「おとーさん、ね、起きなくていいの?」 「よくは、ないかなぁ。」
私の娘は、妻に似て別嬪さんだ。さらさらの髪の毛とか、そりゃーもう特に。
「じゃあ起きようよ、お味噌汁冷めると私の機嫌が悪くなりそう。」 「それは、まずいなぁ。」
そして妻に似て、茶目っ気たっぷりだ。猫みたいに笑うとこなんてそっくり。
「そうだよ、お味噌汁もまずくなるよ。それからおとーさんのだーいじなgiraffeのネクタイが仙台味噌臭くなるかもよー。スメルだよー。」 「それは、いやだなぁ。」
更に付けくわえると妻に似て、少し悪戯が過ぎる。昨日は持たせてくれた弁当は仮面ライダーのキャラ弁だった。休憩コーナーで「ブフッ」っていう笑いを取らせてくれてほんとにありがたかったな。
「もう、先に食べてるからね、ちゃんと着替えて降りて来てね。」
リビングから一番遠い部屋に寝てるって言うのに、今日も味噌汁の良い匂いが届く。だけど、娘が毎朝丁寧に作ってくれるその味が、妻のものには似ていないことを私だけがきちんと知ってる。なぜって、娘がその味を覚える前に、その味を教わる前に、私の愛した妻であり娘の大好きな母は死んでしまったからだ。
「お父さん、今日はサンドイッチにしたからね。」 「ありがとう、佳織。」 「野菜室に果物が入ってるタッパーがあるから、それも持って行ってね?」 「キウイが食べたいなぁ。」 「…タンブラーに紅茶も入ってるから持ってってね。」 「アッサムがいいなぁ。」 「…行ってきます!!」 「嬉しいなぁ、以心伝心だねぇ。あ、マフラーしてきなさいよー。」 「わかってるもん!!」
私の希望通りに事が進んだのが悔しいらしく、思い切り顔をしかめながら娘は家を飛び出して行った。ソファに無造作に置いてあったマフラー(この間私がプレゼントした。)をひったくるようにして。素直じゃないけどあの子は十二分に良い娘だ。毎朝自分と父親の弁当を作るなんて中々出来ないと思う。
「あー…。」
妻とは違うけど、今日も美味しい味噌汁をずずず、と啜る私、ほんとに幸せ者。ふと、そんな時、リビングから廊下に繋がるドアに目がいった。どうやら、娘が学生証か何かを落して行ったらしい。全く、あわてんぼうさんなんだから。
「どれどれ、」
雑渡佳織、大川学園高等部三年A組
の、隣に貼ってある普段よりキリッとした作り顔の娘も可愛らしい。むしろその努力が可愛く思える。今は髪を切ってしまって肩までの長さだけれど、春の頃にはもう少し長かったんだなぁ。幼稚園の頃は、四苦八苦しながら三つ編みにしたり、お団子にしたり…郷愁に浸ると涙腺に直結する36歳なんだから朝から思い出に耽るのは止しとこう。
「ん?」
チラッと見えた学生証の中に、友達と撮ったのかプリクラが何枚か貼ってあった。あー小学生の時は一緒に撮ったのに…あの時の「おとーさんだいすき」って躊躇いなく書いてくれた佳織が制服でピースしてる…っていけない感慨に沈んじゃダメダメ。
「…あ。」
あ。うそでしょ。あ。あ。いやいやいや。あーあーあーあーア――――!!!!!!
