仕事終わりの疲れた顔で、誰かと会うのはあんまり好きじゃない。やっぱりキレイにしていたいし、ぼーっとした顔で誰かに会うのがいや。でもそんな私が毎日通う、素敵なお店があるのです。
その喫茶店に、制服はありません。街に溢れる所謂シアトル系のコーヒー屋とも違い、基準服もないみたい。マスターなのかオーナーなのか、バリに陣取っている初老の男性も衿付きの上着、と言う自分のルール以外は気にしていないよう。ストライプだったりボタンダウンだったり、ベストを重ねたり…日によってバラバラ。でもそれがまた素敵。
「お待たせ致しました。」
ごめんなさい、今までの説明に嘘はありません。でも長々と前置きしたのには、別の意味があって。それは少しの独占欲と乙女心とかゆうやつなんです。
「ロイヤルミルクティーです。」
いつも目の前に差し出される彼の左手とか気遣わし気な声が、美味しい飲み物以上に私を癒してくれるのです。でもだからこそ、あんまり教えたくない。なんとなくわかってもらえませんか?お気に入りのお店と言うか店員さんを独り占めしたいとゆう気持ち。
「…あれ、」
いつもと、何か違う。毎日頼んでるから流石にわかる。いつも美味しいけど、今日のミルクティー、何か違う気がする。バリでコーヒーを淹れてるマスターをチラチラ見てたら、隣でカップを温めていた彼がなぜか悲しそうに俯いて、
「すみません、僕が作ったんです。」
とテーブル脇に立って突然がばっ!と勢いよく頭を下げてきた。混乱した頭でまたマスターをチラチラ見てたら、ジェントルマンな微笑みで「でも美味しいでしょう?」と聞いてくれた。はい美味しいッス。
「ミルク多め、甘さ控えめのロイヤルミルクティーがお好きなんですよね?」 「そうだけど、どうして知ってるの?」 「マスターと話してるのを聞いてたんです。」
通うようになってから、コーヒーやカフェラテ、季節限定もの、と一通り試した末に落ち着いたロイヤルミルクティー。毎日そればかり頼む私をマスターは覚えてくれた上、好みの味まで尋ねてくれた。
「それに、毎日作ってるのを見ていたので…同じものを出せると思ったんですが…」
えーと、確かに同じもの、ではないけど彼は勘違いしてることがあるなぁ。
「美味しいよ、今日のロイヤルミルクティー。」 「え!!ほんとですか!?」 「うん、いつもより美味しいかも、ってマスター違うんです!そういう意味じゃなくていつも美味しいんですけど!」
わかってますから、と苦笑するマスターの横で、照れたように「やった…!」と安心する彼、と一人テーブルでわたわたしてる私。でも本当に美味しいから結局私が一番得してるのかな、と最後の一口まで美味しく頂いた。
「今度はマスターと同じものを出しますから。懲りずに飲みに来てくれませんか?」
帰りがけ、お会計をお願いしたらメモ帳とペンを高らかに掲げた彼が、ニコニコ笑ってくれた。そんなふうに言わなくても明日も来ちゃいますよ、何度も言うけど美味しかったよ、とは言わずに笑って誤魔化しておいた。
「そうだ、ね、名前何て言うの?これじゃあお礼が言えないな。」 「二郭です。二郭伊助です!」 「にのくるわ、二郭くん。」 「呼びにくいと思うので、良かったら下の名前で呼んでください。」
…今日って何の日?何この一度に幸せに遭遇する確率の高さ!明日からが怖いからやめて〜幸せは小出しにちょうだい〜でもやっぱり嬉しい!二郭くんて何なの天然なの?これが人生史上初対面の年上キラー?うわーやめてやめてニコッてしないで!でも呼ぶよ私呼んじゃうからね…!
「伊助くん?」 「はい、なんでしょう?」
なんでしょう?じゃ、ないっての!可愛すぎるぞこのやろー。大人をからかうなー。きちんとした大人の女をやるのも大変なんだぞー。
「あ、代わりにと言ったらなんですけど…良かったらお名前教えて貰えませんか?」 「結城志乃です。」 「結城さん、志乃さん…覚えましたよ志乃さん!」 「ありがとう、伊助くん。」
そうしてお互い名前を呼び合う仲に一日で進展してしまったわけです。本当に、進むときは突然来てガッツリいくもんなんだなぁ。しかもお店の外までわざわざ見送りに来てくれて、私の癒し伊助くんは、お気をつけて、と手まで振ってくれたのだ。カフェエプロン姿がとっても似合う、ニコニコ笑顔の店員さん。伊助くんとはこうして仲良くなりました。
*****
「こんばんは、志乃さん。」 「こんばんは、伊助くん。また寒くなったねー。」「大学からお店まで来る下り坂が自転車だとツライんですよ。」 「風でしょ?わかるなぁ。」
最近はカウンターがすっかり定位置になった。マスターとゆっくりまったり話す時間も変わらず好き。でも、伊助くんが話してくれる学校の話や個性豊かな友達の話、何気ない日常会話は、少し疲れたこの時間にとても効くみたい。
「…志乃さん、お疲れです?」 「え、そんな顔に出てる?」 「や、疲れてるっていうか、ほっぺが赤い様な気がして。」
目の前で丁寧に作られていく私のためのロイヤルミルクティー。真剣に作ってくれていた伊助くんが、ふっと目だけ私に寄越す。
「…そうかな?自分ではわかんない。」 「ちょっと、ごめんなさい。」
そうして降ってきたのは、洗ったばかりの冷たい伊助くんの掌だった。伊助くん、今確実に体温上がってるから。すっっごく嬉しいけど、測定不可能だから!と言うか、年下の男の子にこんな振り回されてわたし、それでいいの?!
