仁王雅治は愕然とした。

「あっ、あ、あああ…!」

15歳になって初めて経験したことであった。鏡の中の自分を凝視すること30分、そいつは消えてくれない。もう遅刻は確定、母親が「早く学校行きなさい」とお弁当を渡してきた。いやだ、行きたくない、と駄々をこねたくなるが姉に首根っこを引っ張られ、ずるずると登校した。いやじゃいやじゃ行きとうないほんまにほんまに行きとうない!!







雅治、どうしたのかな。

お昼休み、ぼんやりと考えた。隣のクラスの雅治は私の彼氏なんだけど、今日の今まで顔を合わせない。一応、学校には遅刻をして来たらしいけど。あの雅治が私と会わないなんてどうかしている。おかしいな、と思いつつお弁当を広げながら雅治を待った。いつも雅治とは私のクラスで食べる約束をしている。

しかし10分経っても来なかった。あれ?いつもは2分、遅くて5分でしっぽ振って来るのに。お昼ご飯を食べてから、ため息ひとつ吐いてB組に向かう。雅治はぽつんと机に伏せていた。肩をとんとんと叩いても無反応。「雅治、来たよ」と言ってやるとマッハで振り向いた。


「どうしたの?」

「結衣がこっち来てくれて、嬉しい」


「でも悲しい」と続けた。確かに私が自分からB組に出向くのは珍しい。そんなことで嬉しいものなのかな。まぁ、いいや、それよりも雅治の顔を上げさせよう。見た感じ、昼休みはずっとこの状態みたいだから、お昼ご飯は食べてなさそうだ。まだ重そうなお弁当がちょこんとカバンから覗かせている。


「雅治、顔を上げて」

「いやじゃ」

「お昼ご飯食べないと真田くん怒るよ」

「顔上げとうない」

「どうして?」

「結衣にフラれる」


ずびび、と鼻水をすする情けない音が漏れた。何故そんなことを言うんだろう。私は今のところ雅治と別れる予定はない。ずっと顔を上げないのは、私にフラれる可能性のある何かがあったかららしい。


「雅治、顔上げようよ」

「…やだ」

「私、このままだと雅治の顔、忘れちゃうよ」


こう言うと、ビクッと肩を震わせた。もう一歩らしい。まだ雅治はくぐもった声で「でも…」と言った。


「雅治の綺麗な顔、見たい」

「…ほんまに、そう思う?」

「うん、思う」

「でも今の俺、汚い」

「見せて、ほら」


「雅治、」と優しく囁いてやると雅治はゆっくりと顔を上げた。何故かおでこに手をあてて。震える声とうすく濡れた瞳で、そんなに私にフラれると思ったのかと呆れた。おでこにあてられている手を外そうとすると避けられる。


「手、退けなよ」

「やだ、絶対やだ」

「…にきび出来たの?」

「!!」


やっぱり。雅治はまた机に伏せた。にきびくらいで大袈裟だ。またもや情けなく漏れる鼻をすする音が聞こえる。ふう、とため息をつく。雅治は別にナルシストじゃないけど、こうなってしまったのは私のせいだ。にきび一つでこんなに苦しむ雅治はおばかさんだ。


「雅治、顔上げて」

「い、やだっ」

「今日一日ほとんど雅治の顔、見てないもん。ちゃんと見せて」


今度は素直に見せた。雅治の前髪をわけておでこを覗くとぷっくりふくらんだにきび。女子も男子も苦しませるにきび。雅治は生まれてこの方、にきびに悩まされたことがないらしい。うらやましい。今までつるつるだったその肌に、ちいさなにきびが鎮座しているからちょっと可愛くなった。


「かわいいよ」

「キライにならん?」

「もちろんだよ」


微笑んでやると雅治は腫れた目を細めて嬉しそうにした。それからお昼ご飯を食べるのを促すと、素直に従った。びろびろに伸びたカーディガンの裾から出るのは指先だけ、お箸を持つのがちょっと危なっかしいけれど、上手に食べる。しかし好き嫌いが多すぎる。肉じゃがの肉じゃが以外は食べようとしない。特ににんじんを食べようとしない。


「にんじん食べないの?」

「キライ」

「にんじん食べないとにきびも治らないし綺麗になれないよ」

「うー」


私がそう言うと迷うように唸った。私が雅治の手からお箸を取って、にんじんを雅治の口元に運ぶ。「ほら、雅治、あーん」と言ってやると「あー」と嫌そうに顔を歪めながらだけど口を開いた。口をもごもごさせながら、「マズイ」と言ってるのがわかる。しかし残すのは雅治のお母さんに悪いので、お弁当の中の未だ残る鮮やかな赤を「あーん」してあげた。するといたくそれが気に入ったらしく、卵焼きも続けろとせがんできた。全く、甘ったれな困った雅治。


「ごちそうさまでした」

「はい、よかったね」


私がフラないとわかると雅治は上機嫌である。そのゆるんだ頬を撫でると私の手を掴んですりすりとしてきた。なんだか、猫みたいだ。他愛のない話をしていると柳生くんがやってきた。


「おや、仁王くんの機嫌は良くなったようですね」

「うん、迷惑かけてごめんね」

「いえ、いつものことです」

「やーぎゅ!…早く行きんしゃい」


するとさっきの上機嫌が嘘みたいに口をとがらせて柳生くんをしっしっとやる雅治。柳生くんはやっぱり慣れてるらしく眼鏡を上げて「わがままですね」と漏らしてから去っていった。雅治は私の手をぎゅうと掴んで離さない。