*****
「夜、何作ろうかなー。」 「ほんと、あんたって見た目に反して出来た子だわ。」 「え…夕ご飯作るだけでそう言われても困るから。」 「いーい?普通の学生は、学校行って部活とかバイトとかして、もしくは帰宅部で遊んで帰って、親が用意してくれたご飯食べてテレビとか見ながら寛いでるのよ。で、寝る前に勉強する奴だけする。」 「でも、毎日きちんと作ってるわけじゃないよ?残り物出したりとか、スーパーでコロッケ買ったりとかするし、ほんとに作りたくない時は食べに出たりとかするし。」 「なんかね、家族のこと気にかけてる行動、っていうの?そういうのがキチンとしてていいのよ。」 「そう?普通じゃない?」 「あんたのそういうとこ、見てる人はきちんと見てるよね。見た目がそうでも中身が優等生気質だし。」 「見た目見た目って言わないでよー。」
中学から一緒のユキに言わせると、私は持たれる第一印象と受けるセカンドインパクトがかなり違うらしい。でもそれは、この進学校で髪の毛染めたりピアス開けてるのが珍しいからってだけだと思う。確かにスカートもみんなより短いし、校則違反気味のカバンとか使ってるけど。
「でも、全部似合ってるしね。」 「文句言われないように勉強頑張ってるしね。」 「そうそう、この物理の問題教えて?」 「いいよー、じゃあ帰りにスーパー一緒に寄ってくれる?」 「おっけー。今日はなに?お一人様卵1パック98円?」 「ユキも詳しくなったねー!」 「あんたと一緒にいればね。」
髪の毛を染めたら、びっくりしながらお母さんに似てきたねってお父さんが笑った。ピアスを開けたら、ちょっと悲しそうにしてたけど、大事に閉まっておいたらしいお母さんの形見のピアスを譲ってくれた。テストの点数を告げるたびに、やっぱり志乃が産んで私が育てただけあるなーって照れてた。お父さんはそうやって、私の中にお母さんを探しながら、私とお母さんの繋がりを見つけてくれた。私の中からお母さんが消えないように、いつまでも一緒にいられるように。
「それで、お父さんにあのことは言ったの?」 「…まだ。」 「先延ばしにすると後々面倒になるんじゃないの。」 「それはわかってる、わかってるんだけどね…」 「まぁわかるけどね。佳織のお父さん、佳織のこと大切にしてるからなぁ。」 「他人にも伝わる父の愛ってどうよ…」 「私が言うことじゃないけど、中々出来るものじゃないでしょ。実の娘だって年頃になったら扱いに困るんだから。」
じゃあ。血の繋がらない娘の相手は、いかほどなのか。
「やっぱり、気にしてるのかな。だからオーバーなくらい大切にしてくれてるのかなぁ。」 「さーね、それはわかんないけど。」 「時々ほんとに時々、悪いなぁって思うんだよね。」 「そんな風に思ったら逆に失礼だよ。」 「わかってるんだけどさ、でもさ、」 「言っとくけど、あんたのお父さんはあんたと同じくらい素敵な人だよ。」
だからあんたも誠意を持って相手をするべき。 そんな言葉を掛けてくれるあなたも十分素敵だと思います、ユキさん。天国にいるお母さん、あなたの娘は友人に父親にも恵まれました。友人にべた褒めされる父親ってどうよ、凄くない?娘の自慢ですよね。
「今日の夕飯、お父さんの好きなもの作ってあげたら?」 「それいいかも!」
そうして私はお父さんに話さねばいけないのだ、あのことを。
*****
「あ、」
目の前に座る制服姿の少年、と言うには大人っぽいな、とにかく彼は私の娘と同い年らしい。カルテの生年月日を見ながら思わず声に出してしまった。今までだってこんなことはザラにあったっていうのに。娘と同じ年代の男を見ると過剰反応してしまう自分が情けない。
たかが、たかが「初デート記念☆」プリクラを見つけたからって、ね。
「今日はどうしたの?」 「コンタクトが合わなかったみたいで、ちょっと…」 「眼鏡外して、ここに顎乗せて。」 「はい。」
確かに、眼球が傷ついてるな。コンタクトを付けたまま目を擦ったり、夜遅くまで外さなかったのか、元々コンタクトが合わないのか。眼鏡にあうんだから「“ほんとのわたし、デビュー☆”」なんてしなくてもいいんじゃないかね。
