プロローグ

 鳥の声が消えた。
 足を止めて頭上を見上げ、辺りを見渡す。
 ここは木々ばかり。人も家もない。
 どうやら自分は街に戻るどころか、逆に森の奥深くに迷い込んでしまったようだ。

「まずいな」

 どんよりと漂い始めた真っ黒な雲に上から蓋をされ、ますます森から抜け出すのが難しくなった気がしてくる。
 今にも雨が降りそうだ。
 それもきっと、土砂降りになるだろう。
 小屋の一つでもあればいいのだが、そんなものは見えない。

「ちょっと!」

 遠くで誰かの声が聞こえた気がした。驚いて辺りを見渡す。
 枯れ枝を踏み折る音だけがこちらへ走ってくる。

「遅いっ! さっさと走りなさいよね!」
「……ま、待って……」

 木々の間から二人の子どもの姿が現れた。
 怒りながら先を行くピンク色の少女と、それを追い掛けるクリーム色の髪の少年。
 少女は手ぶらだが、少年の腕には大きな紙袋が抱えられている。

「それ雨に濡らしたら、ぶっ飛ばすわよ!」
「う、うん」
「返事する暇があるならもっと早く走りなさいよー!」

 返事をしてもしなくても、きっと怒られるのだろう。
 少年が戸惑った表情を見せたところで、二人と目があった。

「すみません、道に迷ってしまったんですけど」

 驚きつつも奇妙な二人に声を掛ける。
 それは彼らにとっても同じことだろうと思っていたが、存外、二人の子どもは俺に驚いた様子もなく、それどころか

「どきなさいよっ」

 と、ピンク色の少女はスピードを落とすこともなく、横を走り抜けて行ってしまった。
 しかし少年の方は、足を止めて少女に声を上げる。

「い、イチゴちゃん……待って」
「なによ」
「お客さんかもしれない」

 イチゴと呼ばれた少女が初めて足を止めて振り返る。
 少年は重そうな袋を抱えたまま、息を切らしてせき込んでいる。

「あんた、お客なの?」
「お客?」
「お菓子を買いに来たのかって訊いてるのっ」
「けほっ、イチゴちゃん……そんな言いかたは」
「じゃあシュクルが案内しなさいよー!」
「はは、まさか、こんなところに菓子屋でもあるのか?」

 冗談半分のつもりが本当だったらしい。
 二人は頷く。

「でもヘンなお菓子しか置いてないわよ」
「……ぼくは好きだけどな」
「ちょっと! あたしがいつ、嫌いって言った?!」
「え、好きだったの?」

 イチゴが顔までピンク色にして、否定しようと口を開く。
 途端に空から雨粒が落ちてきた。
 二人は驚いてまた駆け出す。

「ちょ、こんなところに置いていくなよ!」

 俺も付いて走り出す。
 雨は叩きつけるように降る。

「もおっ! シュクルがもたもたしてるから、降って来たじゃない!」
「だ、だってお客さんが……あっ」
「重いだろ?」

 泣き出しそうなシュクルがあまりに可哀想だったので、紙袋を上着で包んで持ってやる。
 彼は口を開いて何かを言ったが、雨音がうるさくて聞こえなかった。

「見えたわ!」

 イチゴが叫んだ。
 土砂降りの雨の中、前方に一軒家が建っていた。
 閃光して雷鳴が轟く。

「きゃあっ!!」

 驚いてつまずいたイチゴが転ぶ。
 駆け寄ろうとするシュクルに上着の包みを渡して「先に行け!」と言う。
 イチゴの膝から血が出ている。

「ちょ、ちょっと、何すんのよ!」

 ぽかすか暴れる泥だらけのイチゴを抱え上げてまた走り出す。
 家の扉が開いて、傘を差した誰かが出てくる。
 前のめりに走りながら、そこに突っ込んで行った。

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