「うーん、やっぱりほっぺたも熱いですよ!」
おでこでは飽きたらず、両頬が挟まれて、伊助くんの顔までいつもより近い。近い近いちかいってばー!
「本当ですね、結城さん今日は早めにお帰りになった方がいいですよ。」
ジェントルマスターが、暖かい膝掛けを持ってきてくれた。う、こんなに至れり尽くせりだとマンションの部屋に帰ったときが余計に悲しいんだよね。でもやっぱり嬉しい。
「お待たせ致しました、中から温かくしてくださいね。」 「どうもありがとう、頂きます。」
やっぱり美味しいなぁ。ただ、ロイヤルミルクティーを少しずつゆっくり飲んでいたら、自分でもわかるくらい熱と言うかダルさが出てきたのがわかった。こりゃマズイ。早く帰ってお布団にくるまって寝よう。
「ごちそうさまでした。」 「結城さん、今日は伊助くんに送られてみませんか?」 「へ?」
いつもの調子でお会計をお願いしていたら、マスターが微笑み中の微笑みをくれた。この笑い方、あれだ、何か企んでる顔って言うやつかしら…?
「私も送って差し上げたいんですが、流石に店を空けるわけにはいきませんので…」 「いえ、一人で大丈夫ですから。」 「送ります!ちょっと待ってて下さい!」 「待って伊助くん、ってば…」 「ああなると断るのは無理ですよ、彼、意外と頑固ですから。」 「お店、いいんですか?」 「いても仕事にならないでしょうから。」 「はぁ。」 「いえ、こちらの話です。」
フフフ、と バリマシンを磨きにかかるマスターと話していたら、奥からダッフルコートを着て、リュックをしょった伊助くんが現れた。うわ、かわいいー。いつもワイシャツにチノパン、良く似合い過ぎてるエプロンだから新鮮だなー、とぼーっとしながら観察だけはしっかりしてしまった。
「志乃さん、はいこれ巻いて。」 「え、伊助くんのじゃない、ダメよ。」 「そんな薄着だともっと酷くなります。」 「でも、」 「じゃあ僕が巻いちゃいますよ。大丈夫です、友達相手によくしてるんで。」 「わ!」 「次はコレです。」 「手袋?」 「はい!しないといつまでも帰れませんよ?」 「…確かに頑固ね。」 「なんとでも。」
ニコニコしながらマフラーを巻いてくれる伊助くん。ニコニコしながら私が手袋するのを待ってる伊助くん。
「おっきい。」 「僕、身長そんな高くないんですけど手が大きいんですよ。」 「そう、」
大きくて綺麗な掌と、長い指に形の良い爪を私はあんなに見てたんだった。
「さ、これ以上寒くなる前に行きましょう。」 「はーい。」
*****
「大口叩いたんですけど、車もバイクもないんです。ごめんなさい。」 「どうして謝るの?むしろ自転車置いてこさせてごめんね。」
伊助くんは、予想通りとても紳士だった。車道側は絶対私に歩かせないし、出来るだけ早く家に着けるよう信号の少ないルートを選んでくれる。かと思うと、辛くないですかと数分置きに聞いてくれる。
「僕、ロイヤルミルクティーだけはマスターより上手く淹れられると思います。」 「今度お店で言っちゃおう。」 「ダメですよ、マスター怒ると怖いんですから!」 「でも、伊助くんのロイヤルミルクティーはほんとに美味しいよ。」 「志乃さん専用の配合ですからね!…あれ、じゃあ他の人に作るのはやっぱりマスターの方が上手いのか?」 「わーい。私専用〜。」 「志乃さんが喜んでくれるならいいんですけどね。」
ちょっと困りながら言う伊助くんは、私のマンションの目の前にあるコンビニに寄ると、ヨーグルトやゼリー、レトルトのお粥にポカリのペットボトルを数本買ってきて渡してくれた。
「ありがとう、助かる。いくらだった?」 「お金はいいです。」 「それはダメよ、払います。」 「いいです!」
マンションのエントランスで伊助くんは珍しく声を大きくした。こんな伊助くん、初めてだなぁ。どうした、伊助くん?
「ほんとは、渡すの嫌なんです。僕が作った卵粥とか、ホットレモンとか、食べて貰いたいんです。でも、悔しいけど僕には許されていないので。だから甘んじてコンビニに負けてやるんです。」 「うん?」 「ほんとは看病したいし、今だって一緒にいたいです。志乃さんがツラいときに何も出来なくてほんっとにイライラしてます!」 「伊助くん?」 「次、志乃さんが体調崩したり仕事で疲れた時は、側にいられるように僕頑張りますから!だから治ったらまたロイヤルミルクティー、作らせて下さい!」
顔を真っ赤にして、私より風邪を引いた顔になった伊助くんは、そう言うと走って帰ってしまった。残されたマフラーと手袋に包まれて、私は一人なのに寂しくない夜を過ごした。
風邪が治ったら伝えに行こう。これからもずっと、伊助くんが作るロイヤルミルクティーを飲みたいってこと。そして私にも作り方を教えて欲しいこと。あんなに素敵なお店じゃない、平凡なマンションのキッチンだけど。
「ダメかな?」
そう聞いたらあのかわいい笑顔で、最高にかっこよく頷いてくれたんだ。
*溢色の塔ちゃんに!伊助の…良さが…ミジンコも出なぃいぃい!!ほんとごめん、かわいい伊助に癒されたいな、でも伊助は男前なんだぜ?を少しでもアピール出来たら!塔ちゃん、また挑戦するからね!
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