「しばらくコンタクト禁止ね。目薬出すから毎日朝昼晩と寝る前に忘れずにさすこと。」 「やっぱりあわないんでしょうか。」 「それもあるかも。コンタクトじゃないと困ることってある?」 「いえ、試しに作ってみた程度だったので問題はないです。」 「君、眼鏡似合うんだからコンタクトにする必要ないんじゃない?」 「…」
カルテを書きながら本音を口にすると、目の前の18歳が黙ってしまった。何か悪いこと言ったっけね。だって整った顔立ちの子が合ってる眼鏡かけてればそれだけで絵になるじゃない。
「変なこと言ったかな?」 「いえ、彼女にも同じこと言われて。」
「なんだ、じゃあ万事解決じゃない。眼鏡男子は素直にかけときなさい。」
はにかんだように笑っちゃうとこなんて、可愛いじゃないの。眼鏡かけてると頭良さそうに見えるから、そこの落差とかにも女の子は弱いんだろうなぁ。
「先生も眼鏡、お似合いですね。その色難しいと思うんですけど。」 「娘がね、選んでくれたんだよね。」 「微笑ましいエピソードですね。」
娘が私の誕生日にお店で一緒に選んでくれた眼鏡は、光に寄って黒にも紫にも、紺にも見える様な少し難しい配色をしている。ちょっと怪しい雰囲気のお父さんにぴったりって、ケラケラ笑ってたっけね。医者がそれでいいのかって私も笑っちゃったんだよね。
「彼女ってどんな子?」 「え?彼女ですか?」
聞いた瞬間に目が光った。眼医者の私が言うんだから間違いない。光ったよ、この子。
「家族思いで、友達思いで、とっても良い子です。」 「可愛い?」 「か、かわいい、と、思いますけど…笑った顔とか…いや、普通にしてても!」 「あはは、必死。」 「先生が変なこと聞くからですよ、焦っちゃったじゃないですか。」 「ごめんね、悪かったよ。」
じゃあ、待合室でもう少し待っててね、と真っ赤な顔した彼に告げた。可愛いなぁ。少しからかっただけでこんな反応返してくれるなんて、18歳はこれくらいがいいよね。
佳織の彼氏がさっきの男の子みたいに爽やか中身もイケメンボーイだったとして、許せるかって言われたら、まぁもちろん諸手を振って…許しませんけどね。睫毛引っこ抜く。全力で引っこ抜く。
*****
「ただいまー。」 「おかえりなさい。」 「あらー、お父さんの大好きな茶碗蒸しじゃないのコレ。」 「そうだよ、だから早く着替えてきなよ。」 「はいはい。」
いつも通り、お父さんは診察を終えて8時過ぎに帰ってきた。お父さんは家から地下鉄で3駅ほど行った先に割と大きな個人病院を構えている。ちなみに、その隣にはお母さんが薬剤師として務めていた薬局がある。そんなほぼ職場恋愛で二人は出会ったわけだ。
「美味しそう。」 「かもしれないね。」 「いただきます。」 「はい、私もいただきます。」
私のほんとのお父さんは、私が生まれる前に交通事故で亡くなったってお父さんが(ややこしい?)きちんと教えてくれた。お母さんのお墓参りに行く時に、お父さんのお墓参りにも毎年連れて行ってくれる。「志乃と、私より先に出会ってた幸運な人」ってちょっとむくれながら、それでも毎年。
お父さんは、とっても誠意ある態度と愛情で十何年も私を育ててくれているのだ。
「お父さん、私ね、彼氏出来た。」 「きたきたきたよー、はいきたー、こころの準備まだー、とても☆いきなり☆核心ついてきたよー。」
お父さん聞きたくないなぁ、と耳を塞ぎ始めた父を無言で見つめてみる。じじじー、私の目とお母さんの目は、お父さんが「一番似てる」と言う位なんだから耐えられるわけがないのに。
「そんな目で見ないで!!」 「じゃあ私の話も聞いてよ。」 「聞いてあげたいけど、お父さん泣いても知らないよ!!」 「娘に彼氏が出来た位で泣くわけないでしょ!!」 「泣きますー!!」 「ちょっと過剰なんじゃないの?」 「過剰だろうがなんだろうが、大事な自分の一人娘のことならなんでも心配したいもんなんだよ。」 「大事なお父さんだから、きちんと教えておきたいんだよ?」