「どうしたの?」

「…なんでもない」

「あ、柳くんと幸村くんからメールだ」

「………」


メールをカチカチと打っていると反対側の手をむにむにと触ってくる。数分後、ケータイをしまうとホッとしたような顔をした。それから少し顔を歪ませた。


「俺、たまにテニス部がイヤになる」

「どうして?」

「みんな、結衣のこと狙っとる」


それは大きな勘違いである。私は別にモテる方ではないし、テニス部のみんなはフツーに友達として仲良くしてるだけだ。しかもそれには"雅治の彼女"というポジションも作用している。


「そんなことないよ」

「本当じゃ。柳生は結衣のこと好きそうじゃったもん」

「………」

「嘘じゃないナリ」


ここで否定すると「俺を信じとらん」と騒ぐので頷いておく。雅治は私のことがとても好きだ。自惚れではないと思う。どこを気に入ってくれたかわからないけど。すると雅治は私の気持ちを見透かしたように「俺な、」と口を開いた。


「結衣のこと、一目惚れしたんじゃ」

「…いつ?」

「全国大会の決勝戦」


あの日は、とても暑い日だった。会場は熱気に包まれていて、息も出来ないくらいだった。私はその頃委員会が同じで仲が良かった柳生くんに招待されていた。その時初めて、ちゃんと雅治を見た。風紀委員の私の注意をのらりくらりとかわす雅治にはあまり良い印象はなかった。けれど、その時初めて、ちゃんと雅治のことを見られた。


「俺が負けた時、"すごく良い顔してる"って泣きながら言うて、タオル渡してくれた」

「そうだったね」

「好きになったんも、そん時」
「だから俺、結衣が褒めてくれるんだったら自分の顔も好きになれる」


雅治の言葉に思わず笑ってしまった。雅治は「笑わんで」と困ったような顔をした。私が言ったのは、そういうことじゃないのに。


「雅治、私ね、雅治の顔好きだよ」

「うん?」

「雅治、綺麗だから。でも、イケメンだからってことじゃないんだよ」


雅治は綺麗だ。コートの上でペテンを重ねる雅治に、圧倒された。それが試合に負けたとしても、私は魅せられた。試合中にニヒルに笑う雅治にも、悔しそうに俯いて斜め下を睨む雅治も、全力で戦った美しさがあった。


「私、雅治が好きだよ」


雅治が私にアタックして、その後告白をして、恋人同士になって。イメージはがらりと変わった。私にだけかわいく甘える姿も、男らしくてかっこいい姿も、私に触れる時に色っぽく切なそうな表情も。どうしようもなく魅せられた。


「?…いたっ」

「ふふ、にきび、ちょっと大きいかもね」


だから、にきびの一つくらいで雅治に飽きることなど到底ありえない。きっともっともっと私にペテンをかけてくれる。私が笑うと、雅治は少しだけ赤くなって恥ずかしそうにした。


「結衣、ずるい」

「なんで?」

「そんなこと言われると、ちゅー、したくなる」


私の閉じられたまぶたを雅治の冷たい指がなぞる感覚がする。それからその指は私の頬を包んで、キスがまぶたに落ちる。キスがちゅ、ちゅ、と小さい音を出しながら頬と口端に降りると、それから甘く重なった。外野のざわめきが大きくなって、心の中で恥ずかしさと嬉しさと幸せが、一気に流れた。きっと雅治も同じだ。


「好きすぎて、苦しい」

「私もだよ」

「どうやったらいいんじゃろ」

「もう恋人同士なのにね」

「恋人の上って、何?」

「夫婦?」

「なる?」

「…プリッ」


今のは照れ隠しだ。私は雅治のファイルからプリントを取り出す。ちょうど出たのが、後で幸村くんに出さなきゃいけないやつだった。カリカリと「婚姻届」と題してから、テキトーに枠を作って今の日付と自分の生年月日と、それから少していねいに「中山結衣」と書いた。ちょっと、恥ずかしい。


「…ほら、雅治も…」

「……」

「…書いてくれる?」


俯かれた雅治の顔を覗き込むと真っ赤にして額を押さえていた。それを見て、すでに少し熱くなっていた自分の頬をもっと熱くさせた。しばらくして、雅治は「あー…」と漏らしてから私が握っていたペンを取った。雅治の細くて綺麗な字がゆっくりゆっくり紙に書き込まれていく。完成された私たちの婚姻届を見て、お互いに微笑んだ。


「このプリント提出しなきゃだから、幸村くんにバレちゃうね」

「でも幸村なら許してくれるっちゃ」

「そうかもね」

「…こういうの、俺がやりたかったナリ」

「ふふ、ありがとう」

「あ、そうだ」

「ん?」


雅治は不服そうにしていたけど何か思い付いたようでカバンからごそごそと何かを取り出した。


「ちゃちゃちゃちゃーんちゃちゃちゃちゃーん」

「なに?」

「結婚式のテーマ」

「ふふ」

「結衣」

「はい」

「俺は結衣への愛を誓う」

「…うん」

「結衣は俺への愛を誓ってくれますか」



さぁ、誓いのキスを


雅治が取り出したのはプレゼント用の赤いリボンだった。それを私の左薬指に、リボン結びにして巻いた。指を絡めてもう一度ゆっくりキスをすると、チャイムが鳴る音が聞こえた。唇を離すと自分が泣いていることに気付いた。雅治が「ほんまに綺麗、好いとうよ」と囁いて、その声が少し震えてる。こんなに幸せでいいのかな、雅治となら、もっと幸せになっちゃうのかな。赤いリボンを、そっと撫でた。




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はなさんへ
遅くなってすみません!
可愛くなってるといいですが;
苦情ははなさんのみ、出来れば感想ください^^

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