなんじゃ」
「お前さんが、好き」
誰もいない教室に二人きり、雅治の優しい声が響いた。もはや痛烈までの愛に私は応えられなかった。気持ち悪い、とまで思った。だって、そんなの有り得ない――。そうやって雅治の気持ちを完全に拒否した。雅治は拒否したことに関しては怒らなかった。
「突然びっくりしたじゃろ、ごめん」
「急がんでええから、ちょっとでええから、」
「丸井じゃなくて、俺のこと見て」
私はそうして懇願した雅治でさえ拒否した。それどころか私は、全て無かったことにした。雅治がブン太から紹介されたところから、今までを。朝、雅治のことをまるで初めて会った日のように他人行儀に「仁王くん」と呼んだ時の、あの雅治の顔を忘れない。ずっとずっと、脳裏に刻まれている。
「お前さん、なんで…」
「なんでっ、こんな!」
屋上で雅治に突き飛ばされて膝をついた時、心にあるのは恐怖だけだった。雅治の目はギラギラしていて、明らかに憤りを感じているようだった。それに切なさが孕んでいたことに気付いたのは、随分後になってからだった。
「どうしてこんな、こんなっ…!」
私に跨がって拳を上げようとした雅治に、私は拒絶の声を出した。雅治は自分のしようとしたことに気付いて、顔を歪ませた。それから手で顔を覆って、泣いた。恐怖に泣きじゃくっていた私は涙を拭くことを忘れて、その哀れな銀髪を見つめていた。鳴咽とともに漏れる私への愛の言葉を、どうしても受け止められなかった。もはやそれはブン太が好きだったからではなくて、ただ生温い友情に甘えていたかったから。失いたくなかったから拒絶したのに、それによって守られると踏んでいたものまで失った。どうしようもない、私のエゴ。
「結衣が好きじゃ」
そう言ってくれた雅治はもうどこにもいない。昔の雅治に元通り。むしろ悪化したように思える。雅治は私に嫌がらせ紛いのことをするようになった。私が図書委員の当番の日に、図書室で可愛い女の子を連れて、戯れている。それだけならまだ良かったけれど、教室の私の机を使って女の子と性行為をしていた時は思わず胃液を戻してしまった。そういう現場を見てしまう時、たいてい雅治の視線はこちらに向いていて、強烈な感情があった。私を責めるような、切なそうな、もう一つの何か。でもそれはきっと私の我が儘だ。
図書室の中がざわついたことから私は我に帰った。急いで鍵を開けたら、涙を流した女の子が飛び出して行った。私なんかに目もくれずに去った女の子から汗と香水の匂いを感じた。甘かった。そうしてゆっくり振り返ると、雅治が何を考えているのかわからない目をこちらに向けていた。私は少しむっとする室内の換気を始めた。雅治はただ見つめていた。
「オイ」
その声は言わずもがな、雅治からのものだった。恐る恐る「なに」と返事をした。私の声は少し離れた机に腰かける雅治に届くのかわからないような、掠れた声だった。怖かった。
「お前さん、何で俺のことばかり見とるん?」
怖かった。それはもう昔のように雅治に対しての感情じゃなかった。ドクンドクンと嫌に響く心音に気付いていた。
「なぁ、何で?」
先に傷つけたのは私だった。怖かった。何もかも失うことも怖かったし、1番はどうして雅治が私を選んだ理由がわからないことが怖かった。ありえないはずなのに、こんなことになってしまって、いつ拒絶されるのかわからないことが怖かった。男女間の友情という曖昧で生温い関係に甘えて、雅治に深く入り込む、そして入り込んでしまったら最後、溺れてしまうのが怖かった。雅治を取り巻く女の子たちのように、否それ以上に誰かを誘惑し溺れさせることに器用な雅治から、逃げていた。逃げてから、雅治が以前と同じように女の子たちをはべらかしている様子を見て、雅治を蔑視したし、悲しかった。
可愛い女の子の条件。雅治を取り巻く女の子の条件。私には何も当て嵌まらなかったから。
「お前さん、俺が好きなんじゃろ?」
雅治が好きだということに気付いたのは、もう随分と遅くなってからだった。雅治が、また冷たく笑って他の女の子たちと一緒に見ていられなかった。戻ってきて欲しいと思った。私とブン太と三人でいた時、でもそんなことを今更言うには遅いし、雅治を傷つけすぎた。だから、言えない。押し殺された感情は降り積もって、愛情と切なさがあった。それはきっと限りなく、いつか雅治が私に対して想ってくれていた感情に近いのだった。
「結衣」
「…何?」
「素直に好きって言いんしゃい」
「結衣の気持ち、知りたい」
ごめんね、雅治ごめんね。きっと雅治は全部わかってる。私が雅治を傷つけた理由も、今更雅治が欲しいと思ったのを気付いたことも。わかった上でこうやってチャンスをくれるんだから、優しい。ねぇ、本当の気持ち、言ってもいいの?
「好きだよ」
そう言ったら、雅治はぎゅっと私を抱きしめて「待ちくたびれたぜよ」とつぶやいた。やっと繋がった。怖い。怖くて、しかたがない。逃げたいのに、いつか来る終わりから逃げたいのに、どうして自らそう仕向けてしまうんだろう。男女が生まれてから決まっていた悲しい運命は、創世記から変わらない。好きなのに、どうしても雅治の背中に手を回せられない。私は、弱い。
「結衣、わかって」
「俺だって終わりはあると思っとる」
「まさ、はる」
「泣かんで」
そう言った雅治の顔は困ったように、でも優しくて、私の涙をそっと拭いてくれた。
「でも結衣だから永遠って思ったんじゃ」
「結衣が好きじゃ」
ああ、愛するってこういうこと。私は雅治の背中にしがみついた。この愛を、離さないように。
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雨さんへ
遅くなってすみません><;
苦情感想承ります。