茶碗蒸しをちびちび食べていたお父さんが、顔をあげてもともとギョロっとしていた目を私にようやく合わせた。しかも顔が赤い。どこまで親バカなんだ。もういいのに、ここまできちんと育ててくれただけでもありがたいのに、なんでかな、なんでこう、ちゃんとお父さんしようとするかな。
「今、馬鹿なこと考えてたでしょ。」 「え?」 「時々、佳織ってお父さんのこと窺うように見るんだよね。申し訳なさそうにするっていうか。」 「や、それはそうもなるよ。」 「なんなくていいの。子供がそんな風に考えるって言うのは、親が気を遣わせてるってことだよ。お父さんが悪い。」 「わ、悪くないよ!お父さんはどこもなにも一つも悪くないよ。ただ、私が幸せ過ぎるのがちょっと、身に余るっていうか…」
パシン
「あ。」 「え。」
気がついた時には、左頬をお父さんに叩かれていた。叩かれた私よりも、お父さんの方が数段驚いていて、そのことに逆に私は笑いそうになってしまった。痛かったっていうのに。
「うぉわああああああー!!!佳織のこと殴っちゃったよぉおおおお!!!」 「殴ってない、殴ってないから!ちょっとほっぺた叩いただけでしょ!」 「志乃に殺される、祟られる、地獄に落されるー!!!」 「お母さんをなんだと思ってるの…」 「ごめん大丈夫?直ぐ氷持ってくるから、」 「だいじょぶ、それより親なら手を挙げることもあるでしょ?動揺しすぎだよ。もっとどっしりしててよ。」 「でも、一人娘に…お嫁に行けなくなっちゃう!!あ、それはそれでいいか。」 「よくないし、そんなことでお嫁に行けなくなるわけがない。」 「あーそれにしても、今までこんなことしたことなかったのに。」 「それだけ、私が怒らせたんでしょう?」 「うん。」
箸を置いて、姿勢を正すお父さんに合わせて、私も思わず手を膝に置いてしまった。
「佳織が、幸せだって思ってくれてるのはすごく嬉しい。だけど、身に余るってどういうこと?」 「だって、お父さん若いのに再婚も考えてないし、外で遊んだりとかもしないし、お父さんだって、」 「志乃以上に好きな人なんて出来るわけないんだから、再婚なんて有り得ないね。」 「お父さん。」 「佳織が幸せだって思ってくれているように、お父さんも同じくらい幸せだから。」
だから、何も心配するようなことはないんだよ。
「全く、泣き顔までそっくりになってきたんだから。いやだなぁ、お父さんの知らない男に慰めてもらったり、果ては知らない男の腕の中で泣いちゃったりするのかなぁ………想像したらお父さんも泣けてきちゃった…」
天国にいるお母さん。私は時々、不安になります。お父さんが、私のことを大切にし過ぎるからお母さんが妬いてしまうんじゃないかって。でも、それでもいいよね?お父さんに愛されてる幸せな娘でいても、いいんだよね?
「お父さん、ありがと、大好き。」
*****
「で、どうしてあの時の眼鏡男子18歳がウチにいるわけかな。」 「あ、お邪魔してます。」 「うん、ここ私と佳織の家だから。早く帰りなさい。」 「伊作!紅茶でもいい?」 「ありがとう。」 「何その親しげな感じ!佳織が男の名前を呼ぶなんて滅多にないのに!いっつも名字呼びなのに!」 「あ、良い情報ありがとうございます。」 「なにその敵に塩送ってますよ〜みたいな良い表情!?」
土曜日のため、午前中だけの診察を終えて家に帰れば玄関口に見知らぬ男物の靴を見つけた。恐る恐る(だって何が起ってるかわからないからね…)部屋に入れば娘といつかの爽やかイケメンが勉強してるじゃないか。何この嫌な予感。
「診察受けた時に気付くべきでしたよ、雑渡なんて珍しい名字、滅多にいないですし。」 「その眼鏡今すぐ渡しなさい。」 「嫌ですよ〜彼女が似合うって言ってくれたんですから。」 「私のかけてるこの眼鏡は、佳織が選んでくれたの!」 「ほんとに良い子ですよね、佳織。」 「ちょっとそこに居直りなさい、今すぐピンセット持ってくるから。」 「わー。」 「睫毛全部引っこ抜いてやる。」 「あはははー。」
この爽やかさ具合が腹立たしい…っ!!佳織ったら騙されてるんじゃないのかな…!!あの子、ほら純粋だし今まで彼氏なんていたことない(はず)だし!!
「もーお父さん、なにやってるの?」 「何って、尋問?」 「…お父さん、ほんとになにやってるの…」
ピンセットを構えながら眼鏡男子と睨み合ってたら、紅茶とケーキを運んできた佳織が、溜息混じりで間に入ってきた。いや、今真剣勝負だから!!娘と言えど邪魔されたらこまるわけでね。
ピンポーン
「佳織、出てきて!!」 「出るけど、伊作に変なことしないでよ?」 「善処します!!」 「伊作も、お父さんの挑発に乗らないでほっといてね?」 「出来る限りそうするよ。」
佳織が出て行った後のリビングに、静寂が訪れた…ってなんか二時間サスペンスドラマみたいなこと言ってみたけど、ほんとに沈黙。18歳の癖して余裕かまして微笑んでるなんてやるな、こいつ。
「まぁ、相手にもならないんですけどね。」 「何その発言。」 「知ってます?彼女の生徒手帳。」 「プリクラ?」 「だったらよかったんですけどね。」
前に偶然見つけた彼氏とのプリクラ。その相手も彼だったんだろう。コンタクトで写っていたからわからなかっただけで。
「写真、入れてるんですよ。」 「え、君の?ちょっと燃やして来る。」 「だったら嬉しいんですけどね。」 「まだ他にいるの?!」 「いるみたいですよ〜?毎日大事に持ち歩いちゃうような人が。」 「佳織!!」 「はーい?あ、お父さん、おじいちゃんたちから宅配便届いたよ?ってどしたの?」 「ちょっと生徒手帳持ってきなさい。」 「え!!ちょっと伊作、何言ったの?」 「僕も良い情報貰っちゃったから、ここは公平に。」 「ほら早く。」 「もー!!これでいいんでしょ?」
この間見た時と何も変わらない生徒手帳。前からパラパラと捲って行くけれど、写真なんてどこにも貼られていない。
「違いますよ、生徒手帳とカバーの間に隠してるんです。ほら。」 「あ。」
それは、二人で初めて遠出したときの写真だった。志乃が亡くなってすっかり笑わなくなってしまった佳織を、どうしても元気づけたくて、無理矢理遊園地に連れ出したときに撮ってもらった写真だった。前に三人で遊びに行った時には、はしゃぎ疲れて最後には私が背負って帰ったほどだったのに。あまり良い思い出にはしてあげられなかったと思ってたのに。
「佳織、不安になるとこの写真見るんですよ。可愛いでしょ。いじらしいでしょ。僕、そういうとこ、大好きなんです。」 「あーあーあーあーもう誰得なのよ…」 「佳織、今度はそこの眼鏡男子に連れて行ってもらいなさい。」 「え?」 「それで、すっごく笑顔で写ってる写真、お土産にお父さんに頂戴ね。病院のデスクに飾るから。」 「お父さん、私もう18だよ。」 「じゃあパソコンのデスクトップにするから。」 「それもっと恥ずかしい。」 「それも嫌なら引き延ばして玄関に飾るから。」 「どんどんレベルが引き上げられていくのは気のせいですか?」 「公認デートなんて心が広いですね、お父さん。」 「君、そこに居直りなさい。眼球繰り出してやる。」 「お父さん!!なにその忍者の拷問みたいなこと言うの!!」 「だって腹立たしい!!」 「あはは〜」
佳織が慌てて、眼鏡男子が余裕かましてて、私が無駄にカッカッしてる。なんか最高におかしな図式だけど、もういいか。この子が幸せそうにしてくれるなら。私の代わりに、この子をずっと大事にしてくれるっていうなら。笑顔に出来るなら。
*****
「ね、佳織。」 「なーに?」
伊作とお父さんの間に入ってとてつもなく疲れ切った後、やる気のない夕ご飯(焼きそば)を食べながらふとお父さんが尋ねてきた質問は最もと言えばその通りだった。
「なんであの写真なの?」 「なんでってなんで?」 「当時はあんまり楽しそうじゃなかったから。」 「違うの、ほんとは楽しかったの。でも、どう笑っていいか分からなかっただけなの。だけど二人で一緒に頑張ろうって決めた日ってあの遊園地の日かなって思って。」 「なるほどね。」
本当は、私の事をだっこしているお父さんが、笑顔で綺麗に写ってるからなんだけど。家にはアルバムがたくさんあっても、それはほとんどお父さんが私を撮ったもので、一緒に写っている写真は殆どと言っていいほどないし。
「お父さん、」 「なんだい?」 「大好き。」
また、あのギョロっとした目がパチパチと瞬きする。照れたように目をそらしながら、コホン、と喉を整えるように息を吐いた。
「そういうことは、彼氏にでもいっ、」 「い?」 「いっ、」 「い、」 「言い惜しみして、お父さんにだけ言いなさい。」 「はーい。」
血が繋がってなくても、私たちは親子だ。お母さんを大好き同士だ。最強の同盟相手だ。今だっていつだってこれからだって。
「伊作とも仲良くしてね?」 「佳織大好き同士だから、多分きっと仲良くなれると思いたい。」
ちょっとむくれて、ほんとに嫌そうにするお父さんが、やっぱり私は大好き。ね、伝わってるかな?
*****
志乃が死んだとき、大袈裟でもなんでもなく、私も死にたくなった。喪服を着ながら、彼女が大切にしてくれていた結婚指輪や、プレゼントしたピンクダイヤのピアスや、佳織が一生懸命書いていた私と志乃の似顔絵が置かれたドレッサーをぼんやり眺めた。
新しく入った薬剤師、隣の眼科医。接点はそれだけだった。ただ週末に小さな佳織と手を繋いで公園を散歩してる姿を、何度か見掛けた。「先生も、お散歩ですか?」気づいて笑いかけてくれる彼女の、目を細める仕草が。
毎週木曜日に花を買っていく姿を何度も見送った。向日葵にチューリップにガーベラにバラ。亡くなった夫が、それしかわかる花がないんです。そう、困ったように眉を下げるところも。
「私以上に娘を大事にして下さる方じゃないと、」
いつだって佳織が一番で。そんなところも全部好きだったのに。愛してたのに。3人で幸せに暮らしてたのに。
どうして、なんで、
「おとーさん。」
立ったまま泣いていたら、スーツを遠慮がちに引っ張られた。小さな手、泣き出しそうな大きな目。ああそうだ、私にはこの子が。
「誰にいじめられたの?」 「強いて言うなら神様かな。」 「じゃあ佳織がカミサマ怒ってくる!」
志乃に似て、好きな人のためなら何でもしちゃうんだった。ほんとに顔を赤くさせて…林檎みたいなほっぺただ。
「それは、ちょっと無理かもしれないなぁ。」 「そうなの?」 「それに、もう悲しくなくなった!」 「ほんと?」 「佳織が一緒にいてくれるしね。」
それだけでいいの?不思議そうな顔をしたままの佳織を、抱き上げて、ギュッとした。この小さな小さな私たちの娘を、全力で幸せにするんだ。いつか、私の代わりに大切にしてくれる誰かが現れるまで。
「佳織、」 「なーに?おとーさん。」 「佳織がいるから、幸せだよ。」
やっぱり、私の代わりにこの子の隣を陣取る奴には相応の対価を払って貰うかな。
いや、四の五の言わずに睫毛引っこ抜く。
「おとーさん、お顔こわーい。」 「良く言われる。」
*私は雑渡さんを勘違いしてる。伊作の眼鏡、伊作のブレザー、ちょっと意地悪そうな笑い方、想像してみて下さい。
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